狂言堂と嵯峨面工房見学へ
この日2度目の清涼寺(嵯峨釈迦堂)に13時前に着きました。それは、13時よりJR東海「そうだ京都、行こう。」の会員限定イベント、『狂言堂と嵯峨面工房見学』に参加するためでした。
朝の9時30分頃と違って、境内は多くの露店が出ていて、今日は土曜日のため、子供達も多く遊んでいます。その狂言堂前が集合でした。
今日のお松明式の演目が書いてあります。15時30分~大仏供養、17時00分~釈迦如来、18時30分土蜘蛛です。この見学会参加者には、15時30分からの「大仏供養」のみ、席を確保してくれてます。ありがたいことです
。
13時に見学会は始まり、先ず狂言堂内に入ります。もちろん初めてで、1階に通されました。入ってすぐ、本番直前で出番を控えた狂言面がズラリ
と並んでいました。
上から今日の演目順に置いてあります。
その下には、今日の演目で使われる衣装も置かれてました。
けっして広くない(狭い)室内に20人の参加者が入ったので、後ろの人は座る所もないほどです。そして嵯峨代念仏狂言についての案内が始まりました。講師は、芳野 明氏(京都嵯峨芸術大学准教授)で面白おかしく話してくれました。
京都には三大狂言と称させる壬生狂言・閻魔堂狂言・嵯峨狂言があります。この嵯峨念仏狂言のお面で、もっとも古い記録は1529年(享禄2)だそうです。壬生と嵯峨は、お面のデザインは同じで、演目は壬生が30番、嵯峨が20番伝わっています。嵯峨狂言は無言劇で、面は役毎に決まってるそうです。また、この大念仏狂言で使う面を模し、江戸時代から厄除けとして売られていたお面が、嵯峨面というわけです。
話が終わると、この見学会参加者の中から代表2名が、実際にお面を着けるパフォーマンスまで用意されてました。講師の方も話されてましたが、実際お面を着けると前は全く見えないそうです。二人の呼吸を合わせるのは、床を踏む音
だそうです。
次に2階へ上がります。これが一番の楽しみでした。舞台から見た風景は、どうなんだろうと。
まだ開演2時間前だし、ベンチに座ってる人も疎らです。もう二度とここからの風景は見られないだろうし、貴重な体験をさせてもらいました。
今日は朝は冷え込んだので寒かったです。日中は天気も良かったので暖かくなりましたが、舞台の床に座って話しを聞きましたが、お尻が冷たかったです
。
実際に鐘と太鼓。そして笛を吹いてくれました。実際の演目の場合、下からでは音は聞こえても姿は見えません。無言劇のため鐘の音と太鼓の音が重要なんですよね。カンデンデン、カンデンデンが重要の間合いなんかの合図にもなっているでしょう。
このツアーの参加者の中から実際に鐘を突かせて貰えました。ただ笛は難しいので・・・鐘だけです。そして本日見学する大仏供養のストーリーも聞きましたが、ちょっと難しいので、後程・・・
。
話が終わると、案内を聞いてる時から気になってた天井の紐の説明もしてくれました・・・まさかの実際付きで。急遽呼ばれて戸惑う演者さんに実演してもらいました。
急に呼ばれて出て来られた演者の年齢が若いのには、驚きでした。小学生の頃に自発的に応募され入って来られるそうです。
演目は土蜘蛛で、蜘蛛がここに飛び込むんですよ。実際そこまで実演してくれました。これは上から見ないと分からなかったことです。
JR東海の世話役の人も言ってましたが、「まさか、ここまでやっていただけるとは」と言われてました。もちろん参加者全員で、拍手によってお礼を言いました。
通常非公開の狂言堂の内部構造を見学し舞台裏を覗いたあとは、ここより徒歩3分ほどの嵯峨面工『孚石閑房』に移動します。
住宅街の真っ只中にありました。多分、このツアー参会者では私だけでしょう、この前を通ったことがあるのは・・・しかし、ここに嵯峨面工房があったとは・・・知らなかったです。住宅街のため看板だけ撮りました。
