会報『京の茶室』公演と世界遺産『仁和寺』文化財特別鑑賞へ
3月28日(金)京都市文化観光資源保護財団主催の会報『京の茶室』公演と世界遺産『仁和寺』文化財特別鑑賞に行ってきました。
平日のため昼から休みを取っての参加となりました。鑑賞会が13時に開始されるので、お昼を食べる時間はありません・・・と言うよりギリギリ間に合うかでしたので、タクシーで向かいました。
仁和寺は、2011年4月21日に御室桜を見に行って以来です。久し振りに見る二王門(重要文化財)は雄大でした。
人も車も多いし、おまけに門前にはタクシーが客待ちしてて・・・景観は台無しです
。
門を入って、中門を遠くに見てます。さすがに世界文化遺産に登録されてることあって、外国人が多いこと(西洋人・東洋人・中東アラビア・・・)。
この中門から仁王門にかけては、映画やテレビのロケでよく使われています。後で説明を聞いて分かったことですが、仁和寺は景観を大事にされてて、目に付くようなところには電柱を地下に埋設したりしたそうです。
雄大な二王門を入って左手に拝観受付があって、その前に本坊表門があります。
ここから仁和寺御所の入り口となっています。玄関前の梅も綺麗てした。
入って右手が大玄関で拝観入り口です。今回の特別鑑賞の受付は、本坊表玄関から入りました。
ここは寺務所の入り口で、一般の人は入れないです。
靴を脱いで表玄関を上がり、案内にしたがって長い廊下を進み、会場の大広間に出ました。その前あった中庭です。
後で拝観する白書院や黒書院の奥に、このような寺務所があるとは思わなかったです。
大広間にて13時より、工学博士・京都建築専門学校教員 桐浴邦夫(きりさこくにお)氏より『京の茶室』についての講演を聴きました。
○室町時代から桃山時代へ ・会所 ・庵 ・慈照寺(銀閣寺)の東求堂
○桃山時代とその遺響Ⅰ ・妙喜庵待庵(京都山崎) ・高台寺傘亭および時雨亭
○桃山時代とその遺響Ⅱ ・真珠庵庭玉軒(大徳寺塔頭) ・藪内家燕庵
○公家の好み ・伏見稲荷大社御茶屋 ・曼殊院の書院と茶室
○仁和寺の茶室 ・飛濤亭 ・遼廓亭
以上、1時間スライドを交え詳しく話しを聞きました。続いて仁和寺総本山 執行長 瀬川大秀氏より『仁和寺の歴史と文化財』について、30分講話をいただきました。なお、桐浴先生は、京都市文化観光資源保護財団の会報にて「京の茶室」を書かれてて、毎回楽しんで読ませてもらっています。
仁和寺は、真言宗御室派の総本山で、888年(仁和4)に創建され、年号の「仁和」をとって大内山仁和寺と名付けられました。旧御室御所と言われるのは、宇多天皇が退位のあと、法皇として御所を仁和寺に営まれたゆえんからです。それ以来歴代天皇の皇子が門跡(住職)を継承し、明治維新に至るまで、門跡寺院の筆頭として現在に至っています。
公演が終わったら、次に講師の方の説明で拝観です。本坊表玄関を出て、ここで2班に分かれます。私の班は、御殿の表玄関から入りました。
この大玄関が一般の拝観入り口となるため、少々大混雑。一般の拝観者は驚かれたことでしょう。
最初の案内は、御室流華道のことについです。
