第48回 京の冬の旅 非公開文化財特別公開 建仁寺塔頭 両足院へ
例年なら1月1日から3週間程度、公開される建仁寺塔頭 両足院ですが、今年は第48回 京の冬の旅 非公開文化財特別公開として、特別公開されました。
通常非公開の両足院ですが、2008年以降は半夏生の時期に公開され、過去3回訪れました。この冬の時期に訪れるのは初めてで、楽しみにしてました。
都合で昼からになりましたが、前途した祇園の十二段屋で腹ごしらえを済ませて、約2ヶ月振りの建仁寺境内へ入り、両足院に向かいますが、一言。懐かしい。
昨年新たに作られた通用門が今回の特別公開の入り口でした。
そこで靴を脱ぎ、袋に入れて上がります。ちょうど団体さんが帰られるところで、入れ違いでした。そして最初に目にするのが坪庭です。
これだけ見ると、建仁寺本坊の○△□乃庭に似ています。
通用門から坪庭を見て、その奥の本堂に出ます。先ずは方丈前庭園です。
半夏生の公開時は、あの唐門から入るんです。受付も、そこにありました。
お茶席券を購入した人のみ、あの石畳を歩いて、半夏生の庭へ行くんですが、今回の公開では、庭に降りることはできませんでした。
本堂内に入ると、ガイドさんより案内が始まりました。半夏生の公開時でも案内はありますが、その時は半夏生を写真に撮るのが主目的のため説明を聞いてる暇がありません。ここで初めて案内を聞きました。
建仁寺の創建は、1202年(建仁2)中国から帰国した栄西(ようさい)が鎌倉幕府2代将軍・源頼家の庇護を受けて創建したが始まり。その栄西禅師から数えて35代・龍山徳見(りゅうざんとっけん)禅師を開山に、両足院は創建されました。本尊は阿弥陀如来立像を方丈に安置。この特別公開の期間中のみ、毘沙門天立像も安置されてました。
案内が終わると黒田官兵衛の嫡男・黒田長政が関ヶ原合戦いで内兜に納めていた、開運勝利の守護神・秘仏毘沙門天像をじっくり鑑賞しました。予想外の小さな小さな像でした。(毘沙門天立像は、この冬の旅の期間中のみ見られます)
そしてガイドさんから聞いた長谷川等伯筆の襖絵や屏風図を鑑賞しました(複製品ではなくて、本物です。)。博物館ではガラス越しでしか見られないのを間近で見られるは、大変貴重なものです。ただ堂内は撮影禁止でした。
長谷川等伯筆の襖絵「水辺童子図」
長谷川等伯筆の屏風図「竹林七賢図」
次に書院へ移動しますが、下に降りられないから上から半夏生の庭を鑑賞です。
この門が半夏生の庭の入り口です。昨年も行きましたが、本当に息を呑む程に綺麗な半夏生が群生しています。
正面に茶室が見えますが、左が織田有樂斎の如庵写した「水月亭」。そして右が「臨池亭」です。臨池亭では茶席券を購入すれば、抹茶と和菓子をいただけます。
半夏生の庭(書院前庭園)も半夏生が無いと、こんな感じです。いろいろ想像して来ましたが、答えは綺麗に刈り込まれるんですね。多年草のため、また生えてくるはいつ頃なんでしょうか。
これから向かう書院が見えています。今日はガラス戸が閉まっていますが、半夏生の時期は梅雨時です。もちろん暑いので全開です。
本堂から書院に渡りますが、今日は天気が良すぎました。ガラス越しでも綺麗に半夏生の庭は見えています。
書院に入ると、ガイドさんより案内が始まるところでした。案内にしたがって、書院内にいた人は、お庭の方を向き、話を聞きます。
ガラス越しでも綺麗です。このガラスも波打ってて歴史を感じます。綺麗に刈り込まれた半夏生も見えてました。
ガラス戸の向こうに見えている庭園は、約300坪もあり池泉回遊式庭園となっています。江戸中期、藪内流5代目・竹内紹智によって作庭されました。この庭は、別名・半夏生の庭として2008年(平成20)より一般に公開されるようになりました。そして池は鶴の形をしているを案内で初めて知りました。廻りは半夏生が400株も群生してるので、白鳥の姿を連想するそうです。
伊藤若冲筆「雪梅雄鶏図(せつばいゆうけいず)」、今回の看板にも使われています。
有名な伊藤若冲の絵をじっくり鑑賞したので、書院を出ました。最後にもう一度、半夏生の庭を写真を納めましたけど。
半夏生公開時は、人で一杯になる庭も、今日は降りることができないので、こうして誰もいない庭の写真を撮ることができました。
再び拝観入り口まで戻ってきました。もう一度廻っても良かったんですが、半夏生もないので・・・ここを出ました。通用門と同時期に作られた、新しいお庭です。
枯山水で白砂が綺麗でした。
そして毘沙門天堂です。ここは、いつでも自由参拝できます。
先ほど本堂でお参りさしてもらった毘沙門天は、元は鞍馬寺毘沙門天の胎内仏でした。現在放送中のNHK大河ドラマ「軍師・黒田官兵衛」の嫡男・長政は、この尊像を内兜に収めて奮戦し、勝利を収めたといわれています。そのあと尊像は代々黒田家で信仰されましたが、維新の変革で1877年(明治10)ごろ両足院に寄進されました。
