世界遺産「龍安寺」文化財特別鑑賞会に参加
12月8日(日)京都市文化観光資源保護財団主催の世界遺産「龍安寺」文化財特別鑑賞会に行ってきました。
10時30分から鑑賞会は始まりますが、少し早く着いたので秋の龍安寺の撮影スポットを見学です。庫裏前の石段と龍安寺垣です。
もうとっくに見頃は過ぎてますが、それでも絵になります。禅宗寺院らしく菱形に組み込まれた丈の低い竹垣で気品があります。
その石段を上がったところに庫裏があって、石庭の入口でもあります。
ここには拝観受付はありません。山門前に拝観受付所があって、そこで拝観料を納めて、ここまで来ます。
実は、鑑賞会の入口がここだと思ったんですが、その手前でした。
ここに京都市文化観光資源保護財団の担当者が立っててくれました。石庭の方向ではなく、この先を進むように案内されました。
そして着いたのが新館の寺務所前で、そこで受付されてました。
着いたのが早いほうでしたが、多くの人が待ってました。当日は112名も参加されたので、2班に分かれます。私の班は、玄関から入るように案内されました。。
そして通された部屋が8畳ぐらいの部屋で、すし詰め。後ろは立ってて聞くことに。座ると龍安寺の係の方から案内が始まりました。今日の拝観予定と正面の大きな掛け軸『伝兆殿司筆 雲龍図』の説明です。
こんなに大きなものを架ける場所が無かったらしい。1996年(平成8)に新館が完成し、この掛け軸も架けられるようになったという。
正面の掛け軸は、蟠龍(はんりゅう)と言い、龍がじっとしてどくろを巻いてる姿が描かれています。元は東福寺塔頭の龍吟庵の小さいお堂の天井に描かれてましたが、1965年(昭和40)に雨漏りがひどくて、天井から剥がされ掛け軸にされました。江戸時代の作。
この掛け軸の説明が終わると、先頭の人から茶室『蔵六庵』を見学です。
一方通行で内部に入って、出てきます。こんな大人数で写真もゆっくり撮れません。茶室から外を見ると紅葉が綺麗でしたね。ここの茶室は、今は使われてないと案内されました。
そしてここを出て、徳川光圀から贈られたと伝わる、蹲踞を見学です。吾唯足知(われただたるをしる)と書かれた蹲踞は、方丈北庭に置いてありますが、それはレプリカです。本物は、非公開の茶室「蔵六庵」の前に置かれているんです。
これが本物です。やっと念願かなって見られました。
蹲踞・・・這いつくばって手を洗うと言うことから、そう呼ばれています。そこに書かれている文字は。「吾唯足知(われただたるをしる)」・・・「己をよく知り貧欲になりすぎるな」という意味だそうです。
ここの見学のあと、方丈内での案内がありますが、暫く待って下さいと案内されたので、当然石庭を撮影です。
日曜日の昼間、それにしてもすごい人出です。この石庭の端から端まで人出埋まってました。ここではゆっくり静かに眺めるものです。しかし、紅葉の時期は無理だと分かりました。この油土塀は、少し汚れてるように見えますが、これは白砂が綺麗に見えるように眩しさ除けにになってるそうです。
あとの説明では、この庭の作者は不明だそうです。石は15個あって、作者が分からないので、どのような意図で配置されたのかも不明だそうです。まさしく謎を秘めた石庭です。
次に北庭です。前途しましたレプリカの蹲踞が置いてあります。
秋の紅葉の時期に初めて来ましたが、綺麗なもんです。もうとっくに盛りは過ぎているのに・・・。
写真を撮ってたら、龍安寺の係の方より、方丈内に入るよう案内があったので、方丈正面広間に入りました。
先ほどの部屋より広いのが良かったです。本物は非公開とパンフに書いてあったので、これもレプリカでしょう。
この中で、石庭の説明をじっくり聞きました。要約すれば気ほど書いたことですけど、毎早朝、奥から手前にかけて線を砂紋が引かれてれてるのと、油土塀は遠近法を取り入れてる。そして石庭は僅かに傾斜してて、水捌けを良くしてるなどなど話を聞きました。
ここを出て、次が通常非公開の仏殿の見学です。
方丈から渡り廊下を通って仏殿に向かいます。これだけの大人数が仏殿に向かうと、普通の観光客も付いてきますが「ここからは特別の公開のため行けません」とストップがかかります。私らは首から目印を付けているので、一目瞭然です。
仏殿の外観です。内部は撮影禁止でした。内部の話は後で・・・外観だけは、団体から離れて先に撮りました。
1981年(昭和56)の建立で内部は総檜造り。釘を一本も使用してないそうです。1797年(寬成9)の火災で焼失しましたが、妙心寺の古文書から古絵図が見つかり、それを元に復元されました。天井には下り龍が描かれて見方によっては表情が変わるそうですが、私は分からなかったです。歴代住職の位牌や天皇家の位牌が安置されてました。
