『びわこ・湖東三山 青もみじの旅~秘仏 本尊ご開帳~』定期観光バスツアーへ

スマートICの開設記念と称して、湖東三山(金剛輪寺・西明寺・百濟寺)の秘仏であるご本尊が同時に御開帳されるとあって、これを知った時から絶対に行きたいと思いました。そこで京都定期観光バス『びわこ・湖東三山 青もみじの旅~秘仏 本尊ご開帳~』のツアーを見つけて早速申し込みし、会社の元同僚で先輩を誘って4月24日(木)に行ってきました。

今回のツアーの発着は京都駅八条口で、ホテル京阪前からでした。時間は9時20分バスは出発しました。4月1日~6月1日まで毎日運行され、隔日で京阪バスと近江鉄道バスが担当。

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私が乗ったバスは京阪バスでした。いつもの京阪バスで、なんだか安心感はありました。

京都駅を出たバスは五条通りから東山トンネルに入り山科へ。そして京都東ICから名神高速道路に入りました。申し分ない天気で、渋滞もなく黒丸PAに10時17分に着きトイレ休憩です。

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この黒丸PAは、昨年の7月29日(月)『上高地・乗鞍・新穂高ロープウェイ』のバスツアー以来だと思います。そしてバスは10時30分に出発しました。

名神を東に進んだバスは、新設された湖東三山スマートICを降りて直ぐの、金剛輪寺に10時45分に着きました。(滋賀県愛荘町)

金剛輪寺は、奈良時代の741(天平13)年、聖武天皇の勅願により行基菩薩により開山されました。国宝に指定されている本堂の堂内には秘仏である本尊である聖観世音菩薩が安置されています。行基菩薩が聖観世音菩薩を彫り進めたところ、木肌から赤い血が一筋流れてきたので、その粗彫りりまま安置されたところから『生身(なまみ)の観音さま』と呼ばれています。

バスは惣門(黒門)前の駐車場に一旦止まります。

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金剛輪寺の玄関口にあたる門で、江戸時代初期の建立だと伝わっています。全体的に黒色を施されているため黒門とも呼ばれています。

写真は後程撮ったものですが、バスから降りずに暫くまって、山側からゲートを開いてもらい上がっていきます。そして降車専用の駐車場からツアー客25名は降りました。

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バスガイドさんは本堂までの案内です。下の惣門(黒門)から登るよりかは、幾分か楽でしょう。しかし、ここからも少しばかり階段を登ります。

普段からエレベータに乗らず階段を利用しているので、全然大丈夫です二天門(重要文化財)が見えてきました。

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室町時代の建立で、当時は八脚門の楼門であったようです。江戸時代中期に上層部を取り除いて現在の姿になりました。

後の説明で分かったことですが、織田信長の延暦寺焼き討ち時、天台宗徒の立てこもりを恐れた信長の命により、ここも焼き討ちされようと信長軍が襲いましたが、機転を利かせた僧侶によって、二天門より下に薪を燃やして、本堂など全て焼かれたと報告し、兵は引き上げたため、焼失を免れ今日に至ってるそうです。

二天門をくぐると正面に国宝・本堂が見えました。

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元寇の戦勝記念として近江の守護職・佐々木頼綱が寄進したと伝わる国宝の本堂は、1288(弘安11)年月建立の銘が須弥壇にあり鎌倉時代の代表的な和様建造物とされています。

皆さん国宝の本堂の写真を撮られてましたが、バスガイドさんの案内で全員、本堂に上がるように案内されました。

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靴を脱いで本堂に上がります。朱印をお願いする者は、先に受付で出しておきます。ここより先は撮影禁止のため写真はありません。

堂内に入ると早速、秘仏『聖観世音菩薩』の前で、寺の方より説明が始まりました。それより本当に厨子が開いている 皆さん、秘仏が見える位置に座ろうとするので、堂内の真ん中に集まりますね

住職一代で一回の御開帳が許されるため次回の公開はまったく分からないのと、今回、観音様がおられる内陣にも入っていただき近くでお参りしてもらえるようにさせてもらった・・・話をされました。また、秋の紅葉は素晴らしいので是非、紅葉も見にきて下さい。その時には、日本最古の大黒天を特別(11月1日~11月30日)に公開します。と宣伝もありました。

このあと、内陣に入って秘仏『聖観世音菩薩』を間近でお参り。もう私を含めて、このツアー参加者は二度と見られないだろうと思い、お参りさせてもらいました。また、後陣にもお参りでき信長の焼き討ちを免れた仏様をお参りせてもらいまた。