半夏生以外では、毎年、お正月の2週間程度、公開されています。私は、初めて訪れてましたが、来て良かったです。何たって空いてるから。せっかく久しぶりに建仁寺に来たので、このまま帰りません。つづく。
通常非公開の両足院ですが、2008年以降は半夏生の時期に公開され、過去3回訪れました。この冬の時期に訪れるのは初めてで、楽しみにしてました。
都合で昼からになりましたが、前途した祇園の十二段屋で腹ごしらえを済ませて、約2ヶ月振りの建仁寺境内へ入り、両足院に向かいますが、一言。懐かしい。
昨年新たに作られた通用門が今回の特別公開の入り口でした。
そこで靴を脱ぎ、袋に入れて上がります。ちょうど団体さんが帰られるところで、入れ違いでした。そして最初に目にするのが坪庭です。
これだけ見ると、建仁寺本坊の○△□乃庭に似ています。
通用門から坪庭を見て、その奥の本堂に出ます。先ずは方丈前庭園です。
半夏生の公開時は、あの唐門から入るんです。受付も、そこにありました。
お茶席券を購入した人のみ、あの石畳を歩いて、半夏生の庭へ行くんですが、今回の公開では、庭に降りることはできませんでした。
本堂内に入ると、ガイドさんより案内が始まりました。半夏生の公開時でも案内はありますが、その時は半夏生を写真に撮るのが主目的のため説明を聞いてる暇がありません。ここで初めて案内を聞きました。
建仁寺の創建は、1202年(建仁2)中国から帰国した栄西(ようさい)が鎌倉幕府2代将軍・源頼家の庇護を受けて創建したが始まり。その栄西禅師から数えて35代・龍山徳見(りゅうざんとっけん)禅師を開山に、両足院は創建されました。本尊は阿弥陀如来立像を方丈に安置。この特別公開の期間中のみ、毘沙門天立像も安置されてました。
案内が終わると黒田官兵衛の嫡男・黒田長政が関ヶ原合戦いで内兜に納めていた、開運勝利の守護神・秘仏毘沙門天像をじっくり鑑賞しました。予想外の小さな小さな像でした。(毘沙門天立像は、この冬の旅の期間中のみ見られます)
そしてガイドさんから聞いた長谷川等伯筆の襖絵や屏風図を鑑賞しました(複製品ではなくて、本物です。)。博物館ではガラス越しでしか見られないのを間近で見られるは、大変貴重なものです。ただ堂内は撮影禁止でした。
長谷川等伯筆の襖絵「水辺童子図」
長谷川等伯筆の屏風図「竹林七賢図」
次に書院へ移動しますが、下に降りられないから上から半夏生の庭を鑑賞です。
この門が半夏生の庭の入り口です。昨年も行きましたが、本当に息を呑む程に綺麗な半夏生が群生しています。
正面に茶室が見えますが、左が織田有樂斎の如庵写した「水月亭」。そして右が「臨池亭」です。臨池亭では茶席券を購入すれば、抹茶と和菓子をいただけます。
半夏生の庭(書院前庭園)も半夏生が無いと、こんな感じです。いろいろ想像して来ましたが、答えは綺麗に刈り込まれるんですね。多年草のため、また生えてくるはいつ頃なんでしょうか。
これから向かう書院が見えています。今日はガラス戸が閉まっていますが、半夏生の時期は梅雨時です。もちろん暑いので全開です。
本堂から書院に渡りますが、今日は天気が良すぎました。ガラス越しでも綺麗に半夏生の庭は見えています。
書院に入ると、ガイドさんより案内が始まるところでした。案内にしたがって、書院内にいた人は、お庭の方を向き、話を聞きます。
ガラス越しでも綺麗です。このガラスも波打ってて歴史を感じます。綺麗に刈り込まれた半夏生も見えてました。
ガラス戸の向こうに見えている庭園は、約300坪もあり池泉回遊式庭園となっています。江戸中期、藪内流5代目・竹内紹智によって作庭されました。この庭は、別名・半夏生の庭として2008年(平成20)より一般に公開されるようになりました。そして池は鶴の形をしているを案内で初めて知りました。廻りは半夏生が400株も群生してるので、白鳥の姿を連想するそうです。
伊藤若冲筆「雪梅雄鶏図(せつばいゆうけいず)」、今回の看板にも使われています。
有名な伊藤若冲の絵をじっくり鑑賞したので、書院を出ました。最後にもう一度、半夏生の庭を写真を納めましたけど。
半夏生公開時は、人で一杯になる庭も、今日は降りることができないので、こうして誰もいない庭の写真を撮ることができました。
再び拝観入り口まで戻ってきました。もう一度廻っても良かったんですが、半夏生もないので・・・ここを出ました。通用門と同時期に作られた、新しいお庭です。
枯山水で白砂が綺麗でした。
そして毘沙門天堂です。ここは、いつでも自由参拝できます。
先ほど本堂でお参りさしてもらった毘沙門天は、元は鞍馬寺毘沙門天の胎内仏でした。現在放送中のNHK大河ドラマ「軍師・黒田官兵衛」の嫡男・長政は、この尊像を内兜に収めて奮戦し、勝利を収めたといわれています。そのあと尊像は代々黒田家で信仰されましたが、維新の変革で1877年(明治10)ごろ両足院に寄進されました。
半夏生以外では、毎年、お正月の2週間程度、公開されています。私は、初めて訪れてましたが、来て良かったです。何たって空いてるから。せっかく久しぶりに建仁寺に来たので、このまま帰りません。つづく。