平成26年度 春季非公開文化財特別公開 本隆寺へ

連休最終日の5月6日(火)に、平成26年度 京都春季非公開文化財特別公開で初公開された法華宗真門流総本山 本隆寺に行ってきました。

毎年、京都市文化観光資源保護財団より、拝観券を2枚をいただきます(会員であることと、事前に申し込みする必要あり)。この日が最終日でしたが、連休最終日で少しは空いてることを期待し、この日まで待ちました(と言うより、予定していた4月29日と5月5日が雨降りで断念したことも一因です)。

場所は、今出川通りと智恵光院通りの交差点を北に上がると大きな正門が見えてきます。

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智恵光院通りに面した東門です。拝観開始の9時前に着きました。

まだ拝観時間には早かったので、境内を散策していると朱印受付の文字を目にしました。本坊で受付されてるようで、恐る恐る入ってみると・・・。

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入って左手に寺務所があって、そこで尋ねると「どうぞ」と言われたので、お願いしました。そこには由緒書きもありましたが、肝心の拝観受付には無かったので、先に貰っといて良かったです。

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本坊前にも小さな庭園があって、ツツジが咲き始めてました。

拝観前に朱印をお願いしたので、少し時間がかかりました。そのため拝観時間の5分前になったので、本堂前の受付に行きました。

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本堂の前に臨時のテントがあって、そこで学生さんが受付されてました。招待券を差し出し、受付を済ませると靴を脱いで本堂にあがるように案内されます。入ると学生さんによる案内が始まりました。ざっと数えて5名程度が話を聞きます。

本隆寺は、正式に慧光無量山本妙興隆寺(えこうむりょうさんほんみょうこうりゅうじ)と言い、略して慧光山本隆寺と言います。1488(長享2)年に日真(にちしん)によって開祖。それから約150年後の1653(承応2)年に日蓮宗の寺院が全て焼き払われるという事件があって本隆寺も焼き払われましたが、5年後に再建されました。しかし1730(享保15)年の西陣焼けと1788(天明8)年の天明の大火に本隆寺も見舞われました。どちらも大変な大火で、殆どの寺院が被災されましたが、本堂と祖師堂は被災を免れたことから、本隆寺は別名「焼けずの寺」の異名があります。2度の大火を免れ堂宇が保存されたことから、2014年1月に重要文化財に指定されました。京都では28年振りのことです。

本堂中央の須弥壇中央の左右には多宝如来像(釈迦の前身)と釈迦如来像が祀られています。その真ん中には青い立て札で「南無妙法蓮華経」と書かれています。この祀り方を一塔両尊四士いっとうりょうそん)と言い日蓮宗寺院でよく見かける形式です。また梁の上には自由に描かれた絵が残されているのも特徴です。

本殿の説明が終わると客殿に行くように案内されます。その前に本殿裏の岸竹堂(きしちくどう)筆による雪山童子図(障壁画)を見てからです。1877(明治10)年の作品で、涅槃経に説く雪山童子の求法物語が描いてあります。

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堂内は撮影禁止のため写真はありません。境内をウロウロ散策してたら、本堂の裏が開いてたので、撮りました。

本殿の裏から出て渡り廊下を通って客殿に行きました。

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客殿内では前途した岸竹堂の龍虎図についての案内がありました。

そして次は宝物館です。ここでは案内はありませんでした。長谷川信春(等伯)筆「西王母図」等いろいろ見応えありました。

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宝物館も撮影禁止です(看板より)。長谷川等伯が若き頃、長谷川信春と名乗っていた時代の作品です。

最後は、祖師堂ですが、ここは本堂を出て場所を移動します。滅多に公開されない本隆寺に来たので、ゆっくりじっくり見させてもらいました。客殿前庭園てす。

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手前に手水鉢がって、手前に井戸、奥にツツジが咲き始めてて、結構綺麗でしたね。

最初はガラガラでしたが、ボチボチ拝観者が増えてきました。案内にしたがって祖師堂に向かいます。

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客殿と本堂への渡り廊下から撮りました。

再び本堂を通って外に出ました。そして先ほどの案内で気になった井戸の確認です。千代の井戸と言います。

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先ほどの案内で、「焼けずの寺」の異名があるのを聞きました。

本堂に祭祀する鬼子母神が大火のおり変化の人となって現れ、防火に勤めたと言い、その変化の人が汲んだと言う伝説が残る井戸です。

本堂の西隣にあるのが、祖師堂(重要文化財)で正面から見たものです。

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この特別公開では、裏側から入りますので、これから回り込みます。

と、その前に「夜泣き止め」の松の話てす。

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祖師堂前にあって、五世日諦(にったい)の伝説によると・・・・・。

上人が境内で涙を流す婦人から乳児の育児を託されてしまった。しかし、乳児の夜泣きがひどかったので、上人は困り果てしまいました。そこで、乳児を抱いて、この松の木を回ると、ピタリと乳児が泣き止んだそうです。その後、この話が広まり夜泣きに悩む母親が、樹皮や松葉を持ち帰り枕の下に敷いたところ、子供の夜泣きが治ったと言う伝説です。余談で、その赤ん坊は、名僧日脩となり、正親町天皇より「法院」の称号を賜ったと伝わっています。

学生さんのガイドから祖師堂横の経蔵から回り込んで裏に回るように案内されます。

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ここは公開されませんでした。日蓮宗の経蔵も見たかったですね。

そして、昨年重要文化財に登録された祖師堂に上がります。

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中では、学生さんのガイドより簡単な案内がありました。ここも少人数のためゆっくり聞けました。

祖師堂すなわち宗祖様をお祀りしてるために祖師堂と呼ばれています。中央に日蓮聖人が祀られていて、右隣に日朗上人、左隣に日像上人が祀られています。そして右隅には開祖・日真が祀られています。また、天井には花の絵が描かれており花天井と呼ばれています。祖師堂の梁には雅楽器の絵が描かれており大変珍しいもので、重要文化財に選ばれた一因だそうです。

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メディアに公開された時の花天井です。

後は、境内を自由に散策して次に、向かいます。先ずは、鐘楼から。

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東門入って左手にありました。歴史などは分かりません。

次に番神堂です。

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ここも案内が何も無かったので、わかりません。南門入って左手にありました。鎮守の社でしょうか

最後が南門です。五辻通りから来ると、ここから入ります。車は出入りできませが、人なら門の横から通れます。

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ここの門は閉まってました。勅使門のように重要な人の出入りにしか開かないのでしょうか分かりません。

あと、拝観券が一枚残っています。次に何処に行くかは、ここに来てから決めようと思っていました。この西陣界隈では、この本隆寺の他に、妙蓮寺、浄福寺が公開されています。妙蓮寺の長谷川等伯の襖絵は、魅力がありましたが、通常拝観+電話予約で見られます。浄福寺は、前回公開時に来てます。そのため帰りの駅から便利なこともあって、北野で公開される寺院に行きました。つづく。



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