第38回 京の夏の旅 文化財特別公開 祇園閣 大雲院へ

京料理 琢磨本店を出て、向かったのが第38回 京の夏の旅 文化財特別公開中の祇園閣 大雲院です。

大雲院は、1587年(天正15)正親町天皇の勅命により、織田信長、信忠父子の菩提を弔うため、開山貞安上人に御池御所(烏丸二条南)を賜り、織田信忠の法名に因んで大雲院を寺号とされたのがはじまり。その後、豊臣秀吉によって1590年(天正18)寺町四条に移し、大きな伽藍を擁していたが、近年の繁華街の中心化により、宗教の場としてふさわしくないとの判断により、1973年(昭和48)に当地に移転され現在に至っています。

ねねの小路沿いにある円徳院の前を北に進むと突き当たります。その突き当たったところに祇園閣 大雲院はあり、総門は東に向いて建っています。

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東京から移築されたもので、旧宮家の門と伝わっています。特別公開の入口は、ここからでなく南門へ回ります。

それで、ねねの小路の突き当たりにある南門に拝観受付があります。

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移転前の四条寺町から移築されたもので、江戸時代の建物と伝わっています。お盆の時期などに何度か、この前を通りました。さすがに暑いと入る気はおこらなかったです。

7月13日(土)~9月30日(月)大人 拝観料600円 10:00~16:00(受付終了)

通常非公開の大雲院も2010年の『第35回 京の夏の旅』で訪問しました。それ以来3年振りとなりますが、今回大きく変わったのは、祇園閣の楼上での写真撮影が禁止となったことです。

私の前に外国人の夫妻だと思いますが受付されてて、受付の方が英語のため苦戦されてて、少し時間外かかりましたが、まず本堂に向かいます。

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前途した1973年(昭和48)の移転時に鉄筋コンクリート製で建てられました。

本堂の前には桃山時代の鐘楼があります。

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豊臣秀頼が北野天満宮に寄進ものです。八坂神社にあった梵鐘とともに明治維新後の神仏分離により無用となったものを島津家が、佐土原藩士の菩提を弔うために、1870年(明治3)に大雲院に寄進されたものです。

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本堂から見た総門です。前途した外国人の方ですが、この特別拝観に外国人の方が入れるのは珍しいことです。案内も日本語だし、説明書も日本語なので、滅多に入ったこられません。そのため猛烈な早さで見て廻られ出ていかれました

最初に本堂に入ります。本堂内は撮影禁止です。ここで大雲院の歴史や祇園閣について詳しい説明を受けます。本尊は、阿弥陀如来坐像(江戸時代)で、暗くて殆ど見えませんが織田信忠像も阿安置されてます。

次に祇園閣に登ります。

この地は元々大倉喜八郎男爵の別荘跡で、1928年(昭和3)に祇園祭りの壮観を常に披露したいと希って、建築家・伊東忠太の設計により御大典記念に、山鉾を模した祇園閣を建てたと言われています。大雲院が1973年(昭和48)に、この地に移転したことから祇園閣の1階に阿弥陀如来像を安置。1988年(昭和63)に創建400年を記念し、内部に敦煌の壁画の模写が完成しました。高さ36メートルの閣上から京都市内が一望できます。

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楼上での撮影が禁止されたので、前回2010年7月18日撮影したものです。

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祇園閣から見た高台寺と奥に霊山観音です。先月8月23日(金)の高台寺文化鑑賞会の時、あそから祇園閣を見てたんですね。前回よく写真を撮ってました

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同じく祇園閣の上から見た書院(旧大倉家京都別邸「真葛荘」)です。

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゛楼上から八坂の塔を見ています。今回は撮影禁止のため転落防止のためかロープが張ってありました。

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京都タワーを見ています。肉眼ではもっと近くに見えています。

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知恩院比叡山の方向です。そして知恩院の方向ですが、現在修復中の国宝・御影堂が、工事中のため大きな囲いに覆われています。そのため、この写真とは風景が違っています。

眺望は素晴らしです。一時期の猛暑に比べたら涼しくなりました。楼上は風が強くて気持良いです。祇園閣内部も撮影禁止のた写真はありませんが、伊東忠太の怪獣がたくさんありました

祇園閣を降りてきて、案内にしたがい織田信長・信忠・石川五右衛門のお墓をお参りです。

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石碑には、織田信長公・信忠公墓所、石川五右衛門墓所参道と書いてあります。

前回は、ここを知らずに帰ってしまいました。ずっと後悔してたんです。先ずは織田信長・信忠の碑から。

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織田信長は本能寺で、信忠は旧二条城で明智軍に攻められ自害。信長49歳・信忠26歳と言われています。

次いで、石川五右衛門の墓です。

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安土桃山時代に出没した大盗賊。時の権力者である豊臣秀吉の手勢に捕えられ、京都三条河原で一子と共に処刑された・・が定説ですが・・・。何故大雲寺にお墓があるのかも分かりません。

迷うことはありません。案内が出てましし、ガイドさんも「行って下さいよ」と案内されてました。最後は寺宝展を見て特別公開の見学は終わりです。

本堂前でガイドさんが立っておられたので、「この建物は何ですか?」と尋ねました。答えは「書院です」と。その書院前前庭です。

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先ほど楼上から見てた建物でした。先に聞いて上がれば良かったですけど。

で、寺宝展を見たあと、書院を近くで見られるのかなぁと思い、大雲寺の人に聞いて許可をもらいました。

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八角形の屋根が特徴です。ガイドさんの話では、今は誰も住んでないらしい。

書院は、旧大倉家京都別邸「真葛荘」で、ここも伊東忠太が設計。一部鉄筋コンクリート造りとし、その他を木像で建てられた。内部を八角形状に仕上げた応接室が特徴です。

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再び本堂横を通って南門から出ます。ねねの小路の石畳が、いかにも京都らしく風情があります。

3年振りに訪れた大雲院。祇園閣の楼上からの撮影は禁止となりましたが、相変わらず眺望は素晴らしかったです。今度は書院の内部も見て見たいですね。その時は再訪したいと思い帰路につきました。

2010年7月18日の訪問時(その1)は、こちらから→http://68971846.at.webry.info/201007/article_7.html

2010年7月18日の訪問時(その2)は、こちらから→http://68971846.at.webry.info/201007/article_8.html



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