通常非公開の円照寺(山村御殿)へ
正暦時を出発したバスは、例の細い山道を下って行きます。私まで対向車が来ないのを祈りながら・・・
。そして20分ほどで、通常非公開の円照寺(山村御殿)の参道前に着きました。
円照寺は、奈良市山町にある臨済宗妙心寺派の尼寺で、斑鳩の中宮寺、佐保路の法華寺と共に大和三尼門跡と呼ばれる筆頭格の門跡寺院です。
円照寺は通常非公開のためか、駐車場がありません。バス2台が路上駐車。これには少々驚きでした。写真はバスの中から撮った参道入り口です。
正暦寺から円照寺まで約20分の間、バスガイドさんから円照寺参観について、注意事項がありました。注意点はただ一つ、参道から山門に入り本堂に行くまで、菱形の石以外を絶対に歩かないで
と。そのため一列になって進んで下さい。間違っても模様のかかれた砂利を踏まないで下さい
と。私はてっきり、撮影禁止のことかなぁと思いました
。撮影は本堂内以外は自由に撮れました
。
バスを降りて道を横断。バスの運転手が左右を確認されるので安心して渡れます
。この総門
から山門まで1㎞ほど歩くそうてす。
案内図や看板も何も出てません。普段公開されないので、必要ないのでしょう。
団体のため、ゆっくりゆっくり歩いて進みます。普段見られない円照寺のことを考えながら、長い参道もワクワクし楽しみながら歩いてました
。そして黒門を通過。
私が勝手に黒門と呼んでますが、実際は分かりません
。(由緒書やパンフレットもありませんでした)
そして入り口から歩くこと10分弱で山門に着きました。
バスの中でガイドさんより、きつく言われた所です。ここから一列になって進みます。門の前でも「砂紋の砂利は、踏まないで
」と、しつこく言われました。(相当神経質だと思いましたが、次から拝観が出来なくなってしまうかも知れないので、納得です。)
そして正面に玄関を見て直角に右に回ります。
玄関からは、上がりません。玄関も勝手に言ってるだけで、本当は分かりません。ひょっとして大玄関と言うのかも知れません
。
ここで直角に右に回って、砂利を踏んで中門をくぐります。
中門をくぐると綺麗な本堂前庭が広がってますが、それは後程。案内にしたがって、本堂へ上がります。
円通殿と呼ばれる本堂を庭園側から後程見ました。
さほど広くない本堂で皆さん座ります。全員が揃うのをお寺の方が待っててくれましたが、時間がないのか、バスガイドさんから催促がかかり案内が始まりました。尼寺と聞いていたので、説明される方が、男僧だったので、以外でした
。本堂の中央には如意輪観音立像で、その左右に不動明王立像、地蔵菩薩立像が安置されています。
円照寺の歴史は、1640年(寛永17)に後水尾天皇の第一皇女だった幼名・梅宮、後に文智女王が出家され大通文智尼になられ、翌1641年(寛永18)に京都修学院で円照寺を建立されたのが始まりです。しかし修学院離宮の造営が始まったため15年ほとで、2大将軍徳川秀忠の娘で、中宮東福門院(徳川和子)の助力で奈良県八嶋の地に移られました。そして1669年(寛文9)に再度移転され、現在の奈良県山村に移られ現在に至っています。開山以降も、3人の宮様と3人の内親王様が代々住職をされた門前寺院で、明治の中頃まで宮様が来られてたため山村御所と呼ばれていました。
八嶋の地で建立された本堂をそのまま山村に移転された本堂での話しが終わると、ご本尊などの仏像を間近で見ることができました。普段立ち入ることができない寺院で、しかも本堂内に入れるとは思ってもみなかったことです。
そして次に奥御殿(書院)に移動します。本堂と書院との間には、中庭がありました。
多分、今頃は咲いてるであろう梅の木と、大きな一枚岩。これは、円照寺墓山古墳群の中にあった石室の蓋で、供養を頼まれ、ここに安置していると聞きました。大正時代のことで、どうのように運ばれたのか
一説には床を剥がして中庭まで運んだのでは
と。記録が残ってないそうです。
全員で奥御殿に移動し、揃ったところで案内が始まりました。
奥御殿は、1849年(嘉永2)第六世伏見宮文秀女王が建立で、参殿に来られてた裁判官などの高官たちとの対面に使用されました。部屋は、書院造りの形式でした。
ここでサプライズの演出がありました。左の障子は小窓が付いてて、雪見障子と言います。その小窓を開けると、先般の大雪の名残。雪が残っており、文字通りの雪見障子でした。これにはツアー客が一斉に大歓声があがりました。
室内の説明が終わり障子を開けられたら、綺麗な奥御殿庭園が見えました。ツアー客から再び歓声があがるほど綺麗なな庭園です。
椿・桜・躑躅・百日紅・紅葉と四季折々楽しめるそうです。「本当に普段見られないのは、もったいない」と思いました。これを見られただけでも、今日参加して良かったです
。
再び本堂に戻ると、皆さん庭に降りられてました。まず本堂から向かって右を見ると神社が。
説明では、三社神社と言われてました。
その横が阿弥陀堂です。
1746年(延享3)円照寺開基の文智女王50回忌に建てられました。
白砂の中に大きな石がありますが、弥勒石で阿弥陀さんをあらわしています。また、まわりに25個の石があって25菩薩でご来光をあらわしています。そのように案内されましたが、25個の石は分かりませんでした。
本堂から奥へ移動します。白砂を踏まないように注意しながら・・・。本堂からは見えませんでしたが、ここに池がありました。かつて蓮池だったようです。
今では、ザリガニに食べられ蓮はありません。錦鯉が優雅に泳いでいました。
振り返ると十三重石塔と奥に本堂です。
本堂で座り、寛いでるツアー客が見えています。あそこから、ここまで移動してきました。
さらに小高い所まで登れるので、皆さん行かれます。振り返ると入母屋茅葺き造りの本堂が見えています。
初めて本堂を見た時、茅葺きだったんで、珍しいと思いました。白川郷で見た寺も本堂が茅葺きだったように記憶してますが・・・。
その小高い所にあったのが、酒樽の茶室でした。
これも珍しいので、皆さん盛んに写真を撮られてました。実際使われてるだろか
・・・分かりません。
庭園を自由散策したあと、再び集合がかかりバスまで戻ります。この菱形の石組みを一人づつ砂利を踏まないように進んで行きます。
帰りも注意しながら歩きました
。
注意しながら歩いて山門へ到着。
この山門右手にトイレがあって、しばし休憩タイム。トイレは、ここしか無いみたいです。中で訪ねたら「ここまで我慢できますか
」と言われたもので。
そして左手には鐘楼がありました。
あまりに高い所にあるので、下からでは全く見えません
。
バスまで戻る参道の途中に・・・西国三十三ヶ所霊場の石碑が・・・。
ツアーじゃなかったら階段を上がって確かめてみたかったです。こんな所にあったけ
が感想です。(私は、西国霊場を2回廻りました)
そして、さらに参道を戻ると崇道天皇陵の矢印が出てました。
さらに奥深い山道を入るのかと思いました。(帰って地図を見ると、一山超した県道に出る手前の平坦な所でした。
)
バスは路上に駐車中のままでした。バスまで戻りましたが、やっはり遅れる人もいるので、少し待ちました。天気予報のとおり曇空に変わりましたが、奈良市内は煙っています。
この霞みの原因は、ここ数日話題になっているPM2.5が犯人です。中国から飛んで来た、本当に迷惑な物質です。私は花粉症のためマスクはしてますが・・・それでも防げないんですね。
絶妙の時間配分で、近鉄奈良駅には時間どおりに着きました。奈良のお土産を少しだけ買って近鉄特急で帰りました。正暦寺の楽しい住職さんのお話。普段見られない円照寺の庭園や堂内。本当に楽しい一日でした。このような企画があるかどうか、これからは要チェックです
。


