秘仏本尊薬師瑠璃光如来像が公開された西明寺へ
食事会場『一休庵』の次に訪れた所は、秘仏本尊薬師瑠璃光如来像が公開された西明寺です。驚いたことに西明寺の入口は、一休庵の隣でした。(滋賀県甲良町)
一休庵を出たら直ぐ隣に「西明寺」と書かれた大きな石碑を目にします。そして正面の石段を上がる横には、「下馬」の石碑があって、かつて参拝者は、ここで馬を下りたんでしょう。そして惣門(山門)です。
山門を入ると次に拝観受付があります。しかし、団体です。バスガイドさんが手続きしてくれるでしょう・・・多分・・・しかし不在でした。多分・・・ここは、秋の紅葉時に使われるんでしょう。
受付後に見るのが圓教坊の門とその奥におる不断桜です。
天然記念物と書いてありましたが、咲いたらどうなんでしょうね。今は、葉桜になってました・・・と思いました。しかし・・・不断桜は、9月上旬から咲き始めて、見頃は11月だそうです。色は白で小ぶりの花が咲くらしい。
ここから本堂まで、登り階段を上がっていきます。後の説明で知ることてすが、かつてはこの参道脇には塔頭寺院が建ち並んでいたそうです。
かつての塔頭跡は、苔生して風情がありました。
階段を上がりきった所に拝観受付があります。下のは臨時でした。そして、このまま階段を再び上がると本堂に行けます。
真っ直ぐの階段はきついので、ただらかな坂は右を上がります。
朱印は、ここの受付に渡します。そのため帰りは必ず寄らなければなりません。バスガイドさんに教えてもらいました。
ここで真っ直ぐの階段を登らずに・・・と言うより庭園を通って本堂に参ります。その本坊表門が庭園の入口です。
表門を入ると正面に客殿が見えています。その前も綺麗に刈り込まれた木々が綺麗でした。そして、庭園は客殿の横から入ります。
江戸初期、望月有閑(もちづきゆうかん)の手により当山復興の記念として造営された庭園は、治水回遊式庭園となっています。この庭園は鶴亀の「蓬莱庭」とも呼ばれ、心字池の中央には鶴島と亀島があります。
ここもシャクナゲが綺麗に咲いてます。この池の島は亀でしょうか鶴でしょうか。
この庭園は、階段を上がっていきます。ガイドさんの話では、上から見て楽しめるようになってるらしい。私は誤って
先頭に付いたため、振り返って写真が撮れない状態に・・・
。
それでも振り返って一枚だけ撮って先へ急ぎました。止まると渋滞するので
。ここは、登り一方通行になってて、戻ることはできません。
そして登り切ると本堂と三重塔(ともに国宝)が見えました。
先に他の団体さんが入られたようで、堂内で案内が始まったのが聞こえてきました。
バスガイドさんが堂内に入るように皆さんを案内されたので、上がり案内を途中から聞きました。
西明寺は平安時代の834(承和元)年に、仁明天皇の勅願で三修上人により開創されました。本堂は鎌倉時代初期の建造物で、国宝に指定されています。堂内の秘仏本尊薬師如来像は、琵琶湖東方(現・西明寺)に現れた紫雲により光明がさし、その源の閼伽池に浮かんだ薬師如来の像を三修上人がお祭りしたと伝わっています。堂内には他に不動明王像や十二神将像など多くの仏像が安置されています。
前の団体さんが出られたので、ガイドさんに話の途中の前までを再び案内してもらいました。何せ秘仏の件は聞けてなかったので、バスガイドさんがお願いしてくれました。
話終わると、ここも内陣、後陣と入られて貰い貴重な仏像をお参りさせてもらいました。そして本堂を出て諸堂の見学をさせてもらいます。再び集合時間を気にしながら・・・・。
最初が国宝・三重塔です。ここは1000円で内部拝観ができるんですが、この日は残念ながら開いてませんでした。
本堂の南に位置し、鎌倉中期から後期の建立で、釘を一本も使ってないと言う。
初重の内部、須弥壇中央には大日如来坐像を安置し、四天柱には大日如来の脇侍仏である三十二菩薩などが描かれています。鎌倉時代の類例のない極彩色の壁画がある塔として国宝に指定されいます。
次に国宝・本堂の全景です。
鎌倉時代初期建立で 飛騨の匠が、釘を1本も使用しないで建てたものです。屋根は桧皮葺で、蟇股、格子模様など鎌倉時代の様式が保存され、鎌倉時代を代表する純和風の建造物として国宝に指定されています。
その本堂前にあった手水舎です。
ここで手を清めるのが基本でしょうけど・・・上がってきたら直ぐに本堂に案内されたので、気が付かなかったです
。
鐘楼を探していたら国宝・三重塔の裏にありました。
ここも紅葉の名所と聞いてます。この辺りも綺麗なんでしょう。
先ほど堂内での案内で説明がありましたが、秘仏師瑠璃光如来様のお手に紐が結びつけられて堂外まで、伸びています。
本堂から見たら、二天門の方向に真っ直ぐ伸びているのが分かるかと思います。
そして・・・紐を手にとってお参りさせてもらいました。
皆さん参られるので、少し待ちましたが、お参りせずに帰れません
。
本堂あたりをウロウロしてましたが、そろそろ時間です。先ほど本堂から見えてた二天門(重要文化財)を通って下に降ります。
室町時代後期に建立された柿葺きの八脚門です。右に院尋(いんじん)が1429(正長2)年作成の彫刻による持国天。左に増長天を安置されてました。四天王のうち二天が護るの二天門と言います。
それで階段を降りたとこにあった夫婦杉です。
樹齢1000年の大木で幹が途中で二又に分かれていることから夫婦杉と呼ばれています。
この二天門より下は石垣が残っているだけです。それは・・・織田信長の焼き討ちの影響です。
1571(元亀2)年、織田信長の焼き討ちを西明寺は受けました。武士が攻め込んできたとき、僧侶と村人たちは必死で寺を守ろうとしました。炎で伽藍が焼き落ちるなか、村人や僧侶はそれぞれの坊舎に安置されていた仏像を背中に担ぎ本堂へと運び込みました。村人たちの尽力で二天門・本堂・三重塔は焼失を免れ今も堂内に安置されています。
戦国の世に翻弄された結果、ご覧のように伽藍は、何も残っていません。そのような事を考えらがら下って行きました。
西明寺の駐車場には再集合の13時50分までには着きました。そしてバスは13時50分に出発し、最後の目的地、百濟寺に向かいます。つづく。