藤原孚石(ふじわらふせき)1942年(昭和17)生まれ。 学生時代から父のもとで嵯峨面を作り始める。京都市立美術大学日本画科卒業後、「藤原敏行」の名で日本画家として活躍。各地で個展を開催する傍ら、嵯峨面の二代目孚石を継承。父のアドバイスは「おまえはおまえの面を作れ」の一言。以来、試行錯誤を重ねて、味のある表情の面を数々創作する。
お家に入ると居間にとおされて、そこで藤原孚石さんより嵯峨面の歴史について話をしていただきました。
嵯峨面は、先ほど見学してきた狂言面とは全く違うもので、古くは愛宕神社参りの街道として栄えた街道筋でした。そこには旅籠も何軒かあったり、休憩所もたくさんあり、大阪や滋賀が来られる参拝者で賑わったそうです。そのお土産として売られていたものが嵯峨面で、愛宕信仰と結びついて厄除けの意味もあって発展しました。江戸・明治・大正まで続いてましたが、昭和初期に作る人がいなくなって無くなりましたが、本日、案内していただい藤原孚石さんのお父さんが昭和22~23年頃に復活させました。
嵯峨面は、現在20種類ほどあるそうで・・・この嵯峨に関わる伝説や観光地によるもだそうです。机の上に並んだ嵯峨面を自由に持って見学します。
これは河童のお面です。桂川の上流、保津峡の大堰川に伝わる河童伝説から作られました。
この面はお猿さんのお面です。ここからほど近い嵐山の岩田山に生息する猿にちなんだお面だそです。
張り子面の和紙ですが、江戸期の和紙を使用するそうです。明治・大正期の和紙では、もろくて水に付けると破れるそうで・・・明治以前の和紙を使われるみたいです。生漉きの和紙は丈夫で固くしっかり仕上がり綺麗で最適なんですね。京都寺町の古本屋街から仕入れるみたいで、お面の種類によって、書体も選ばれるそうです。いずれは無くなるでしょうけど、当分は大丈夫だそうです
。
皆さんからの質問が終わると工房に移動します。大変狭い部屋のため20名を半分に分けて見学です。
先ずは、お面の石膏でできた型です。ここに和紙を貼って行かれるんです。
そして先ほど話を聞いた、張り子面の和紙です。ここで何重にも和紙を貼っていかれるみたいです。
その石膏に張られた張り子の和紙です。
色は乾いては塗り、乾いては塗りを12回から13回ほど繰り返します。色は濃淡を付けていくと味わい深くなりお面に深みがでるそうですね。実演は、後を継ぐ息子さんがされました。基本、お二人とも本職は、日本画家だそうです。
ここで自然乾燥させるそうです。冬場は空気が乾燥しているので、最適だそうで、4日~5日で乾くそうです。しかし、夏場は乾きにくいのと、糊が腐ってしまうんだそうです。
6月から9月にかけては、そんなに多くは造れないみたいで、10月からは来年の干支の面の需要があるので、大変忙くなるそうで、深夜や早朝2時頃まで作業されるみたいです。それでも2月の節分までだそうで、それ以降はボチボチだと言われてました。
干支の嵯峨面が飾ってありました。ここで工房の見学は終わって皆さん出られます。後半の組が待っているで・・・。
ここで、どうして確認したいことがあったので、質問を・・・嵯峨面の価格についてです。普通
の嵯峨面は8000円(税別)・干支の面は15000円(税別)でした。そして購入先は、ここ孚石閑房やホテルや百貨店(どこか忘れました
)。少し興味を持ったので・・・ここなら来れるので考えます
。
嵯峨面工房から戻ってきたらお茶とお菓子をいただきました。
10名づつの入れ替えのため、奥様と談笑です。参加者の中には、嵯峨面の価格と購入先を聞いてる人もいましたね
。先ほど工房で聞いた話と同じでした(当たり前
)。
雛人形が飾ってありました。関東から来た人は疑問に思われたんでしょう、質問されてましたね。京都では、旧暦でお祝いするところもあります。
嵯峨面と「そうだ京都、行こう。」会員証とのツーショットです。今日はこれをつけて行動してました。
時間は15時20分になってました。清涼寺(嵯峨釈迦堂)での狂言堂の嵯峨大念仏狂言は15時30分からです。この見学会は、これで終了ですが、前途したとおり狂言の席は確保してくれてます。もちろん参加者全員が希望されたので、再び狂言堂に戻りました。つづく。
【孚石閑房】

