『京土産の定番!八ッ橋のすべて』へ

4月20日(日)、JR東海「そうだ京都、行こう。」の会員限定イベントである『京土産の定番!八ッ橋のすべて』へ行ってきました。

このイベントは、京土産の定番である八ッ橋をより深く知ることが目的で、通常非公開のやつはし寺こと常光院にもお参りできるとあって、この企画に魅力を感じた次第です。

当日の集合は、聖護院八ッ橋総本店でした。

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写真、背の高いビルが本社ビルです。この向かいが京大病院で、山中教授で有名になりました。

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本社ビルに中に受付があって、名前の確認後、4階へエレベータで上がりました。(苦手なエレベータは、この時だけ。後は、階段を利用しました

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今日は定員どおり20名が参加されました。そして9時30分ちょうどに特別鑑賞会が始まりました。講師は、聖護院八ッ橋総本店の木全正則(きまた まさのり)さんで、ここの歴史について簡単に話されました。

そして・・・いよいよ、お待ちかねの工場見学です。聖護院八ッ橋さんより注意点は「写真はOKで、何を撮ってもらっても結構です。しかし、ブログやツイッターなどネットに掲載するのはやめて下さい」とありましたので、写真は載せません。約束ですから

3階と2階で、八ッ橋の製造工程を見学させていただきました。ここでは生の八ッ橋を作られています(焼き八ッ橋は、滋賀県の工場で製造されています)。まず3階へ降りると職人さんから元気ある挨拶の出迎えを受け、その熱気あふれる工場内を前途の木全氏から解説付きで、職人さんの手仕事や機械の動きを間近で見られ臨場感あふれる現場でした。また、熱々の出来たての試食というより、実演もあって工場見学ならではの楽しみを堪能させてもらいました。

2班に分かれて、10名で工場見学し、もうひと班は、映像鑑賞をします。見学時間は約25分程度でした。全員が4階に揃ったところで、今度は、ここから100㍍ほど東に行った聖護院八ッ橋総本店でお買い物の時間です。

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ここ本店を構える地は、初めて八ッ橋が売り出された由緒ある場所だそうです。先ほどの案内で、直営店だけにしか売っていない商品を紹介されたので、買って帰りました。そして会社の人のお土産も

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なお、この看板の書は、富岡鉄斎によるものです。

焼き八ッ橋の形は、箏の形をしています。それは、箏の名手であった八橋検校を偲んで作られたからです。今年は八橋検校が生まれてちょうど400年の節目に当たるそうです。聖護院八ッ橋総本店さんは、創業から325年、創意工夫を重ねて八ッ橋を京都土産の定番まで広められました。 

次にここはらさらに100㍍ほど東に行った金戒光明寺にお参りに行きます。そこには八橋検校のお墓があるので、今日参加された全員で、お墓参りに行きました。

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金戒光明寺塔頭 常光院のご住職さの案内のもとお参りさせてもらいました。下の写真の石碑には、八橋検校の業績が書かれています。

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金戒光明寺の三重塔に向けて階段を上がって行きます。相当しんどいです。その途中に住職さんの案内で、分かったことですが、ここには「八橋検校のお墓」と石碑に書いてありました。

最後に、通称「やつはし寺」の金戒光明寺塔頭 常光院に初めて入ります。

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通常非公開の常光院に入ることは出来ません。今日のイベントに参加した理由は、これでした。門前の石碑も箏の琴柱の形をしています。

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住職さんの案内のもとに玄関から中に入りました。

まず書院に案内されて、お茶菓子をいただきながら休憩します。

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ここでご住職さんのお話を聞くのかと思ったら、次に本堂に行くように案内されました。

本堂はまだ新しい造りで、多分鉄筋コンクリートだと思いました。

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ここで20名が座り、住職さんの話を聞きます。その前に住職さんがご本尊の前で和文によるお経(昭和44年からと言われてました)を唱えられます。その間に会員は、八橋検校の位牌の前で焼香をしお参りしていきます。お経は10分足らずでした。常光院は浄土宗で、南無阿弥陀仏と唱えます。本尊は、阿弥陀如来像でお参りすることによって、御縁を結でほしいと言われてました。

やつはし寺と呼ばれていますが、ご住職さん曰く八橋検校の事は詳しくないそうです。常光院は浄土宗のお寺で法然上人が宗祖です。総本山が知恩院で、全国に7ケ寺ある大本山の一つである金戒光明寺は、法然上人が初めて草庵を結んだ地でもあります。常光院は18ケ寺ある塔頭寺院の一つで、建立は1577(天正5)年に建立され、当初は明壽院と称してましたが、1644(正保元)年に常光院へと改めました。八橋検校との関わりは戦後になってからで、毎年命日にあたる6月12日に八橋忌が営まれるようになったそうです。それも聖護院八ッ橋総本店さんのご助力があったからだと言われてました。

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1614年頃~1685年 福島県いわき市の生まれと言われていますが、はっきりと分からないそうです。

八橋検校は幼い頃から目が不自由で、目が見えない人の集まりである「当道座」に入りました。初めは三味線で名を知られるようになり、後に箏曲を習い、筑紫箏を始めた賢順(けんじゅん)の弟子に学んだと言われています。1650(慶安3)年前後から、それまでの筑紫箏から新しい調弦法を編み出し『雲井の曲』『八段の調』などの箏曲を作曲されました。これらの箏曲は、芸術的にも優れたもので、近代箏曲を確立。1663(寛文2)年頃から京都に暮らし、多くの弟子を育て、その多くの弟子に見守れながら、1685(貞享2)年に一生を閉じ金戒光明寺に葬られました。

今日の鑑賞会も12時40分に終わりました。予定より10分過ぎてますが、内容は濃く満足して、ここを出ました。住職さんが面白い話をされました。常光院は通常非公開とありますが、非公開はお寺では、あり得ないことで、お参りしたいと来られたら、よほどの所要がなければ、拒むことはできないそうです。通常非公開とは、観光寺院では無いと言うことです。(著名な非公開寺院、例えば妙心寺や大徳寺に多くありますが、いきなり訪問しても拒絶されるでしょうね。間違いないです。)

折角きたので(入れたので)お庭を見させてもらいました。

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先ず庭園入口に、見頃の藤が綺麗に咲いてます。

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夏ミカンの実と金戒光明寺の山門をバックに撮りました。山門も修復工事が終わって、綺麗に蘇っています。

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そして垣根には椿の花が咲いています。

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枝垂れ桜は、葉桜の一歩手前でした。もう少し早ければ綺麗だったでしょうね。

最後に、八ッ橋は1689(元禄2)年の江戸時代に八橋検校のお墓参りに訪れる人々のために作られたものが始まりだと言われてます。ここで京名物の八ッ橋が誕生したことは、今日初めて知りました。

【聖護院八ッ橋本店】






【金戒光明寺塔頭 常光院】


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