一休庵を出たら直ぐ隣に「西明寺」と書かれた大きな石碑を目にします。そして正面の石段を上がる横には、「下馬」の石碑があって、かつて参拝者は、ここで馬を下りたんでしょう。そして惣門(山門)です。
山門を入ると次に拝観受付があります。しかし、団体です。バスガイドさんが手続きしてくれるでしょう・・・多分・・・しかし不在でした。多分・・・ここは、秋の紅葉時に使われるんでしょう。
受付後に見るのが圓教坊の門とその奥におる不断桜です。
天然記念物と書いてありましたが、咲いたらどうなんでしょうね。今は、葉桜になってました・・・と思いました。しかし・・・不断桜は、9月上旬から咲き始めて、見頃は11月だそうです。色は白で小ぶりの花が咲くらしい。
ここから本堂まで、登り階段を上がっていきます。後の説明で知ることてすが、かつてはこの参道脇には塔頭寺院が建ち並んでいたそうです。
かつての塔頭跡は、苔生して風情がありました。
階段を上がりきった所に拝観受付があります。下のは臨時でした。そして、このまま階段を再び上がると本堂に行けます。
真っ直ぐの階段はきついので、ただらかな坂は右を上がります。
朱印は、ここの受付に渡します。そのため帰りは必ず寄らなければなりません。バスガイドさんに教えてもらいました。
ここで真っ直ぐの階段を登らずに・・・と言うより庭園を通って本堂に参ります。その本坊表門が庭園の入口です。
表門を入ると正面に客殿が見えています。その前も綺麗に刈り込まれた木々が綺麗でした。そして、庭園は客殿の横から入ります。
江戸初期、望月有閑(もちづきゆうかん)の手により当山復興の記念として造営された庭園は、治水回遊式庭園となっています。この庭園は鶴亀の「蓬莱庭」とも呼ばれ、心字池の中央には鶴島と亀島があります。
ここもシャクナゲが綺麗に咲いてます。この池の島は亀でしょうか鶴でしょうか。
この庭園は、階段を上がっていきます。ガイドさんの話では、上から見て楽しめるようになってるらしい。私は誤って