円照寺は、奈良市山町にある臨済宗妙心寺派の尼寺で、斑鳩の中宮寺、佐保路の法華寺と共に大和三尼門跡と呼ばれる筆頭格の門跡寺院です。
円照寺は通常非公開のためか、駐車場がありません。バス2台が路上駐車。これには少々驚きでした。写真はバスの中から撮った参道入り口です。
正暦寺から円照寺まで約20分の間、バスガイドさんから円照寺参観について、注意事項がありました。注意点はただ一つ、参道から山門に入り本堂に行くまで、菱形の石以外を絶対に歩かないで




バスを降りて道を横断。バスの運転手が左右を確認されるので安心して渡れます


案内図や看板も何も出てません。普段公開されないので、必要ないのでしょう。
団体のため、ゆっくりゆっくり歩いて進みます。普段見られない円照寺のことを考えながら、長い参道もワクワクし楽しみながら歩いてました

私が勝手に黒門と呼んでますが、実際は分かりません

そして入り口から歩くこと10分弱で山門に着きました。
バスの中でガイドさんより、きつく言われた所です。ここから一列になって進みます。門の前でも「砂紋の砂利は、踏まないで

そして正面に玄関を見て直角に右に回ります。
玄関からは、上がりません。玄関も勝手に言ってるだけで、本当は分かりません。ひょっとして大玄関と言うのかも知れません

ここで直角に右に回って、砂利を踏んで中門をくぐります。
中門をくぐると綺麗な本堂前庭が広がってますが、それは後程。案内にしたがって、本堂へ上がります。
円通殿と呼ばれる本堂を庭園側から後程見ました。
さほど広くない本堂で皆さん座ります。全員が揃うのをお寺の方が待っててくれましたが、時間がないのか、バスガイドさんから催促がかかり案内が始まりました。尼寺と聞いていたので、説明される方が、男僧だったので、以外でした

