『~湖都大津もみじ紀行~特別拝観 三井寺光浄院と石山寺』定期観光バスツアーへ

今から2週間ほど前、モミジが色づき始めた11月13日(水)に、京都定期観光バス『~湖都大津もみじ紀行~特別拝観 三井寺光浄院と石山寺』のバスツアーに行ってきました。

このツアーでは通常非公開の三井寺光浄院を見られることもあって、是非行きたいと思ってところ、大阪時代の会社の先輩に声をかけたところ快く行ってくれるとあって、二人の日程を調整し参加することができました。

当日は、京都駅で待ち合わせ。バスの出発時刻まで地下街のポルタで定年後の相談なんか聞いてもらい時間をつぶしました。そしてバスは予定どおり10時10分に京都駅烏丸口を出発しました(バスは出発の5分前にやってきました。)

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バスは総勢14名の乗客を乗せ大津市に向かいます。東本願寺の前を通って五条通り(国道1号線)を東進み、五条坂では清水寺を車窓から見ながら途中、渋滞もなく順調に進みました。少人数のため2座席で1人。ゆっくりできました

そして三井寺(園城寺)(おんじょうじ)の駐車場には、10時50分頃に着きました。

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駐車場を出て大門(仁王門)までガイドさんの後を付いて行きます。その大門の横を通ると拝観受付があって、ガイドさんが手続き。

そして由緒書を受け取ったら、向かうは国宝・光浄院です。三井寺には何度か来てますが、光浄院は知りません。ガイドさんのあとを付いて行き、光浄院の勅使門前までやってきました。

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この辺りで、立ち入り禁止の立て札があって、通常非公開で普段から大切にされてるのが分かります。

光浄院への入口です。ここにも立ち入り禁止と書いてありました。

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門を入ると、ここの玄関である庫裏を目にして、左にある中門をくぐるといよいよ客殿前です。

ここに来る車中で、バスガイドさんから2点注意がありました。一つは内部は写真が禁止されてること。もう一つは、客殿内の柱や障子を傷つけないため荷物の持ち込みも禁止されてることの注意を事前に知らされてました。

門を入るとお寺の方がお出迎え。客殿内に入る時に、バスガイドさんから事前に注意されたことを再び話されて、中に入りました。

光浄院は近江の領主・山岡氏によって室町時代建てられた子院で、三井寺の発展に大きな役割を果たすも豊臣秀吉の闕所命令により多くの伽藍を失いました。そのあと北政所や山岡氏の寄進により、1601年(慶長6)に復興されました。現在国宝に指定されて、桃山時代の代表的な客殿もこの頃に建てられました。この建物は、寝殿造りから書院造りへと発展していく途上の主殿造という形式で建てられているのが特に貴重とされています。また、狩野永徳の長男である光信らによって描かれたこ金碧障壁画も見事で見応え充分です。

要約しましたが、約30分ほど丁寧に解説して説明していただきました。話を聞いてる最中には、雨が強く降ってきましたが、出る頃には雨が上がりました。

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雨が降ったので屋根から湯気が立っています。お寺の方が見送ってくれました。

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客殿内のお殿様が座る位置から見た庭園が一番綺麗とされています。ただ客殿内が撮影禁止のため、雰囲気だけ撮りました。

この光浄院を見学したら自由行動に変わります。何度か来ているので今度は、私が案内です。先ずは国宝・金堂です。

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少しモミジが色づいてる参道を進み金堂に出ました。前回来た時は工事中のため覆いに囲まれていたので、こうして見られて良かったです。豊臣秀吉の正室・北政所(高台院ねね)が寄進し1599年(慶長4)に再建されました。本尊の弥勒菩薩像は天智天皇の持念仏とされ、絶対秘仏で誰も見ることが出来ないと言う。

ここから少し階段を上がって、中院エリアと言われる所へ。先ずは三重塔から。

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吉野にあった比蘇寺の塔で、豊臣秀吉が伏見城が移築させ、さらに徳川家康が三井寺に寄進させたもの。重要文化財で室町時代の建築と推定されています。

そのお隣の唐院潅頂堂です。

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重要文化財で桃山時代の建徳。この奥にある唐院大師堂と四脚門にはさまれて建ち、大師堂の拝殿としての役割を備えています。

時間があれば、この奥の西国33ヶ所の札所である観音堂(南院エリア)まで案内したかったけど時間がないので無理でした。その辺りは展望も良くて、以前私が勤めてた会社も見えるので案内したかったんですけど・・・。

次に案内したのは、一切経蔵(重要文化財)です。

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室町時代の建築。一切経蔵は一切経を安置するための堂で、 内部には一切経を納める回転式の巨大な八角輪蔵が備えられています。

次は、車内でバスガイドさんから案内された霊鐘堂の中に置かれてる弁慶の引き摺り鐘です。

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ガイドさんの話では、山門との争いで弁慶が奪って比叡山へ引き摺り上げて撞いてみると ”イノー・イノー”(関西弁で帰りたい)と響いたので、 弁慶は「そんなに三井寺に帰りたいのか!」と怒って鐘を谷底へ投げ捨ててしまったといいます。 鐘にはその時のものと思われる傷痕や破目などが残っていると伝わっています。真否はわかりません

ここを出て金堂のある境内を見るとモミジが色づき初めてました。

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この日は晴れたり曇ったり、そして雨が降ったりして・・・目まぐるしく変わる天気でした。私が雨男なんでしょうね。

最後に、近江八景のひとつ三井の晩鐘で有名な巨大な梵鐘を吊る鐘楼です。

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バスガイドさんから車内で、「ここの鐘は突くことができるので」と案内がありました。「ただ全員が一斉にされると時間がないので」とも案内されてました。

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鐘楼横の売店で300円を納めます。

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そうすると鐘楼内に入れて、この大鐘を突くことができるわけです。

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三井寺の駐車場までゆつくり歩いて戻りました。境内の参道は、少しずつ赤く染まろうとしてました。

この駐車場にある土産物店で、お土産を買いました。先輩も一緒に買ってましたが、買い物好きだったんですね、知らなかったです。先週から見頃になって、今日(11/25)は最盛期でしょうね、そのため大変な人で賑わってるんでしょう。行くのが早かったいや全然、空いてて良かったです

バスは予定どおり12時10分に出発しました。次は昼食会場も兼ねてます。つづく。

【三井寺光浄院】



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