平安時代に仁和寺を創建した宇多天皇は大変花を愛されたと言う。そして創建時に、仏前に供える供華としての挿花を淵源としています。
次に白書院に移動します。大人数(約50名)で移動するため通路が狭いなか、襖絵の説明です。
白書院の全景です。宸殿から撮りました(2009年10月撮影)
1887年(明治20)仁和寺御殿が焼失しため仮宸殿として、1890年(明治23)に再建されました。その後、宸殿が再建されると、白書院と呼ばれるようになりました。
1937年(昭和12)に福永晴帆画伯によって、松を主題にした四季おりおりの景色が描かれています。
次にその白書院の前に広がる南庭の案内です。
右が二王門。正面が勅使門です。白砂が゛美しい枯山水庭園でした。
白書院の前には多くの観光客が座って南庭を見られてる中、50名もの大集団が住職さんから話を聞くので、さぞかし迷惑だったのか、それとも説明が聞けてラッキーだったのか、どちらでしょぅか
。
次に宸殿へ移動です。
御殿の中で最も重要な建物で、1909年(明治42)着工し、1914年(大正3)に竣工しました。客殿は、西から東に向けて、上段の間、中段の間、下段の間の三室によって構成され、東端には車寄せが設けられています。
御室御所と言われる由縁でしょうか
この宸殿前にも、右近の橘、左近の桜がありました。
宸殿の襖絵は、全て1913年(大正2)に原在泉画伯によって、描かれています。
下段の間は、冬の「鷹野行幸図」(大阪府交野市)です。
中段の間は、「大堰川三船之図」です。初夏の三船祭りの模様でしょうか
。
最後は上段の間です。武者隠しなんかがあって、さすが御殿です
。床には「遠山流水」、襖絵には春の「桜花」が描かれています。
宸殿までくると見所は、北庭です。
池泉回遊式庭園となっており、五重塔が借景で綺麗です
と言いたいところ、住職さんの話では、「五重塔は借り物じゃありません。自前です」と
。
正面に滝があって、池の形は「心」を表しているとか。
最後に左を見れば、奥に霊明殿が見えています。それにしても天気良すぎです。ちなみに最高気温が23℃まで上がりました。
先ほど白書院を説明を聞きながら見学しました。白があれば当然、次は黒書院です。
1887年(明治20)御殿の焼失復旧のため旧安井門跡の寝殿構造の遺構を移して黒書院としたもので1909年(明治42)に完成しました。裏に「竹の間」、表に「柳の間」「松の間」「上段の間及び秋草の間」で構成されています。
襖絵は1931年(昭和6)宇多野天皇一千年、弘法大師一千百年御忌の記念事業により、堂本印象画伯によって、描かれました。
「柳の間」
「松の間」
「上段の間・秋草の間」。堂本印象が付けた画題の名がそのまま各室の名称となっています。
最後の最後、霊明殿の案内です。
50名もの大集団が御殿内のもっとも北側に移動して、案内を聞きました。
宸殿の北東に位置する霊明殿は、仁和寺の院家であった喜多(北)院の本尊 薬師如来坐像を安置する為に1911年(明治44)に建立されました。
霊明殿を全員で一周して見学したあとは、これから通常非公開の茶室の見学です。どこから降りるんだろうと思ってたら、この霊明殿の奥から降りることになりました。この模様はつづく。

