壬生寺 節分祭へ
2月3日(月)は、季節の分かれ目である節分です。京都の寺院では節分祭が行われ、毎年天龍寺の節分祭に行ってますが、今年は平日で行くのは無理。
そしたら、会社が終わってから行けるところを探すと(別に探した訳じゃありません
)、私が生まれ育った所、壬生寺 節分祭に行くことにしました。
会社を退社してから市バスで行き、壬生寺道バス停で下車(NHK大河ドラマ「新撰組」の放送前は、壬生坊城バス停でした)しました。そして坊城通りを下がります。交通規制された道には露店が出て賑わう中、壬生寺の表門から境内に入りました。
私が子供の頃に比べると露店の数は減りましたが、まだまだ賑やかです。そう言えば学校も休校になったように記憶してますが低学年だけっだったような・・・あまりにも昔のことで・・・休みになったのは事実です。これは間違いないです
。
入って正面に本堂があるので、先ずお参りです。
普段は閑散としてる境内も年間を通じて、この節分の時期だけ混雑します。
本堂の北側と南側で、臨時の授与所があって、ここでお守りが授与されます。
また、壬生寺は壬生狂言も有名です。2日と3日は無料で重要無形民俗文化財の壬生狂言を見ることができます。
壬生狂言を正しくは「壬生大念佛狂言」と言い、参詣者の厄除・開運を祈願し、壬生狂言の『節分』を繰り返し上演されます(1日8回上演)。保育園の前には、開演を待つ人で行列ができてます。完全入替え制と書いてありましたが、特に見るつもりはありませんでした。ただ卒園した保育園を通るので、そこは見たかったですね。
今日、壬生寺に来た目的は壬生狂言上演中、猿が描かれた特別な御朱印を授与されると新聞で知り、それをいただきに来ました。
朱印は社務所でいただきます。私が着いた頃は待っている人は、一人でけでしたが、私が済んだあとに、多くの参拝者が入ってきたので少し行列が出来ました。良いときに来ました
。
前途しましたが、私の子供の頃に比べると露店の数は減ってます。仏光寺通りや四条通りも多くの露店が出てましたが、減りましたね。
少し寂しい思いはしましたが、参拝者は多かったです。さすがに節分で有名な壬生寺のことだけはあります。
お参りを済ませたので帰ろうと思ったんですが、ふと気が向いて炮烙焼きを奉納しようと思いました
。
先ず500円を納めます。そして願い事や家族の名前や年齢を墨で書くわけです。これを先ほどの壬生狂言で割られ、奉納者は厄除開運が得られると言います。正月早々にノロウイルスに家族全員が感染したこともあって、奉納させてもらいました。
下手な墨字で書いたので誰も読めない
それを奉納所に納めます(100円)。
そして懐かしい仏光寺通りを少しだけ歩きました。写真は北門ですが、出たのは南門です。(人が多くて写真が撮れませんでした)
そして仏光寺通りです。昔私が住んでた方向に向けて写真を撮りました。
園児の頃、毎朝、父がスクーターで保育園まで送ってくるんです。まだ幼かったので、あまり楽しい思い出は残ってません。帰りは保母さんに送ってもらったようですが、「寝ながら帰って来た」と母が言ってました。
。
ここ壬生寺に来ると、どうしても子供の頃の思い出が蘇ります。特に節分は賑やかでしたね。この日は節分で帰ってから恵方巻を食べないといけない
ので、外食もせず帰りました。節分にしては珍しく暖かい日でしたが、立春を過ぎて最強の寒波がやってきました。節分は寒くないと似合わない
。

そしたら、会社が終わってから行けるところを探すと(別に探した訳じゃありません

会社を退社してから市バスで行き、壬生寺道バス停で下車(NHK大河ドラマ「新撰組」の放送前は、壬生坊城バス停でした)しました。そして坊城通りを下がります。交通規制された道には露店が出て賑わう中、壬生寺の表門から境内に入りました。
私が子供の頃に比べると露店の数は減りましたが、まだまだ賑やかです。そう言えば学校も休校になったように記憶してますが低学年だけっだったような・・・あまりにも昔のことで・・・休みになったのは事実です。これは間違いないです

入って正面に本堂があるので、先ずお参りです。
普段は閑散としてる境内も年間を通じて、この節分の時期だけ混雑します。
本堂の北側と南側で、臨時の授与所があって、ここでお守りが授与されます。
また、壬生寺は壬生狂言も有名です。2日と3日は無料で重要無形民俗文化財の壬生狂言を見ることができます。
壬生狂言を正しくは「壬生大念佛狂言」と言い、参詣者の厄除・開運を祈願し、壬生狂言の『節分』を繰り返し上演されます(1日8回上演)。保育園の前には、開演を待つ人で行列ができてます。完全入替え制と書いてありましたが、特に見るつもりはありませんでした。ただ卒園した保育園を通るので、そこは見たかったですね。
今日、壬生寺に来た目的は壬生狂言上演中、猿が描かれた特別な御朱印を授与されると新聞で知り、それをいただきに来ました。
朱印は社務所でいただきます。私が着いた頃は待っている人は、一人でけでしたが、私が済んだあとに、多くの参拝者が入ってきたので少し行列が出来ました。良いときに来ました

前途しましたが、私の子供の頃に比べると露店の数は減ってます。仏光寺通りや四条通りも多くの露店が出てましたが、減りましたね。
少し寂しい思いはしましたが、参拝者は多かったです。さすがに節分で有名な壬生寺のことだけはあります。
お参りを済ませたので帰ろうと思ったんですが、ふと気が向いて炮烙焼きを奉納しようと思いました

先ず500円を納めます。そして願い事や家族の名前や年齢を墨で書くわけです。これを先ほどの壬生狂言で割られ、奉納者は厄除開運が得られると言います。正月早々にノロウイルスに家族全員が感染したこともあって、奉納させてもらいました。
下手な墨字で書いたので誰も読めない


そして懐かしい仏光寺通りを少しだけ歩きました。写真は北門ですが、出たのは南門です。(人が多くて写真が撮れませんでした)
そして仏光寺通りです。昔私が住んでた方向に向けて写真を撮りました。
園児の頃、毎朝、父がスクーターで保育園まで送ってくるんです。まだ幼かったので、あまり楽しい思い出は残ってません。帰りは保母さんに送ってもらったようですが、「寝ながら帰って来た」と母が言ってました。

ここ壬生寺に来ると、どうしても子供の頃の思い出が蘇ります。特に節分は賑やかでしたね。この日は節分で帰ってから恵方巻を食べないといけない