それでも振り返って一枚だけ撮って先へ急ぎました。止まると渋滞するので

そして登り切ると本堂と三重塔(ともに国宝)が見えました。
先に他の団体さんが入られたようで、堂内で案内が始まったのが聞こえてきました。
バスガイドさんが堂内に入るように皆さんを案内されたので、上がり案内を途中から聞きました。
西明寺は平安時代の834(承和元)年に、仁明天皇の勅願で三修上人により開創されました。本堂は鎌倉時代初期の建造物で、国宝に指定されています。堂内の秘仏本尊薬師如来像は、琵琶湖東方(現・西明寺)に現れた紫雲により光明がさし、その源の閼伽池に浮かんだ薬師如来の像を三修上人がお祭りしたと伝わっています。堂内には他に不動明王像や十二神将像など多くの仏像が安置されています。
前の団体さんが出られたので、ガイドさんに話の途中の前までを再び案内してもらいました。何せ秘仏の件は聞けてなかったので、バスガイドさんがお願いしてくれました。
話終わると、ここも内陣、後陣と入られて貰い貴重な仏像をお参りさせてもらいました。そして本堂を出て諸堂の見学をさせてもらいます。再び集合時間を気にしながら・・・・。
最初が国宝・三重塔です。ここは1000円で内部拝観ができるんですが、この日は残念ながら開いてませんでした。
本堂の南に位置し、鎌倉中期から後期の建立で、釘を一本も使ってないと言う。
初重の内部、須弥壇中央には大日如来坐像を安置し、四天柱には大日如来の脇侍仏である三十二菩薩などが描かれています。鎌倉時代の類例のない極彩色の壁画がある塔として国宝に指定されいます。
次に国宝・本堂の全景です。
鎌倉時代初期建立で 飛騨の匠が、釘を1本も使用しないで建てたものです。屋根は桧皮葺で、蟇股、格子模様など鎌倉時代の様式が保存され、鎌倉時代を代表する純和風の建造物として国宝に指定されています。
その本堂前にあった手水舎です。
ここで手を清めるのが基本でしょうけど・・・上がってきたら直ぐに本堂に案内されたので、気が付かなかったです

鐘楼を探していたら国宝・三重塔の裏にありました。
ここも紅葉の名所と聞いてます。この辺りも綺麗なんでしょう。
先ほど堂内での案内で説明がありましたが、秘仏師瑠璃光如来様のお手に紐が結びつけられて堂外まで、伸びています。
本堂から見たら、二天門の方向に真っ直ぐ伸びているのが分かるかと思います。
そして・・・紐を手にとってお参りさせてもらいました。
皆さん参られるので、少し待ちましたが、お参りせずに帰れません

本堂あたりをウロウロしてましたが、そろそろ時間です。先ほど本堂から見えてた二天門(重要文化財)を通って下に降ります。
室町時代後期に建立された柿葺きの八脚門です。右に院尋(いんじん)が1429(正長2)年作成の彫刻による持国天。左に増長天を安置されてました。四天王のうち二天が護るの二天門と言います。
それで階段を降りたとこにあった夫婦杉です。
樹齢1000年の大木で幹が途中で二又に分かれていることから夫婦杉と呼ばれています。
この二天門より下は石垣が残っているだけです。それは・・・織田信長の焼き討ちの影響です。
1571(元亀2)年、織田信長の焼き討ちを西明寺は受けました。武士が攻め込んできたとき、僧侶と村人たちは必死で寺を守ろうとしました。炎で伽藍が焼き落ちるなか、村人や僧侶はそれぞれの坊舎に安置されていた仏像を背中に担ぎ本堂へと運び込みました。村人たちの尽力で二天門・本堂・三重塔は焼失を免れ今も堂内に安置されています。
戦国の世に翻弄された結果、ご覧のように伽藍は、何も残っていません。そのような事を考えらがら下って行きました。
西明寺の駐車場には再集合の13時50分までには着きました。そしてバスは13時50分に出発し、最後の目的地、百濟寺に向かいます。つづく。