『~映画「利休にたずねよ」公開記念特別コース~利休ゆかりの地めぐり 』定期観光バスツアーへ

連日底冷えする日が続く中、1月25日(土)に京都定期観光バス~映画「利休にたずねよ」公開記念特別コース~利休ゆかりの地めぐり に行ってきました。

昨年12月7日に公開された東映映画「利休にたずねよ」ゆかりの地や千利休にスポットを当てた特別ツアーで、利休の菩提寺でもある大徳寺聚光院の特別拝観(通常非公開)や、今なお受け継がれる裏千家の伝統を茶道資料館、そしてこのツアーのメインである東映京都撮影所(一般者立入り禁止)では、映画で実際に使われた関係品も特別に鑑賞できるツアーです。

ツアーの出発地は京都駅烏丸口で、10時20分に乗客21名を乗せて最初の訪問地、大徳寺に向け出発。七条堀川を北上し、西に世界遺産・西本願寺、そして世界遺産・二條城をみながら北大路通りまで北上します。そして西に入って、大徳寺駐車場に10時45分に付きました。

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全員がバスを降りて、ここで集まります。そして一塊になって、大徳寺に向かいます。

大徳寺の境内には総門から入ります。

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本日最初の訪問地、聚光院の特別拝観の看板も出ています。

大徳寺には何度も来てるので、ガイドさんが案内してますが、正直耳に入らない。それよりか写真に夢中でした。総門を少し進むと、雄大な朱塗りの三門の前に止まって、バスガイドさんより説明がありました。

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このツアーは「利休にたずねよ」がテーマです。てすから、この三門は当然外せないでしょう。

金毛閣と呼ばれる三門は、1589年(天正17)に千利休が2階分分を増改築して完成させた時に『「金毛閣』と名づけられました。その楼上には。雪駄を履いた利休の木像が安置されました。しかし、このため三門を通る者は利休の足下をくぐることになり、これが豊臣秀吉の怒りを買って利休切腹の一因となったと伝わっています。

願わくばこの三門を登りたかったのが本音です。この話は有名で、もちろん知ってました。その木像も非公開で、多分、誰も目にしてないのでは・・・(幕末に作られたと伝わる2代目)。

そして、いよいよ『第48回 京の冬の旅 非公開文化財特別公開』 大徳寺 聚光院です。

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10時55分頃この山門前について、現地の学生さんによる案内が始まりました。ここでは注意点だけで、庫裏を入った先から撮影禁止。昨年の台風18号による被害で方丈の屋根が破損し、現在修復工事中で景観が損なわれているので、お詫びとして絵はがき(庭園の写真)1枚をプレゼントとの案内がありました。

5日ほど前に、京都定期観光バスの担当者さんから、電話が入りました。何のことかと思い話を聞いていると聚光院の景観が損なわれているので了承してほしいとの電話でした。担当の方には「知ってますよ」と答えましたが、クレームでもあったのでしょうか でも前から行きたかったので、このツアーが背中を押してくれたのも事実です。

山門を入って正面に庫裏。ここで靴を脱いで袋に入れて上がります。そこに拝観受付がありました。

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拝観期間:1月10日(金)~3月18日(火) 拝観時間:10時00分~16時00分(受付終了) 拝観料:600円(1/27・28、2/1・2・27・28、3/8・9は拝観休止)

庫裏の左手には玄関があって、その奥に工事中の方丈屋根が見えています。

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正直私の予想より大規模な工事でした。景観を考えて一部分を覆われてるのかと思ってました。

その玄関を少しだけ覗くと・・・景観が損なわれているより、台無しです。

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この日も工事がされてたので、時々大きな音がしてビックリします。

聚光院(じゅこういん)は臨済宗大徳寺派に属し、1566年(永禄9)、戦国武将・三好義継が足利12大将軍・義晴に使えた父の長慶(ながよし)の菩提を弔うために創建したので始まりで、大徳寺第百七世住持・笑嶺宗訴(しょうれいそうきん)を開祖として迎えました。笑嶺和尚が茶人・千利休の参禅の師であったことから、利休の墓所となり現在に至っています。また、聚光院は、三千家(表千家・裏千家・武者小路千家)の墓所ともなっています。

工事中でも多くの参拝者で賑わってました。拝観受付で朱印と絵はがきを買いました。前途した絵はがき1枚貰いましたが、襖絵や茶室も記憶に残してたいので

まず方丈の手前「礼の間」(らいのま)から案内開始です。狩野松栄筆の『瀟湘八景図』が描かれています。(日本にも宮島八景・近江八景などがあります) この聚光院の襖絵は全て複製品で、本物は国立博物館に納められているとのことでした。(複製品なら写真ぐらい良いのではと思ってしまうのは私だけでしょうか)

そして方丈中央の「室中の間」で、仏間にはこの聚光院の開祖・笑嶺宗訴の木像を安置。その左隣に本尊の釈迦如来像が安置。その左隣には千利休の木像が安置されてました。また襖絵は狩野永徳筆の『花鳥図』です。

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梅や松の巨木を大胆の筆遣いで描かれています。絵はがきでは、襖は閉まっていますが、当時は、遠くて見づらい状態でしたが仏像も確認できました。(ここより先は撮影禁止のため写真は、ありません。絵はがきをCOPYしました。そのため画像は少々粗いです。)

ここで庭の説明に移ります。狩野永徳り下絵を元に千利休が作ったと伝わる百積の庭と呼ばれる方丈南庭です。

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桃山時代の遺風をとどめており名勝に指定されています。石橋を中心に直線上に数多くの庭石を配していることから百積の庭と呼ばれるています。ただ今日は庭の半分が工事用の足場が組まれているので、正直台無しでした。

次に「檀那の間」で、襖絵は狩野永徳筆の『琴棋書画図』です。 

そして方丈北側に移動し、「衣鉢の間」で、襖絵は狩野永徳の父・狩野松栄筆『竹虎遊猿図』です。

これで方丈襖絵の説明が終わり、次に茶室に移動します。先ず重要文化財「閑隠席(かんいんせき)」です。

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1741年(寛保元年)の利休の150回忌にあたり表千家七代・如心斉(じょしんさい)が寄進したものと伝わっています。広さは三畳で、天井は低く、落天井(らくてんじょう)と呼ばれています。この茶室は利休好みとして作られました。

また隣が重要文化財「桝床席(ますどこせき)」があって、表千家六代・覚々斎(かくかくさい)の好みで、桝のような正方形の床を持つ開放的な四畳半の茶席となっています。また、ここの躙り口は広く作られ、格式の高い人が利用したと考えられています。

この二つの重要文化財の茶室は毎月28日の利休忌には、茶供養が行われており、毎回三千家が交代で執り行われているそうです。

ここで学生ガイドさんからの案内が終わりました。非常に上手で感心です。他の人は知りませんが、上手な人に案内してもらって良かったです。再集合の時間まで、まだたっぷりあったため、もう一回りしてここを出ました。庭は残念な状態でしたが、襖絵や茶室は堪能できました。ただ複製品よりやっぱり本物が見たかったですね。



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