京都非公開文化財特別公開 宇治 放生院(ほうじょういん)《橋寺(はしでら)》へ
今年の秋も毎年恒例の京都非公開文化財特別公開(11月1日(金)~11月10日(日)) 拝観料800円が始まりました。21もの神社や寺が参加してますが、全部行ける訳がありません(予算も限界があります)。
そこで、今回厳選した結果、京都府宇治市の寺院を回ることにしました。ご存じのとおり、現在宇治市は、世界文化遺産である平等院と宇治上神社が改修工事中のため見られません。そのため観光客は激減しているとの報道がなされました。今回、通常非公開で今まで公開の実績がなかった3寺院が初公開されると聞き、時間を取って宇治を訪れたしだいです。
宇治には11月8日(金)の昼から向かいました。京阪祇園四条駅から特急に乗り中書島で宇治線に乗替えます。中書島を出発する時はほぼ席は埋まってましたが、終点の宇治に着く頃にはガラガラでした。これだけでも宇治の元気のなさが分かります。
中書島から14分で京阪宇治駅に着きました。
京都の観光地、特に世界遺産の寺院では、外国人を多く見かけますが、誰も降りてきませんでした。
京阪宇治駅を真っ直ぐ南に下がること5分で最初の訪問地である放生院(橋寺)に着きました。
京阪宇治駅を降り宇治橋を渡ると平等院ですが、今は向かう人はいません。特別公開している宇治川東岸を歩く人は多かったです。多分、狙いは同じでしょう。
山門に臨時の拝観受付があって、そこで拝観料を払います。階段を上がったら左手の正面に本堂がありました。
普段は非公開で、今まで公開もなかった寺院のためか、訪れる人は多かったです。私も、その一人ですけど。
放生院には、7世紀に宇治橋が架けられた経緯を碑に刻んだ奈良時代の「宇治橋断碑」(重文)があり、橋を守る寺として「橋寺(はしでら)」とも呼ばれています。
案内にしたがって、靴を脱いで本堂に上がります。そしてガイドさんより説明が始まりました。なお、本堂内は撮影禁止です。本堂にはともに国の重要文化財である本尊の地蔵菩薩像と不動明王像が祀られています。
写真は本尊の地蔵菩薩像で、報道関係者に公開された時のものです。写真が撮れないので、記念にポスターカードセットを買って帰りました。それと朱印もいただきました。
そのポストカードから。人々を救おうと、今にも一歩を踏み出そうとしているお姿です。
初めて公開された本尊の地蔵菩薩立像は鎌倉後期の作で、高さ約1・9メートルもあります。そして胴体には極彩色の絵が描かれ金箔施されています。寺の伝承では像の内部に、寺の創建を命じた聖徳太子が持っていた仏像が納められているという。
本堂内の公開とあわせて、もう一つの目玉である『宇治橋断碑』の公開です。
宇治橋創建の経緯が記された石碑で重要文化財に指定されています。近くで撮りたかったけど、撮影禁止と書いてあったので遠くから。(下の写真はポストカードより)
もともとは橋畔にあったものですが、いつのまにか流出して行方がわからなくなっていたものを、1791年(寛政3)に付近の土中から断片が発見され、「帝王編年記」という書物に収められていた碑文の全文により、欠如していた部分を補って再建されました。発見されたのは上の部分は、国の重要文化財に指定されています。この碑文の内容から宇治橋は646年(大化2)に架橋されたとされています。
境内は、すっかり秋色に染まってました。境内はそんなに広く、ありません。
そして境内の片隅に、十二支守本尊像も祭られてました。
千手観世音菩薩(ねずみ年)、虚空菩薩(うし・とら年)、文殊菩薩(うさぎ年)、普賢菩薩(たつ・み年)、勢至菩薩(うま年)、大日如来(ひつじ・さる年)、不動明王(とり年)、阿弥陀如来(いぬ・いしのの年)
境内には、イチュウの大木があって、宇治の銘木100選に指定されています。
あと2ヶ所回る予定にしてたので、境内をくまなく見て廻ったあと、ここを出ました。
次から次から参拝者が訪れます。結構、階段が急だったんですね。
