シャガの花が満開の愛宕念仏寺へ
大型連休も終わって週末はゆっくりしようと思ってたら、テレビのニュースで、「愛宕念仏寺のシャガの花が見頃になった」と流れてきました。「そう言えば愛宕念仏寺も久しく言ってないなぁ」と・・・さっそく5月10日(土)の朝に行ってきました。
愛宕山(あたごやま)の山麓にありますが、「おたぎねんぶつじ」と読みます。元々は六波羅蜜寺のほど近くにあって1922(大正11)年に奥嵯峨の地に移ってこられました。
戦前、現在の清滝街道は愛宕山電鉄の線路でした。その鉄道用のトンネルであった清滝トンネルまでが複線。そのトンネル以降は単線であったようです。少し脱線しましたが、そのトンネルの手前に仁王門があります。
鎌倉時代に造られた建物で、京都市指定文化財に指定されてます。
仁王門を入って左手に拝観受付があります。
拝観料300円。拝観時間は8時からです。最初来た時は、拝観料は志納でしたが・・・かなり前の話です。
さて、入ると満開のシャガの花が目にとまります。ニュース映像で見たのが「これだったのか・・・」と。
シャガの花が群生して咲いてますが、そんなに珍しいものじゃありませんが、綺麗なものです。
ここの堂宇は、小高いところにあるので、階段を登って散策します。朝早く来ましたが、先客は一人。それも直ぐに帰られたので、ここからは独占です。
この奥嵯峨では、祇王寺・化野念仏寺が観光客で賑わいます。それも紅葉の時期には半端じゃないほど観光客が訪れますが、その化野念仏寺よりさらに奥へ上ってくるので、紅葉の穴場でした。拝観受付所で由緒書きをいただいたので、この寺の歴史を調べてみました。
現在の西院から東山方面にかけてを、昔は愛宕郡(おだぎぐん)と言ったそうです。そして、奈良時代の末に、聖武天皇の娘の称徳天皇がここに寺を建てました。それが愛宕(おたぎ)の地に建てられたので愛宕寺と言いました。ところが平安時代の初めに、鴨川の洪水で多くの堂宇が流れて廃寺となってしまいました。その復興を命じられたのが天台宗の千観内供(伝燈大法師)でした。その千観(918~984年)が、いつも念仏を唱えていたので、名を愛宕念仏寺と呼ばれるようになりました。その後、荒廃を繰り返し最後は、本堂、地蔵堂、仁王門を残すばかりとなり、前途しました、1922(大正11)年に奥嵯峨の地に移転されました。。1955(昭和30)年西村公朝が住職となり、同寺の復興に当たりましたが、最初は困難を極めたそうです。1981(昭和56)年、寺門興隆を祈念して、境内を500羅漢の石像で充満させたいと発願し、その10年後には1200羅漢を達成し「千二百羅漢落慶法要」を厳修され、今日に至っています。
そのまま階段を上がって行った先には地蔵堂があります。
ここの階段は、ここだけです。そんなにしんどくなく上がれます。
階段の途中にも羅漢さんがあって、中には天狗の羅漢さんもありました。1200体もあるで、充分楽しめます。
く愛宕本地仏火除地蔵尊を安置。古くから延命地蔵さんとしても親しまれています。過去、何度が来ましたが、中に入れたのは初めてです。お参りさせてもらいました。
地蔵堂の前の羅漢さんです。
この辺りから多く羅漢さんが山裾に置かれています。一つ一つ表情があるので、見てて飽きません。中には大笑いしている羅漢さんも。
地蔵堂の対面にあるのが重要文化財・本堂です。
鎌倉時代の建造物で、美しい曲線を今にとどめています。
本尊は千手観音で、ここも内部に初めて入れました。シャガを見に来ましたが、何だか得した気分です。
本堂を出てさらに奥にある多宝塔へ向かいます。
多宝塔は多くの羅漢さんに囲まれています。どれもこれも表情豊かですね。
約1200体もあるので・・・中には、髭をはやしたり、ラケットを持ってたり、ネックレスをしたりしています。
地蔵堂と本堂の間にあるのが、ふれ愛観音堂です。
手で触れて拝むために造られた観音様です。の不自由な人たちに、仏との縁を結んでもらうために生まれた観音様だそうです。
ここで、下に降りました。下りは別のルートから降ります。すると途中に三宝の鐘があります。
山裾にそってシャガが群生してて綺麗に咲き誇っています。仏法僧の三鐘として、その音律よって仏の心を自然界に伝える・・・と書いてありましが、正直、よく分からない。
そのまま羅漢さんとシャガの花を楽しみながら、下りました。市内でも川沿いなんかで見かけますが、こうして群生していると本当に綺麗です。
ここの羅漢さんは、参拝者によって、一体一体掘られたものです。最初の目標が500体でしたが、今では1200体も数えるようになったとの事です。1981(昭和56)年に一般の参拝者に呼びかけられて奉納されたものですけど、一体づつ表情が違うのも分かります。久し振りに来ましたが、満足して帰ることができました。
帰りは、ルートを違えたので羅漢洞に出てきました。
この中では、蓮華蔵世界を描いた天井画があり、仏の世界についての解説を聞くことができます。私は帰りにここを通るコースにしてましだ、別にどちらでも良いでしょう。案内は出ていません。
結局、最初の一人以外は、独占で見られました。連休が終わったら、今度は修学旅行生と外国人の観光客に席巻されてる嵐山ですが、ここは静かに見られました・・・下る途中で、外国人の自転車部隊と出会いました。愛宕念仏寺に行かれるのか清滝に行かれるか(愛宕山登山かも)水尾に行かれるのか(保津峡経由で)分かりませんが、ここも静かじゃなくなるのかと思いながら下りました。