最後に、朱印帳を受け取って本堂を出ました。バスは下の惣門(黒門)前駐車場に止まっています。その間に「庭園もあるので、是非見て帰って下さい」と案内されてるので、参道をゆっくり見ながら降りていきます。

その前に二天門をくぐって境内に入ってきたときから気になってた三重塔(重要文化財)です。

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本堂の北側に建ち1246(寛元4)年の建立。長い間修復がかなわず2階建てのまま放置されてましたが、先々代の住職が全国10万の天台宗信徒に呼びかけ、その浄財により、1978(昭和53)年、解体修復工事によって、現在の姿に蘇り、その落慶法用時に秘仏が公開されました。

三重塔は外からの見学にしました。多分靴を脱いで上がれたんでしょうけど、再集合時間もあったので・・・次に鐘楼です。

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県指定文化財。1303(乾元2)年と書いてありました。

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最後に、堂内の案内で聞いたことで・・・秘仏『聖観世音菩薩』(生身(なまみ)の観音)さまと、この紐で結ばれています。「帰りの時、是非紐を握ってお参り下さい」と言われたので、そうさせてもらいました。御利益を信じて・・・。

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最後のお参りを済ませて、再び二天門から出ました。バスガイドさんからの案内で庭園に向かいます。

その参道沿いに、千体地蔵が続いています。

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バスガイドさんの話では、2千体ほとあるそうです。

自然のままの石階段を下ってきます。本来はここを登ってくるんですか、今日は観光バスのため上の駐車場まで運んでくれました。そしてここかが登りの始まりになります。

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下馬、ここまで昔は馬でこられたのでしょう。参道の両脇には千体地蔵が見えています。

ここが庭園がある明壽院表門(白門)です。

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門の左手には「親地蔵」と呼ばれる地蔵尊が祀られています。この門は白門と呼ばれ、江戸時代の建立だと伝わっています。

その白門をくぐって・・・庭園ではなく、中門をくぐると、いよいよ庭園です。

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本堂前でしつこく写真を撮り過ぎたのか時間がおしてきました。しかし、庭園を見ずに帰ることはできません。

池泉回遊式庭園。桃山、江戸初期、中期の三庭からなり、作者不詳です。老杉蒼松の自然を背景とし、灯籠泉石樹木の配置等、素晴らしく、晩秋の深紅に染まる色鮮やかな紅葉は「血染めのもみじ」と広く知られており、観音様のやさしいお心が満ち、湖東三山一の名園古庭であり、国の名勝にも指定されています。(案内版より)

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庭園の入ると、今が見頃のシャクナゲが綺麗に咲いていました。明壽院の建物は、1978(昭和53)年に建てられたものです。まだ歴史が浅いんですね。

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この金剛輪寺は、血染めの紅葉と呼ばれるほど、紅葉の名所です。ここのパンフを見ましたが、少しオドロオドロしたネーミィングですね。それほど真っ赤に染まるんでしょう。一つ言えることは、鈴鹿山系の中腹に位置するので、京都より色づきが早いのは間違いないでしょう。

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ここは浄土式の庭園の要素で作庭されてて、手前側を此岸(しがん)で現世を表しています。そして池に石舟を浮かべて、それを川に見立てて、現世と来世を分け、対岸を彼岸(ひがん)として阿弥陀如来の浄土をあらわしています。

最後に茶室です。天保年間(1830年~44年)に建立された茶室『水雲閣』です。

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二畳台目の茶室で、待合の格天井には四季の花が描かれてるそです。非公開でした。

庭園をじっくり見る時間が無くなってしまいました。写真だけ撮って出ました。ここには黒門・白門・赤門があって、最後の赤門です。

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もう少し近づいて撮ればよかったんですが、時間に几帳面な私は、遅刻したことがありません。江戸時代の建立で、裏門にあたります。

最後の最後、ここが拝観受付所です。本来は、ここから入って参道の石段を登って行くわけです。

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平日のため団体以外の個人客は少なかったですね。ここでは・・・。

ここでは粗彫りの『生身(なまみ)の観音さま』をお参りすることができました。皆さん11時50分の集合時間に遅れずバスに乗り込みました。この京都定期観光バスでは、万が一遅れた場合は「この地を大変気に入られたと思い、気を利かして先に出発させてもいます」と必ず案内されます。こんな不便な所で取り残されても途方に暮れるだけですね。バスは定刻どおり11時50分に次の西明寺に向けて出発しました。つづく。



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