円照寺の歴史は、1640年(寛永17)に後水尾天皇の第一皇女だった幼名・梅宮、後に文智女王が出家され大通文智尼になられ、翌1641年(寛永18)に京都修学院で円照寺を建立されたのが始まりです。しかし修学院離宮の造営が始まったため15年ほとで、2大将軍徳川秀忠の娘で、中宮東福門院(徳川和子)の助力で奈良県八嶋の地に移られました。そして1669年(寛文9)に再度移転され、現在の奈良県山村に移られ現在に至っています。開山以降も、3人の宮様と3人の内親王様が代々住職をされた門前寺院で、明治の中頃まで宮様が来られてたため山村御所と呼ばれていました。
八嶋の地で建立された本堂をそのまま山村に移転された本堂での話しが終わると、ご本尊などの仏像を間近で見ることができました。普段立ち入ることができない寺院で、しかも本堂内に入れるとは思ってもみなかったことです。
そして次に奥御殿(書院)に移動します。本堂と書院との間には、中庭がありました。
多分、今頃は咲いてるであろう梅の木と、大きな一枚岩。これは、円照寺墓山古墳群の中にあった石室の蓋で、供養を頼まれ、ここに安置していると聞きました。大正時代のことで、どうのように運ばれたのか


全員で奥御殿に移動し、揃ったところで案内が始まりました。
奥御殿は、1849年(嘉永2)第六世伏見宮文秀女王が建立で、参殿に来られてた裁判官などの高官たちとの対面に使用されました。部屋は、書院造りの形式でした。
ここでサプライズの演出がありました。左の障子は小窓が付いてて、雪見障子と言います。その小窓を開けると、先般の大雪の名残。雪が残っており、文字通りの雪見障子でした。これにはツアー客が一斉に大歓声があがりました。
室内の説明が終わり障子を開けられたら、綺麗な奥御殿庭園が見えました。ツアー客から再び歓声があがるほど綺麗なな庭園です。
椿・桜・躑躅・百日紅・紅葉と四季折々楽しめるそうです。「本当に普段見られないのは、もったいない」と思いました。これを見られただけでも、今日参加して良かったです

再び本堂に戻ると、皆さん庭に降りられてました。まず本堂から向かって右を見ると神社が。
説明では、三社神社と言われてました。
その横が阿弥陀堂です。
1746年(延享3)円照寺開基の文智女王50回忌に建てられました。
白砂の中に大きな石がありますが、弥勒石で阿弥陀さんをあらわしています。また、まわりに25個の石があって25菩薩でご来光をあらわしています。そのように案内されましたが、25個の石は分かりませんでした。
本堂から奥へ移動します。白砂を踏まないように注意しながら・・・。本堂からは見えませんでしたが、ここに池がありました。かつて蓮池だったようです。
今では、ザリガニに食べられ蓮はありません。錦鯉が優雅に泳いでいました。
振り返ると十三重石塔と奥に本堂です。
本堂で座り、寛いでるツアー客が見えています。あそこから、ここまで移動してきました。
さらに小高い所まで登れるので、皆さん行かれます。振り返ると入母屋茅葺き造りの本堂が見えています。
初めて本堂を見た時、茅葺きだったんで、珍しいと思いました。白川郷で見た寺も本堂が茅葺きだったように記憶してますが・・・。
その小高い所にあったのが、酒樽の茶室でした。
これも珍しいので、皆さん盛んに写真を撮られてました。実際使われてるだろか

庭園を自由散策したあと、再び集合がかかりバスまで戻ります。この菱形の石組みを一人づつ砂利を踏まないように進んで行きます。
帰りも注意しながら歩きました

注意しながら歩いて山門へ到着。
この山門右手にトイレがあって、しばし休憩タイム。トイレは、ここしか無いみたいです。中で訪ねたら「ここまで我慢できますか

そして左手には鐘楼がありました。
あまりに高い所にあるので、下からでは全く見えません

バスまで戻る参道の途中に・・・西国三十三ヶ所霊場の石碑が・・・。
ツアーじゃなかったら階段を上がって確かめてみたかったです。こんな所にあったけ

そして、さらに参道を戻ると崇道天皇陵の矢印が出てました。
さらに奥深い山道を入るのかと思いました。(帰って地図を見ると、一山超した県道に出る手前の平坦な所でした。

バスは路上に駐車中のままでした。バスまで戻りましたが、やっはり遅れる人もいるので、少し待ちました。天気予報のとおり曇空に変わりましたが、奈良市内は煙っています。
この霞みの原因は、ここ数日話題になっているPM2.5が犯人です。中国から飛んで来た、本当に迷惑な物質です。私は花粉症のためマスクはしてますが・・・それでも防げないんですね。
絶妙の時間配分で、近鉄奈良駅には時間どおりに着きました。奈良のお土産を少しだけ買って近鉄特急で帰りました。正暦寺の楽しい住職さんのお話。普段見られない円照寺の庭園や堂内。本当に楽しい一日でした。このような企画があるかどうか、これからは要チェックです
