黒谷「金戒光明寺」を訪ねて~朝がゆの集いと文化財特別鑑賞~(後編)へ
山門を降りて御影堂に戻ります。そしたら別の班が御影堂から出てくるところが見えました。人数が多いので入れ替えです。
御影堂に戻ると地方の檀家さんの団体が入られてました。「暫く外で待ちましょう」と言われたので、待ってました。
しかし、こちらのエンド(12時まで)が決まってるので、先に大方丈の見学をすることになりました。
御影堂では檀家さんが講話を聞いておられます。その横をすり抜け大方丈に向かいました。御影堂から大方丈には渡り廊下で結ばれています。その渡り廊下の先は、特別公開時以外には行くことが出来ません。
渡り廊下を渡ると方丈前庭園を目にします。白砂とスギ苔が美しい庭園です。
ここより先は、山門と同様に特別公開時にしか見ることができません。檀家でもない私が、サツキの咲く庭を見るのは貴重だと言えます。
この大方丈は、1936年(昭和11)に再建されました。そして最初は「謁見の間」の案内です。近藤勇らが松平容保に拝謁し新撰組が誕生した当時の風情を伝えています。
次に「仏の間」に移動します。ここでは、幕末、新島八重と会津藩ゆかりの品々を特別に展示してあります。
そして、次の案内が「虎の間」です。何度も来てるので、ここのカラクリも知っています。
保田金僊筆によるもので、襖の開閉によって見え方が変わる面白い絵で、いつものように実演されました。撮影禁止のためポストカードを買いました。「他にもいろんなグッズがあるので、良かったら・・・」と少し宣伝もされてました。
私は早く庭に降りたいところでしたが、「話が終わるまで待って」と言われたので待ちました。このあと、再び、靴を履いて、紫雲の庭を若き僧侶の後について見学です。
ここの庭は、冬に特別公開される「京の冬の旅」でしか来たことがありません。そのため一目見てサツキが咲いてたので、もうワクワクです。
ここまでは大方丈の上から撮りました。いよいよ下に降ります。
サツキが咲いてて綺麗でした。何度も言いますが、この時期に見られるとは有り難いことです。
さらに奥へ進むと睡蓮も咲いてました。
庭園の最奥までやってきました。木々が生い茂ってて、ここは涼しいかったです。奥に見えているのが大方丈です。
ここで案内されましたが、NHKのTV番組「仕事ハッケン伝」にて、麒麟の川島明さんが庭造りに挑んだ場所でもある、ご縁の道です。
大人数で見学しているので、写真はこれだけです。(下の写真は前回訪問時のものです)
詳しくは前回訪問時をご覧下さい「会津藩ゆかりの金戒光明寺へ」。二代目の枯れる前の熊谷次郎直実(蓮生法師)鎧掛の松も見られます。
時間が押してるようで、今度は元に戻ります。
苔生したスギや立ち枯れした木々も風情がありました。
大方丈の手前まで戻ると、多分牡丹でしょうね。こうなると牡丹の咲いた頃も見てみたい。
大方丈に戻ると、また違う団体の檀家さんが案内を聞いてました。通常非公開の金戒光明寺は、特別公開時以外は、このように檀家さんが来られてるんでしょう。後の組の案内の僧侶さんが巻のポーズをされてました。相当、後ろも押してるんでしょう。
その御影堂に戻って、最後に案内を聞きました。ここではここに安置されている吉備観音(重要文化財)についてでした。前編でもふれましたが、堂内は撮影禁止ですので、写真は全てポストカードです。
元々は、吉田中山の吉田寺(きちでんじ)に安置されてましたが、吉田寺の廃寺に伴い、江戸幕府の命により金戒光明寺の観音堂(経堂)に安置。そして現在は、皆さんにお参りしてもらえるように御影堂に移されたと言うことです。
この千手観音は、奈良時代の学者・吉備真備(きびのまきび)が遣唐使として帰国の際、船が遭難しそうになった時「南無観世音菩薩」と唱えたところ、たちまちその難を免れることができたと言う。真備はその時、唐より持ち帰った栴檀香木で行基菩薩に頼み観音さまを刻んでもらいました。 この縁起によりこの観音さまを吉備真備に因み『吉備観音』と呼んでいます。
ここで豆知識・・・千手観音の手は25本で、千本ありません。一本で40人もの人を救ってるそうです。今日、教わりました。
最後の最後、中山文殊(京都市指定文化財)です。
今は廃寺となった黒谷の西にあった中山宝幢寺(ほうとうじ)の本尊であった中山文殊であったものを江戸時代初期も徳川2代将軍・徳川秀忠を菩提する為、建立された三重の塔に安置されていました。しかし、通常お参りすることができないので、この御影堂に安置されました。
案内が終わって、この特別鑑賞会が終わりました。時刻は12時を少し回りましたが、すごく充実してました。いつも思うことですが、有り難いことです。世話人の方や、今日、金戒光明寺の歴史について話をしてもらった執事さんや案内していただいた若き僧侶の方にも感謝です。黄砂は翌週の月曜日、6月2日の朝には晴れました。今回の黄砂は長く居座りました。せっかく山門に上がれたのに黄砂は残念でした。それだけが心残りです。