愛宕山(あたごやま)の山麓にありますが、「おたぎねんぶつじ」と読みます。元々は六波羅蜜寺のほど近くにあって1922(大正11)年に奥嵯峨の地に移ってこられました。
戦前、現在の清滝街道は愛宕山電鉄の線路でした。その鉄道用のトンネルであった清滝トンネルまでが複線。そのトンネル以降は単線であったようです。少し脱線しましたが、そのトンネルの手前に仁王門があります。
鎌倉時代に造られた建物で、京都市指定文化財に指定されてます。
仁王門を入って左手に拝観受付があります。
拝観料300円。拝観時間は8時からです。最初来た時は、拝観料は志納でしたが・・・かなり前の話です。
さて、入ると満開のシャガの花が目にとまります。ニュース映像で見たのが「これだったのか・・・」と。
シャガの花が群生して咲いてますが、そんなに珍しいものじゃありませんが、綺麗なものです。
ここの堂宇は、小高いところにあるので、階段を登って散策します。朝早く来ましたが、先客は一人。それも直ぐに帰られたので、ここからは独占です。
この奥嵯峨では、祇王寺・化野念仏寺が観光客で賑わいます。それも紅葉の時期には半端じゃないほど観光客が訪れますが、その化野念仏寺よりさらに奥へ上ってくるので、紅葉の穴場でした。拝観受付所で由緒書きをいただいたので、この寺の歴史を調べてみました。
現在の西院から東山方面にかけてを、昔は愛宕郡(おだぎぐん)と言ったそうです。そして、奈良時代の末に、聖武天皇の娘の称徳天皇がここに寺を建てました。それが愛宕(おたぎ)の地に建てられたので愛宕寺と言いました。ところが平安時代の初めに、鴨川の洪水で多くの堂宇が流れて廃寺となってしまいました。その復興を命じられたのが天台宗の千観内供(伝燈大法師)でした。その千観(918~984年)が、いつも念仏を唱えていたので、名を愛宕念仏寺と呼ばれるようになりました。その後、荒廃を繰り返し最後は、本堂、地蔵堂、仁王門を残すばかりとなり、前途しました、1922(大正11)年に奥嵯峨の地に移転されました。。1955(昭和30)年西村公朝が住職となり、同寺の復興に当たりましたが、最初は困難を極めたそうです。1981(昭和56)年、寺門興隆を祈念して、境内を500羅漢の石像で充満させたいと発願し、その10年後には1200羅漢を達成し「千二百羅漢落慶法要」を厳修され、今日に至っています。
そのまま階段を上がって行った先には地蔵堂があります。
ここの階段は、ここだけです。そんなにしんどくなく上がれます。
階段の途中にも羅漢さんがあって、中には天狗の羅漢さんもありました。1200体もあるで、充分楽しめます。
く愛宕本地仏火除地蔵尊を安置。古くから延命地蔵さんとしても親しまれています。過去、何度が来ましたが、中に入れたのは初めてです。お参りさせてもらいました。
地蔵堂の前の羅漢さんです。
この辺りから多く羅漢さんが山裾に置かれています。一つ一つ表情があるので、見てて飽きません。中には大笑いしている羅漢さんも。
地蔵堂の対面にあるのが重要文化財・本堂です。
鎌倉時代の建造物で、美しい曲線を今にとどめています。
本尊は千手観音で、ここも内部に初めて入れました。シャガを見に来ましたが、何だか得した気分です。
本堂を出てさらに奥にある多宝塔へ向かいます。
多宝塔は多くの羅漢さんに囲まれています。どれもこれも表情豊かですね。
約1200体もあるので・・・中には、髭をはやしたり、ラケットを持ってたり、ネックレスをしたりしています。
地蔵堂と本堂の間にあるのが、ふれ愛観音堂です。
手で触れて拝むために造られた観音様です。の不自由な人たちに、仏との縁を結んでもらうために生まれた観音様だそうです。
ここで、下に降りました。下りは別のルートから降ります。すると途中に三宝の鐘があります。
山裾にそってシャガが群生してて綺麗に咲き誇っています。仏法僧の三鐘として、その音律よって仏の心を自然界に伝える・・・と書いてありましが、正直、よく分からない。
そのまま羅漢さんとシャガの花を楽しみながら、下りました。市内でも川沿いなんかで見かけますが、こうして群生していると本当に綺麗です。
ここの羅漢さんは、参拝者によって、一体一体掘られたものです。最初の目標が500体でしたが、今では1200体も数えるようになったとの事です。1981(昭和56)年に一般の参拝者に呼びかけられて奉納されたものですけど、一体づつ表情が違うのも分かります。久し振りに来ましたが、満足して帰ることができました。
帰りは、ルートを違えたので羅漢洞に出てきました。
この中では、蓮華蔵世界を描いた天井画があり、仏の世界についての解説を聞くことができます。私は帰りにここを通るコースにしてましだ、別にどちらでも良いでしょう。案内は出ていません。
結局、最初の一人以外は、独占で見られました。連休が終わったら、今度は修学旅行生と外国人の観光客に席巻されてる嵐山ですが、ここは静かに見られました・・・下る途中で、外国人の自転車部隊と出会いました。愛宕念仏寺に行かれるのか清滝に行かれるか(愛宕山登山かも)水尾に行かれるのか(保津峡経由で)分かりませんが、ここも静かじゃなくなるのかと思いながら下りました。