高山市内を散策 高山市政記念館 そして帰路へ

先に高山陣屋を公開しましたが、バスを降りて高山陣屋に向かう途中に、高山市政記念館に寄りました。

高山市内を入っても雨は降り続いています。それも土砂降り状態が・・・。そのため添乗員さんから貰った高山市内の散策マップを見て、高山陣屋の位置だけは頭に入れました。

そしてバスを降り高山陣屋の標識どうりに向かいました。信号を渡った向かいに高山陣屋「あれ、こんなに近かった」 恐る恐る入ってみると・・・・。

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高山市政記念館でした。写真でも分かるように雨は土砂降りです。カメラに雨が写るくらいなんで、相当な降りを分かって貰えるかなぁ。

入口は西玄関から。ここが何か確認するため一旦外へ出ました

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1895年(明治28)竣工の旧高山町役場で、大工は阪下甚吉で飛騨の名工と言われたらしい。拝観料は無料でした。

こちらが東玄関です。

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ここから出入りはできまん。後述しますが、懐かしの電話ボックスが置いてありました。

無料のため特に受け付けもありません。靴を脱いで上がります。傘は傘立てに入れますが、私は折りたたみでしたので、持って入りました。(少し濡れたかも)

中に入って、竣工当時に事務所だった部屋から見学です。

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次に、議員控所だった部屋です。

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私が子供の頃の懐かしいテレビが置いてありました。物心ついたころからテレビはありました。しかし白黒テレビです。カラーテレビが我が家に初めて来た時の喜びを思い出しました。

1階最後は、応接所です。

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ここは、記憶がなく印象が残ってないので、何も書けません

内部は、総檜造りで現在の高山市一之宮町の官材を使用。1階に人民控所、事務所、使丁控所、食堂、2階には議場が設けられました。

2階も上がってみました。

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旧議場のあったところ、昭和の時代の展示物を見て懐かしく思いました。

そいて2階から外を見ると古い街並みを垣間見ることがてきました。

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雨はやんでくれません。観光客も傘を差してです。

目的は高山陣屋です。足早に見て外にでました。その前に東玄関にあった公衆電話ボックスです。

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当時の公衆電話ボックスは、使用者がコインを入れた音をオペレータが聞いて判断してたんですね。古き良き時代のエピソードです。

ここで寄り道したので、高山陣屋では時間がなくなったんです。この後高山市内をバスは14時10分に出発しました。そして夕食の軽食を受け取るため道の駅 ななもりに立ち寄ります。

ななもりには14時30分に着いて14時50分には出ました。そして高山西ICから中部縦貫自動車道に入ります。そしてこのツアー客の殆どは眠ってしまったかも知れません。私もここから記憶がありません

そして添乗員さんに起こされて16時5分関SAに着きました。

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東海北陸自動車道にあるSAで、既に名神に入ったのか?と思いましたが、まだでした。

15分の休憩だけで、16時20分に関SAをバスは出ました。そして名神高速に入りますが名古屋市・東京方面は大渋滞してて、京都・大阪行きの名神は比較的スムーズに走ってます。

名神に入ってバスのスピードは遅くなりました。渋滞はしてませんが、車が多くて・・・この先京都南IC以降は渋滞と表示されてます。その中、最後の休憩地である黒丸SAにバスは17時35分に止まりました。

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このサービスエリアは知らなかったです。「いよいよ滋賀県まで帰ってきたんだなぁ」と。

ここで夕食の軽食をいただきました。飛騨牛太巻き寿司です。

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帰りが遅くなるので大変助かります。疲れているので軽食で充分でした。

バスは黒丸SAを17時50分に出発して、名神を西に進み大津ICを降ります。そしてJR大津駅前に18時20分に着き、ここで大津の乗客を降ろして、一般道を京都へ向け進みます。そして京阪五条に18時47分にバスは止まり乗客を降ろします。

私が降りる四条大宮には18時55分に着きました。そこで荷物を受け取り通勤定期を使って帰路につきました。家には19時30分までには着いたと思います。乗鞍スカイラインを行ってないので、予定より2時間も早く着きました。明日の仕事を考えると助かりましたが、なんだか複雑な心境です

これで『上高地・乗鞍・新穂高ロープウェイ』の旅日記は終わりです。疲れて大変な天気でしたが、何年かしたら良い思い出になるかも 上高地が晴れるまで乗鞍スカイラインに登れるまで私のリベンジは続きます。終わり。






【追記】
連日猛烈な暑さが続いています。8月9日37.2℃ 8月10日38.2℃ 8月11日39.0℃ 暑くて出られません。仕事は仕方ないけど・・・。さて、今日は、何度になるかなぁ?

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