朝の9時30分頃と違って、境内は多くの露店が出ていて、今日は土曜日のため、子供達も多く遊んでいます。その狂言堂前が集合でした。
今日のお松明式の演目が書いてあります。15時30分~大仏供養、17時00分~釈迦如来、18時30分土蜘蛛です。この見学会参加者には、15時30分からの「大仏供養」のみ、席を確保してくれてます。ありがたいことです

13時に見学会は始まり、先ず狂言堂内に入ります。もちろん初めてで、1階に通されました。入ってすぐ、本番直前で出番を控えた狂言面がズラリ

上から今日の演目順に置いてあります。
その下には、今日の演目で使われる衣装も置かれてました。
けっして広くない(狭い)室内に20人の参加者が入ったので、後ろの人は座る所もないほどです。そして嵯峨代念仏狂言についての案内が始まりました。講師は、芳野 明氏(京都嵯峨芸術大学准教授)で面白おかしく話してくれました。
京都には三大狂言と称させる壬生狂言・閻魔堂狂言・嵯峨狂言があります。この嵯峨念仏狂言のお面で、もっとも古い記録は1529年(享禄2)だそうです。壬生と嵯峨は、お面のデザインは同じで、演目は壬生が30番、嵯峨が20番伝わっています。嵯峨狂言は無言劇で、面は役毎に決まってるそうです。また、この大念仏狂言で使う面を模し、江戸時代から厄除けとして売られていたお面が、嵯峨面というわけです。
話が終わると、この見学会参加者の中から代表2名が、実際にお面を着けるパフォーマンスまで用意されてました。講師の方も話されてましたが、実際お面を着けると前は全く見えないそうです。二人の呼吸を合わせるのは、床を踏む音

次に2階へ上がります。これが一番の楽しみでした。舞台から見た風景は、どうなんだろうと。
まだ開演2時間前だし、ベンチに座ってる人も疎らです。もう二度とここからの風景は見られないだろうし、貴重な体験をさせてもらいました。
今日は朝は冷え込んだので寒かったです。日中は天気も良かったので暖かくなりましたが、舞台の床に座って話しを聞きましたが、お尻が冷たかったです

実際に鐘と太鼓。そして笛を吹いてくれました。実際の演目の場合、下からでは音は聞こえても姿は見えません。無言劇のため鐘の音と太鼓の音が重要なんですよね。カンデンデン、カンデンデンが重要の間合いなんかの合図にもなっているでしょう。
このツアーの参加者の中から実際に鐘を突かせて貰えました。ただ笛は難しいので・・・鐘だけです。そして本日見学する大仏供養のストーリーも聞きましたが、ちょっと難しいので、後程・・・

