花菖蒲と睡蓮が見頃の勧修寺へ
平安神宮を出て、地下鉄東西線「東山」駅まで歩きました。そして地下鉄に乗って向かった先は、「小野」駅です。
その「小野」駅の一番出口を出て北に向かい、そこから西に入り真っ直ぐ進むこと7分程度で、勧修寺に着きました。
この辺りの地名は勧修寺(かんしゅうじ)と言いますが、寺の名前は勧修寺(かじゅうじ)です。私も最近知ったことです。
前途した外環小野の交差点を西に進んで突き当たりが勧修寺の外塀に出ます。
入口は、その外塀を北に進みます。
この外塀沿いが桜並木となっており、桜の時期は綺麗だそうです。(後で、拝観受付の人に聞きました)
そしてやっと山門に着きました。
来て分かったことですが、この門内には多くの車が止まっています。中が駐車場になってるんですね。
真言宗山階派大本山 勧修寺は、900(昌泰3)年に醍醐天皇によって創建。開基は承俊律師。1470年(文明2)兵火で焼失したが、徳川氏と皇室の援助で復興。代々法親王が入寺、門跡寺院として格式を誇りました。
それで拝観受付は・・・・と探すほどでもなかったです。門を入って、左手にありました。
拝観料は400円でした。拝観受付は9時からと書いてありました。
400円を納めて、ポストカードの由緒書きをいただいて中門をくぐります。
時計は9時30分を少し過ぎてました。平安神宮に寄ったわりには早く着いたほうです。
この勧修寺の見所は、一も二も無く庭園なんです。それは後から紹介しますが、門を入ると右手に客殿があります。
1697(元禄10)年1月に明正天皇の御殿を下賜されたもので、江戸時代初期の御所の建物です。(案内板より)
再度言いますが、ここは初めです。それで案内の通りに進みましたが、この宸殿を真っ直ぐ進むと庭園に出られたんですね。少し脱線しましたが、案内のとおりに進むと次に書院(重要文化財)です。
ここの襖絵が公開されたことがあります。しかし、外から覗く形式だったようです。要するに宸殿も書院も内部には入れないと言うことです。
その書院前庭にあるのが、勧修寺型灯籠と言い水戸光圀(水戸黄門)からの寄進と伝わっています。
案内板にはユーモラスな形と書いてありましたた。確かに・・・そうですね。
実はこの灯籠は、一面ハイビヤクシンに覆われてて写真を撮るのに苦労したんです。
ヒノキ科の植物で、樹齢は750年と言われています。一面一本の樹で京都市の巨樹銘木の一つです。(案内板より)
この書院の奥に本堂があるようですが、ここに来た目的は氷室の池を中心にした勧修寺庭園(氷池園) を見ることです。先ずは庭園に行きました。
ご覧のように一面芝生で覆われた奥に氷室の池があります。
近づくと、池の周りに花菖蒲が咲いてました。
池の周りはカメラを持った人が多かったです。やっぱりです。花菖蒲は見頃でした。充分楽しめました。
そして池の中央には睡蓮も咲いています。
睡蓮は予想より少なかったですね。池の中央で咲いてて撮りにくい面もありましたけど。また、錦鯉が優雅に泳いでました。
また、アオサギが魚を狙って虎視眈々と・・・。
受付の人と世間話をした中で、ここでは蓮の花が見事だと言われてました。桜も紅葉も有名ですが、何と言っても蓮の花だそうです。「7月に来て下さい」と最後に言われたので「また、再訪します」と返答して帰りました。
また、池の周りには半夏生もありましたが、これは色づき前でしたね。
両足院のように群生してないので、全体が色づいた時、どのような景色になるんでしょうかね。
ここで氷室の池を早々に退散。皆さんは池の周りのベンチに座って写真を撮ってる人や休憩をしている人が居ましたが・・・蚊に刺されました。ここの最大の敵は、蚊です。あんな所に座ってられません。皆さん蚊に刺されないでしょうか。参りました。今年初めての、ポケムヒの世話になりました。
なお、この池は一周することができますが・・・立て看板にこんなことが書いてあります。「これより先は危険です。自己責任で・・・」とありました。それでも行かれる人は多いです。しかし私は行きませんでした。蚊に刺されたこともありますが、蛇や蜂は恐いです。
池からは退散しましたが、まだ勧修寺氷庭園の見所はあります。それは観音堂です。
現在の建物は1931(昭和6)の再建で、「大斐閣」とも呼ばれています。
勧修寺庭園は氷室の池をを中心に造園され、周囲の山を借景し、庭の中に前方の山を取り込んで庭の風景が造られ、広大な自然美を楽しむ池泉庭園となっています。古くは平安時代、1月2日にこの池に張る氷を宮中に献上し、その氷の厚さに依って、その年の五穀豊穣を占ったとされる京都屈指の古池として知られています。
ここで本堂をお参りしました。ここに来る人の目的は、今日なら花菖蒲か睡蓮で、池の周囲に陣取って写真を撮られています。多分、蚊に刺されながら・・・。
この本堂も上がることは出来ません。この勧修寺の拝観は、庭園を見ることだったわけです。
この本堂前には、半夏生が群生してあります。
まだ上の方が色づいた頃で、見頃はまだまだ先だと思います。(アップした頃には見頃になってる筈です)
この本堂の近くにアジサイが自生。そろそろ咲き始めました。梅雨時の主役ですね。
また、この奥には、修行大師尊像がありました。弘法大師空海ですね。
ここが氷室池の端です。前途したとおり、この池は一周てきます。ただ立て看板に「危険」と書いてあるので、行くのは自己責任です。カルガモの親子が泳いでました。写真では分かりづらいでしょうけど。