平日のため昼から休みを取っての参加となりました。鑑賞会が13時に開始されるので、お昼を食べる時間はありません・・・と言うよりギリギリ間に合うかでしたので、タクシーで向かいました。
仁和寺は、2011年4月21日に御室桜を見に行って以来です。久し振りに見る二王門(重要文化財)は雄大でした。
人も車も多いし、おまけに門前にはタクシーが客待ちしてて・・・景観は台無しです

門を入って、中門を遠くに見てます。さすがに世界文化遺産に登録されてることあって、外国人が多いこと(西洋人・東洋人・中東アラビア・・・)。
この中門から仁王門にかけては、映画やテレビのロケでよく使われています。後で説明を聞いて分かったことですが、仁和寺は景観を大事にされてて、目に付くようなところには電柱を地下に埋設したりしたそうです。
雄大な二王門を入って左手に拝観受付があって、その前に本坊表門があります。
ここから仁和寺御所の入り口となっています。玄関前の梅も綺麗てした。
入って右手が大玄関で拝観入り口です。今回の特別鑑賞の受付は、本坊表玄関から入りました。
ここは寺務所の入り口で、一般の人は入れないです。
靴を脱いで表玄関を上がり、案内にしたがって長い廊下を進み、会場の大広間に出ました。その前あった中庭です。
後で拝観する白書院や黒書院の奥に、このような寺務所があるとは思わなかったです。
大広間にて13時より、工学博士・京都建築専門学校教員 桐浴邦夫(きりさこくにお)氏より『京の茶室』についての講演を聴きました。
○室町時代から桃山時代へ ・会所 ・庵 ・慈照寺(銀閣寺)の東求堂
○桃山時代とその遺響Ⅰ ・妙喜庵待庵(京都山崎) ・高台寺傘亭および時雨亭
○桃山時代とその遺響Ⅱ ・真珠庵庭玉軒(大徳寺塔頭) ・藪内家燕庵
○公家の好み ・伏見稲荷大社御茶屋 ・曼殊院の書院と茶室
○仁和寺の茶室 ・飛濤亭 ・遼廓亭
以上、1時間スライドを交え詳しく話しを聞きました。続いて仁和寺総本山 執行長 瀬川大秀氏より『仁和寺の歴史と文化財』について、30分講話をいただきました。なお、桐浴先生は、京都市文化観光資源保護財団の会報にて「京の茶室」を書かれてて、毎回楽しんで読ませてもらっています。
仁和寺は、真言宗御室派の総本山で、888年(仁和4)に創建され、年号の「仁和」をとって大内山仁和寺と名付けられました。旧御室御所と言われるのは、宇多天皇が退位のあと、法皇として御所を仁和寺に営まれたゆえんからです。それ以来歴代天皇の皇子が門跡(住職)を継承し、明治維新に至るまで、門跡寺院の筆頭として現在に至っています。
公演が終わったら、次に講師の方の説明で拝観です。本坊表玄関を出て、ここで2班に分かれます。私の班は、御殿の表玄関から入りました。
この大玄関が一般の拝観入り口となるため、少々大混雑。一般の拝観者は驚かれたことでしょう。
最初の案内は、御室流華道のことについです。
平安時代に仁和寺を創建した宇多天皇は大変花を愛されたと言う。そして創建時に、仏前に供える供華としての挿花を淵源としています。
次に白書院に移動します。大人数(約50名)で移動するため通路が狭いなか、襖絵の説明です。
白書院の全景です。宸殿から撮りました(2009年10月撮影)
1887年(明治20)仁和寺御殿が焼失しため仮宸殿として、1890年(明治23)に再建されました。その後、宸殿が再建されると、白書院と呼ばれるようになりました。
1937年(昭和12)に福永晴帆画伯によって、松を主題にした四季おりおりの景色が描かれています。
次にその白書院の前に広がる南庭の案内です。
右が二王門。正面が勅使門です。白砂が゛美しい枯山水庭園でした。
白書院の前には多くの観光客が座って南庭を見られてる中、50名もの大集団が住職さんから話を聞くので、さぞかし迷惑だったのか、それとも説明が聞けてラッキーだったのか、どちらでしょぅか


次に宸殿へ移動です。
御殿の中で最も重要な建物で、1909年(明治42)着工し、1914年(大正3)に竣工しました。客殿は、西から東に向けて、上段の間、中段の間、下段の間の三室によって構成され、東端には車寄せが設けられています。
御室御所と言われる由縁でしょうか

宸殿の襖絵は、全て1913年(大正2)に原在泉画伯によって、描かれています。
下段の間は、冬の「鷹野行幸図」(大阪府交野市)です。
中段の間は、「大堰川三船之図」です。初夏の三船祭りの模様でしょうか

最後は上段の間です。武者隠しなんかがあって、さすが御殿です

宸殿までくると見所は、北庭です。
池泉回遊式庭園となっており、五重塔が借景で綺麗です


正面に滝があって、池の形は「心」を表しているとか。
最後に左を見れば、奥に霊明殿が見えています。それにしても天気良すぎです。ちなみに最高気温が23℃まで上がりました。
先ほど白書院を説明を聞きながら見学しました。白があれば当然、次は黒書院です。
1887年(明治20)御殿の焼失復旧のため旧安井門跡の寝殿構造の遺構を移して黒書院としたもので1909年(明治42)に完成しました。裏に「竹の間」、表に「柳の間」「松の間」「上段の間及び秋草の間」で構成されています。
襖絵は1931年(昭和6)宇多野天皇一千年、弘法大師一千百年御忌の記念事業により、堂本印象画伯によって、描かれました。
「柳の間」
「松の間」
「上段の間・秋草の間」。堂本印象が付けた画題の名がそのまま各室の名称となっています。
最後の最後、霊明殿の案内です。
50名もの大集団が御殿内のもっとも北側に移動して、案内を聞きました。
宸殿の北東に位置する霊明殿は、仁和寺の院家であった喜多(北)院の本尊 薬師如来坐像を安置する為に1911年(明治44)に建立されました。
霊明殿を全員で一周して見学したあとは、これから通常非公開の茶室の見学です。どこから降りるんだろうと思ってたら、この霊明殿の奥から降りることになりました。この模様はつづく。