ここは15分ぐらいで出ました。説明も本堂内だけでしたし、宇治橋断碑では説明がありませんでした。何人もの参拝者が見に来てたのに、近くに立っていた学生のガイドさんは、立ってるだけ。撮影禁止の監視員だったでしょうね。次は恵心院です。つづく。
そこで、今回厳選した結果、京都府宇治市の寺院を回ることにしました。ご存じのとおり、現在宇治市は、世界文化遺産である平等院と宇治上神社が改修工事中のため見られません。そのため観光客は激減しているとの報道がなされました。今回、通常非公開で今まで公開の実績がなかった3寺院が初公開されると聞き、時間を取って宇治を訪れたしだいです。
宇治には11月8日(金)の昼から向かいました。京阪祇園四条駅から特急に乗り中書島で宇治線に乗替えます。中書島を出発する時はほぼ席は埋まってましたが、終点の宇治に着く頃にはガラガラでした。これだけでも宇治の元気のなさが分かります。
中書島から14分で京阪宇治駅に着きました。
京都の観光地、特に世界遺産の寺院では、外国人を多く見かけますが、誰も降りてきませんでした。
京阪宇治駅を真っ直ぐ南に下がること5分で最初の訪問地である放生院(橋寺)に着きました。
京阪宇治駅を降り宇治橋を渡ると平等院ですが、今は向かう人はいません。特別公開している宇治川東岸を歩く人は多かったです。多分、狙いは同じでしょう。
山門に臨時の拝観受付があって、そこで拝観料を払います。階段を上がったら左手の正面に本堂がありました。
普段は非公開で、今まで公開もなかった寺院のためか、訪れる人は多かったです。私も、その一人ですけど。
放生院には、7世紀に宇治橋が架けられた経緯を碑に刻んだ奈良時代の「宇治橋断碑」(重文)があり、橋を守る寺として「橋寺(はしでら)」とも呼ばれています。
案内にしたがって、靴を脱いで本堂に上がります。そしてガイドさんより説明が始まりました。なお、本堂内は撮影禁止です。本堂にはともに国の重要文化財である本尊の地蔵菩薩像と不動明王像が祀られています。
写真は本尊の地蔵菩薩像で、報道関係者に公開された時のものです。写真が撮れないので、記念にポスターカードセットを買って帰りました。それと朱印もいただきました。
そのポストカードから。人々を救おうと、今にも一歩を踏み出そうとしているお姿です。
初めて公開された本尊の地蔵菩薩立像は鎌倉後期の作で、高さ約1・9メートルもあります。そして胴体には極彩色の絵が描かれ金箔施されています。寺の伝承では像の内部に、寺の創建を命じた聖徳太子が持っていた仏像が納められているという。
本堂内の公開とあわせて、もう一つの目玉である『宇治橋断碑』の公開です。
宇治橋創建の経緯が記された石碑で重要文化財に指定されています。近くで撮りたかったけど、撮影禁止と書いてあったので遠くから。(下の写真はポストカードより)
もともとは橋畔にあったものですが、いつのまにか流出して行方がわからなくなっていたものを、1791年(寛政3)に付近の土中から断片が発見され、「帝王編年記」という書物に収められていた碑文の全文により、欠如していた部分を補って再建されました。発見されたのは上の部分は、国の重要文化財に指定されています。この碑文の内容から宇治橋は646年(大化2)に架橋されたとされています。
境内は、すっかり秋色に染まってました。境内はそんなに広く、ありません。
そして境内の片隅に、十二支守本尊像も祭られてました。
千手観世音菩薩(ねずみ年)、虚空菩薩(うし・とら年)、文殊菩薩(うさぎ年)、普賢菩薩(たつ・み年)、勢至菩薩(うま年)、大日如来(ひつじ・さる年)、不動明王(とり年)、阿弥陀如来(いぬ・いしのの年)
境内には、イチュウの大木があって、宇治の銘木100選に指定されています。
あと2ヶ所回る予定にしてたので、境内をくまなく見て廻ったあと、ここを出ました。
次から次から参拝者が訪れます。結構、階段が急だったんですね。
ここは15分ぐらいで出ました。説明も本堂内だけでしたし、宇治橋断碑では説明がありませんでした。何人もの参拝者が見に来てたのに、近くに立っていた学生のガイドさんは、立ってるだけ。撮影禁止の監視員だったでしょうね。次は恵心院です。つづく。