このあと、一人づつスリッパを脱いでお参りしますが、そのお参りを済ませて、私は外に出ました。外観の写真を撮るためです。
仏壇前にあった鐘楼です。これは説明がなかったので、由来は分かりません。
次が非公開の西の庭です。大人数のため仏殿内部の見学も時間がかります。そこで先に西の庭の撮影を済ませました。
ここも終わりかけの紅葉が綺麗でした。ここもスリッパのままでの見学となります。
ここを撮ってたら仏殿から人が出てこられて、西の庭の見学が始まったので、私も先に進みました。写真右側に見えていた細川廟です。
1982年(昭和57)室町時代風に復元された庭です。細川廟の内部は細川勝元の木像が安置されてました。
細川勝元は、室町時代の管領で龍安寺を創建したことでも知られています。将軍家の継嗣や畠山、斯波氏らの家督争いなどで山名宗全と対立し『応仁の乱』となりました。
ガイドさんの話では、細川護煕元首相もお参りに来られるそうです。建仁寺塔頭 正伝永源院にも立ち寄られた話もされてました。
残念ながら終わりがけの紅葉が少し残念です。前から西の庭や仏殿は見たかったので、今日参加できて良かったです。
西の庭から仏殿を見ています。ここでガイドさんの話が終わって、今回の鑑賞会は終了です。
再び方丈に戻り新館の玄関まで行きました。方丈内で石庭なんかをゆっくり鑑賞しても良かったんですが、まだまだすごい人出で・・・何度もきてるので諦めて玄関から外に出ました(世界遺産に登録後は、外国人観光客が目立って多いです)。
方丈を出て、鏡容池廻りの名残の紅葉を見ながら帰路につきました。
12月8日で紅葉が残っていたのはラッキーでした。この池の周りは無料で見られるので、何度も紅葉の時に行こうかと思ってましたが、なかなか行けなくて・・・この鑑賞会に参加して初めて見られました。
余談ですが、京都三大鏡池というのがあって、金閣寺の鏡湖池・銀閣寺の錦鏡池、そして龍安寺の鏡容池がそれだと案内されました。
初めて聞きましたが、考えたら全て臨済宗のお寺なんですね。もうお昼も近づいてきたので、このまま帰路につきました。普段入れないや、本物の、が見られて満足してここを出ました。
謎を秘めた石庭 龍安寺(2011年10月9日)へは、こちにから → https://mahopika.seesaa.net/article/201110article_8.html
10時30分から鑑賞会は始まりますが、少し早く着いたので秋の龍安寺の撮影スポットを見学です。庫裏前の石段と龍安寺垣です。
もうとっくに見頃は過ぎてますが、それでも絵になります。禅宗寺院らしく菱形に組み込まれた丈の低い竹垣で気品があります。
その石段を上がったところに庫裏があって、石庭の入口でもあります。
ここには拝観受付はありません。山門前に拝観受付所があって、そこで拝観料を納めて、ここまで来ます。
実は、鑑賞会の入口がここだと思ったんですが、その手前でした。
ここに京都市文化観光資源保護財団の担当者が立っててくれました。石庭の方向ではなく、この先を進むように案内されました。
そして着いたのが新館の寺務所前で、そこで受付されてました。
着いたのが早いほうでしたが、多くの人が待ってました。当日は112名も参加されたので、2班に分かれます。私の班は、玄関から入るように案内されました。。
そして通された部屋が8畳ぐらいの部屋で、すし詰め。後ろは立ってて聞くことに。座ると龍安寺の係の方から案内が始まりました。今日の拝観予定と正面の大きな掛け軸『伝兆殿司筆 雲龍図』の説明です。
こんなに大きなものを架ける場所が無かったらしい。1996年(平成8)に新館が完成し、この掛け軸も架けられるようになったという。
正面の掛け軸は、蟠龍(はんりゅう)と言い、龍がじっとしてどくろを巻いてる姿が描かれています。元は東福寺塔頭の龍吟庵の小さいお堂の天井に描かれてましたが、1965年(昭和40)に雨漏りがひどくて、天井から剥がされ掛け軸にされました。江戸時代の作。
この掛け軸の説明が終わると、先頭の人から茶室『蔵六庵』を見学です。
一方通行で内部に入って、出てきます。こんな大人数で写真もゆっくり撮れません。茶室から外を見ると紅葉が綺麗でしたね。ここの茶室は、今は使われてないと案内されました。
そしてここを出て、徳川光圀から贈られたと伝わる、蹲踞を見学です。吾唯足知(われただたるをしる)と書かれた蹲踞は、方丈北庭に置いてありますが、それはレプリカです。本物は、非公開の茶室「蔵六庵」の前に置かれているんです。
これが本物です。やっと念願かなって見られました。