話が終わると、案内を聞いてる時から気になってた天井の紐の説明もしてくれました・・・まさかの実際付きで。急遽呼ばれて戸惑う演者さんに実演してもらいました。
急に呼ばれて出て来られた演者の年齢が若いのには、驚きでした。小学生の頃に自発的に応募され入って来られるそうです。
演目は土蜘蛛で、蜘蛛がここに飛び込むんですよ。実際そこまで実演してくれました。これは上から見ないと分からなかったことです。
JR東海の世話役の人も言ってましたが、「まさか、ここまでやっていただけるとは」と言われてました。もちろん参加者全員で、拍手によってお礼を言いました。
通常非公開の狂言堂の内部構造を見学し舞台裏を覗いたあとは、ここより徒歩3分ほどの嵯峨面工『孚石閑房』に移動します。
住宅街の真っ只中にありました。多分、このツアー参会者では私だけでしょう、この前を通ったことがあるのは・・・しかし、ここに嵯峨面工房があったとは・・・知らなかったです。住宅街のため看板だけ撮りました。
藤原孚石(ふじわらふせき)1942年(昭和17)生まれ。 学生時代から父のもとで嵯峨面を作り始める。京都市立美術大学日本画科卒業後、「藤原敏行」の名で日本画家として活躍。各地で個展を開催する傍ら、嵯峨面の二代目孚石を継承。父のアドバイスは「おまえはおまえの面を作れ」の一言。以来、試行錯誤を重ねて、味のある表情の面を数々創作する。
お家に入ると居間にとおされて、そこで藤原孚石さんより嵯峨面の歴史について話をしていただきました。
嵯峨面は、先ほど見学してきた狂言面とは全く違うもので、古くは愛宕神社参りの街道として栄えた街道筋でした。そこには旅籠も何軒かあったり、休憩所もたくさんあり、大阪や滋賀が来られる参拝者で賑わったそうです。そのお土産として売られていたものが嵯峨面で、愛宕信仰と結びついて厄除けの意味もあって発展しました。江戸・明治・大正まで続いてましたが、昭和初期に作る人がいなくなって無くなりましたが、本日、案内していただい藤原孚石さんのお父さんが昭和22~23年頃に復活させました。
嵯峨面は、現在20種類ほどあるそうで・・・この嵯峨に関わる伝説や観光地によるもだそうです。机の上に並んだ嵯峨面を自由に持って見学します。
これは河童のお面です。桂川の上流、保津峡の大堰川に伝わる河童伝説から作られました。
この面はお猿さんのお面です。ここからほど近い嵐山の岩田山に生息する猿にちなんだお面だそです。
張り子面の和紙ですが、江戸期の和紙を使用するそうです。明治・大正期の和紙では、もろくて水に付けると破れるそうで・・・明治以前の和紙を使われるみたいです。生漉きの和紙は丈夫で固くしっかり仕上がり綺麗で最適なんですね。京都寺町の古本屋街から仕入れるみたいで、お面の種類によって、書体も選ばれるそうです。いずれは無くなるでしょうけど、当分は大丈夫だそうです

皆さんからの質問が終わると工房に移動します。大変狭い部屋のため20名を半分に分けて見学です。
先ずは、お面の石膏でできた型です。ここに和紙を貼って行かれるんです。
そして先ほど話を聞いた、張り子面の和紙です。ここで何重にも和紙を貼っていかれるみたいです。
その石膏に張られた張り子の和紙です。
色は乾いては塗り、乾いては塗りを12回から13回ほど繰り返します。色は濃淡を付けていくと味わい深くなりお面に深みがでるそうですね。実演は、後を継ぐ息子さんがされました。基本、お二人とも本職は、日本画家だそうです。
ここで自然乾燥させるそうです。冬場は空気が乾燥しているので、最適だそうで、4日~5日で乾くそうです。しかし、夏場は乾きにくいのと、糊が腐ってしまうんだそうです。
6月から9月にかけては、そんなに多くは造れないみたいで、10月からは来年の干支の面の需要があるので、大変忙くなるそうで、深夜や早朝2時頃まで作業されるみたいです。それでも2月の節分までだそうで、それ以降はボチボチだと言われてました。
干支の嵯峨面が飾ってありました。ここで工房の見学は終わって皆さん出られます。後半の組が待っているで・・・。
ここで、どうして確認したいことがあったので、質問を・・・嵯峨面の価格についてです。普通



嵯峨面工房から戻ってきたらお茶とお菓子をいただきました。
10名づつの入れ替えのため、奥様と談笑です。参加者の中には、嵯峨面の価格と購入先を聞いてる人もいましたね


雛人形が飾ってありました。関東から来た人は疑問に思われたんでしょう、質問されてましたね。京都では、旧暦でお祝いするところもあります。
嵯峨面と「そうだ京都、行こう。」会員証とのツーショットです。今日はこれをつけて行動してました。
時間は15時20分になってました。清涼寺(嵯峨釈迦堂)での狂言堂の嵯峨大念仏狂言は15時30分からです。この見学会は、これで終了ですが、前途したとおり狂言の席は確保してくれてます。もちろん参加者全員が希望されたので、再び狂言堂に戻りました。つづく。
【孚石閑房】