御影堂に戻ると地方の檀家さんの団体が入られてました。「暫く外で待ちましょう」と言われたので、待ってました。
しかし、こちらのエンド(12時まで)が決まってるので、先に大方丈の見学をすることになりました。
御影堂では檀家さんが講話を聞いておられます。その横をすり抜け大方丈に向かいました。御影堂から大方丈には渡り廊下で結ばれています。その渡り廊下の先は、特別公開時以外には行くことが出来ません。
渡り廊下を渡ると方丈前庭園を目にします。白砂とスギ苔が美しい庭園です。
ここより先は、山門と同様に特別公開時にしか見ることができません。檀家でもない私が、サツキの咲く庭を見るのは貴重だと言えます。
この大方丈は、1936年(昭和11)に再建されました。そして最初は「謁見の間」の案内です。近藤勇らが松平容保に拝謁し新撰組が誕生した当時の風情を伝えています。
次に「仏の間」に移動します。ここでは、幕末、新島八重と会津藩ゆかりの品々を特別に展示してあります。
そして、次の案内が「虎の間」です。何度も来てるので、ここのカラクリも知っています。
保田金僊筆によるもので、襖の開閉によって見え方が変わる面白い絵で、いつものように実演されました。撮影禁止のためポストカードを買いました。「他にもいろんなグッズがあるので、良かったら・・・」と少し宣伝もされてました。
私は早く庭に降りたいところでしたが、「話が終わるまで待って」と言われたので待ちました。このあと、再び、靴を履いて、紫雲の庭を若き僧侶の後について見学です。
ここの庭は、冬に特別公開される「京の冬の旅」でしか来たことがありません。そのため一目見てサツキが咲いてたので、もうワクワクです。
ここまでは大方丈の上から撮りました。いよいよ下に降ります。
サツキが咲いてて綺麗でした。何度も言いますが、この時期に見られるとは有り難いことです。
さらに奥へ進むと睡蓮も咲いてました。
庭園の最奥までやってきました。木々が生い茂ってて、ここは涼しいかったです。奥に見えているのが大方丈です。
ここで案内されましたが、NHKのTV番組「仕事ハッケン伝」にて、麒麟の川島明さんが庭造りに挑んだ場所でもある、ご縁の道です。
大人数で見学しているので、写真はこれだけです。(下の写真は前回訪問時のものです)
詳しくは前回訪問時をご覧下さい「会津藩ゆかりの金戒光明寺へ」。二代目の枯れる前の熊谷次郎直実(蓮生法師)鎧掛の松も見られます。
時間が押してるようで、今度は元に戻ります。
苔生したスギや立ち枯れした木々も風情がありました。
大方丈の手前まで戻ると、多分牡丹でしょうね。こうなると牡丹の咲いた頃も見てみたい。
大方丈に戻ると、また違う団体の檀家さんが案内を聞いてました。通常非公開の金戒光明寺は、特別公開時以外は、このように檀家さんが来られてるんでしょう。後の組の案内の僧侶さんが巻のポーズをされてました。相当、後ろも押してるんでしょう。
その御影堂に戻って、最後に案内を聞きました。ここではここに安置されている吉備観音(重要文化財)についてでした。前編でもふれましたが、堂内は撮影禁止ですので、写真は全てポストカードです。
元々は、吉田中山の吉田寺(きちでんじ)に安置されてましたが、吉田寺の廃寺に伴い、江戸幕府の命により金戒光明寺の観音堂(経堂)に安置。そして現在は、皆さんにお参りしてもらえるように御影堂に移されたと言うことです。
この千手観音は、奈良時代の学者・吉備真備(きびのまきび)が遣唐使として帰国の際、船が遭難しそうになった時「南無観世音菩薩」と唱えたところ、たちまちその難を免れることができたと言う。真備はその時、唐より持ち帰った栴檀香木で行基菩薩に頼み観音さまを刻んでもらいました。 この縁起によりこの観音さまを吉備真備に因み『吉備観音』と呼んでいます。
ここで豆知識・・・千手観音の手は25本で、千本ありません。一本で40人もの人を救ってるそうです。今日、教わりました。
最後の最後、中山文殊(京都市指定文化財)です。
今は廃寺となった黒谷の西にあった中山宝幢寺(ほうとうじ)の本尊であった中山文殊であったものを江戸時代初期も徳川2代将軍・徳川秀忠を菩提する為、建立された三重の塔に安置されていました。しかし、通常お参りすることができないので、この御影堂に安置されました。
案内が終わって、この特別鑑賞会が終わりました。時刻は12時を少し回りましたが、すごく充実してました。いつも思うことですが、有り難いことです。世話人の方や、今日、金戒光明寺の歴史について話をしてもらった執事さんや案内していただいた若き僧侶の方にも感謝です。黄砂は翌週の月曜日、6月2日の朝には晴れました。今回の黄砂は長く居座りました。せっかく山門に上がれたのに黄砂は残念でした。それだけが心残りです。