蹲踞・・・這いつくばって手を洗うと言うことから、そう呼ばれています。そこに書かれている文字は。「吾唯足知(われただたるをしる)」・・・「己をよく知り貧欲になりすぎるな」という意味だそうです。
ここの見学のあと、方丈内での案内がありますが、暫く待って下さいと案内されたので、当然石庭を撮影です。
日曜日の昼間、それにしてもすごい人出です。この石庭の端から端まで人出埋まってました。ここではゆっくり静かに眺めるものです。しかし、紅葉の時期は無理だと分かりました。この油土塀は、少し汚れてるように見えますが、これは白砂が綺麗に見えるように眩しさ除けにになってるそうです。
あとの説明では、この庭の作者は不明だそうです。石は15個あって、作者が分からないので、どのような意図で配置されたのかも不明だそうです。まさしく謎を秘めた石庭です。
次に北庭です。前途しましたレプリカの蹲踞が置いてあります。
秋の紅葉の時期に初めて来ましたが、綺麗なもんです。もうとっくに盛りは過ぎているのに・・・。
写真を撮ってたら、龍安寺の係の方より、方丈内に入るよう案内があったので、方丈正面広間に入りました。
先ほどの部屋より広いのが良かったです。本物は非公開とパンフに書いてあったので、これもレプリカでしょう。
この中で、石庭の説明をじっくり聞きました。要約すれば気ほど書いたことですけど、毎早朝、奥から手前にかけて線を砂紋が引かれてれてるのと、油土塀は遠近法を取り入れてる。そして石庭は僅かに傾斜してて、水捌けを良くしてるなどなど話を聞きました。
ここを出て、次が通常非公開の仏殿の見学です。
方丈から渡り廊下を通って仏殿に向かいます。これだけの大人数が仏殿に向かうと、普通の観光客も付いてきますが「ここからは特別の公開のため行けません」とストップがかかります。私らは首から目印を付けているので、一目瞭然です。
仏殿の外観です。内部は撮影禁止でした。内部の話は後で・・・外観だけは、団体から離れて先に撮りました。
1981年(昭和56)の建立で内部は総檜造り。釘を一本も使用してないそうです。1797年(寬成9)の火災で焼失しましたが、妙心寺の古文書から古絵図が見つかり、それを元に復元されました。天井には下り龍が描かれて見方によっては表情が変わるそうですが、私は分からなかったです。歴代住職の位牌や天皇家の位牌が安置されてました。
このあと、一人づつスリッパを脱いでお参りしますが、そのお参りを済ませて、私は外に出ました。外観の写真を撮るためです。
仏壇前にあった鐘楼です。これは説明がなかったので、由来は分かりません。
次が非公開の西の庭です。大人数のため仏殿内部の見学も時間がかります。そこで先に西の庭の撮影を済ませました。
ここも終わりかけの紅葉が綺麗でした。ここもスリッパのままでの見学となります。
ここを撮ってたら仏殿から人が出てこられて、西の庭の見学が始まったので、私も先に進みました。写真右側に見えていた細川廟です。
1982年(昭和57)室町時代風に復元された庭です。細川廟の内部は細川勝元の木像が安置されてました。
細川勝元は、室町時代の管領で龍安寺を創建したことでも知られています。将軍家の継嗣や畠山、斯波氏らの家督争いなどで山名宗全と対立し『応仁の乱』となりました。
ガイドさんの話では、細川護煕元首相もお参りに来られるそうです。建仁寺塔頭 正伝永源院にも立ち寄られた話もされてました。
残念ながら終わりがけの紅葉が少し残念です。前から西の庭や仏殿は見たかったので、今日参加できて良かったです。
西の庭から仏殿を見ています。ここでガイドさんの話が終わって、今回の鑑賞会は終了です。
再び方丈に戻り新館の玄関まで行きました。方丈内で石庭なんかをゆっくり鑑賞しても良かったんですが、まだまだすごい人出で・・・何度もきてるので諦めて玄関から外に出ました(世界遺産に登録後は、外国人観光客が目立って多いです)。
方丈を出て、鏡容池廻りの名残の紅葉を見ながら帰路につきました。
12月8日で紅葉が残っていたのはラッキーでした。この池の周りは無料で見られるので、何度も紅葉の時に行こうかと思ってましたが、なかなか行けなくて・・・この鑑賞会に参加して初めて見られました。
余談ですが、京都三大鏡池というのがあって、金閣寺の鏡湖池・銀閣寺の錦鏡池、そして龍安寺の鏡容池がそれだと案内されました。
初めて聞きましたが、考えたら全て臨済宗のお寺なんですね。もうお昼も近づいてきたので、このまま帰路につきました。普段入れないや、本物の、が見られて満足してここを出ました。
謎を秘めた石庭 龍安寺(2011年10月9日)へは、こちにから → https://mahopika.seesaa.net/article/201110article_8.html