勧修寺は、京都で一番水鳥が多いお寺だそうです。氷室の池の中央にある島には、夕刻、琵琶湖から水鳥が帰ってくるそうです。
曇り空で、時々陽が差す天気のため、蒸し蒸し。タオルを何枚も使いました。休憩したくても蚊がいるし・・・。まだ、もう少し見て回ります。つづく。
その「小野」駅の一番出口を出て北に向かい、そこから西に入り真っ直ぐ進むこと7分程度で、勧修寺に着きました。
この辺りの地名は勧修寺(かんしゅうじ)と言いますが、寺の名前は勧修寺(かじゅうじ)です。私も最近知ったことです。
前途した外環小野の交差点を西に進んで突き当たりが勧修寺の外塀に出ます。
入口は、その外塀を北に進みます。
この外塀沿いが桜並木となっており、桜の時期は綺麗だそうです。(後で、拝観受付の人に聞きました)
そしてやっと山門に着きました。
来て分かったことですが、この門内には多くの車が止まっています。中が駐車場になってるんですね。
真言宗山階派大本山 勧修寺は、900(昌泰3)年に醍醐天皇によって創建。開基は承俊律師。1470年(文明2)兵火で焼失したが、徳川氏と皇室の援助で復興。代々法親王が入寺、門跡寺院として格式を誇りました。
それで拝観受付は・・・・と探すほどでもなかったです。門を入って、左手にありました。
拝観料は400円でした。拝観受付は9時からと書いてありました。
400円を納めて、ポストカードの由緒書きをいただいて中門をくぐります。
時計は9時30分を少し過ぎてました。平安神宮に寄ったわりには早く着いたほうです。
この勧修寺の見所は、一も二も無く庭園なんです。それは後から紹介しますが、門を入ると右手に客殿があります。
1697(元禄10)年1月に明正天皇の御殿を下賜されたもので、江戸時代初期の御所の建物です。(案内板より)
再度言いますが、ここは初めです。それで案内の通りに進みましたが、この宸殿を真っ直ぐ進むと庭園に出られたんですね。少し脱線しましたが、案内のとおりに進むと次に書院(重要文化財)です。
ここの襖絵が公開されたことがあります。しかし、外から覗く形式だったようです。要するに宸殿も書院も内部には入れないと言うことです。
その書院前庭にあるのが、勧修寺型灯籠と言い水戸光圀(水戸黄門)からの寄進と伝わっています。
案内板にはユーモラスな形と書いてありましたた。確かに・・・そうですね。
実はこの灯籠は、一面ハイビヤクシンに覆われてて写真を撮るのに苦労したんです。
ヒノキ科の植物で、樹齢は750年と言われています。一面一本の樹で京都市の巨樹銘木の一つです。(案内板より)
この書院の奥に本堂があるようですが、ここに来た目的は氷室の池を中心にした勧修寺庭園(氷池園) を見ることです。先ずは庭園に行きました。
ご覧のように一面芝生で覆われた奥に氷室の池があります。
近づくと、池の周りに花菖蒲が咲いてました。
池の周りはカメラを持った人が多かったです。やっぱりです。花菖蒲は見頃でした。充分楽しめました。
そして池の中央には睡蓮も咲いています。
睡蓮は予想より少なかったですね。池の中央で咲いてて撮りにくい面もありましたけど。また、錦鯉が優雅に泳いでました。
また、アオサギが魚を狙って虎視眈々と・・・。
受付の人と世間話をした中で、ここでは蓮の花が見事だと言われてました。桜も紅葉も有名ですが、何と言っても蓮の花だそうです。「7月に来て下さい」と最後に言われたので「また、再訪します」と返答して帰りました。
また、池の周りには半夏生もありましたが、これは色づき前でしたね。
両足院のように群生してないので、全体が色づいた時、どのような景色になるんでしょうかね。
ここで氷室の池を早々に退散。皆さんは池の周りのベンチに座って写真を撮ってる人や休憩をしている人が居ましたが・・・蚊に刺されました。ここの最大の敵は、蚊です。あんな所に座ってられません。皆さん蚊に刺されないでしょうか。参りました。今年初めての、ポケムヒの世話になりました。
なお、この池は一周することができますが・・・立て看板にこんなことが書いてあります。「これより先は危険です。自己責任で・・・」とありました。それでも行かれる人は多いです。しかし私は行きませんでした。蚊に刺されたこともありますが、蛇や蜂は恐いです。
池からは退散しましたが、まだ勧修寺氷庭園の見所はあります。それは観音堂です。
現在の建物は1931(昭和6)の再建で、「大斐閣」とも呼ばれています。
勧修寺庭園は氷室の池をを中心に造園され、周囲の山を借景し、庭の中に前方の山を取り込んで庭の風景が造られ、広大な自然美を楽しむ池泉庭園となっています。古くは平安時代、1月2日にこの池に張る氷を宮中に献上し、その氷の厚さに依って、その年の五穀豊穣を占ったとされる京都屈指の古池として知られています。
ここで本堂をお参りしました。ここに来る人の目的は、今日なら花菖蒲か睡蓮で、池の周囲に陣取って写真を撮られています。多分、蚊に刺されながら・・・。
この本堂も上がることは出来ません。この勧修寺の拝観は、庭園を見ることだったわけです。
この本堂前には、半夏生が群生してあります。
まだ上の方が色づいた頃で、見頃はまだまだ先だと思います。(アップした頃には見頃になってる筈です)
この本堂の近くにアジサイが自生。そろそろ咲き始めました。梅雨時の主役ですね。
また、この奥には、修行大師尊像がありました。弘法大師空海ですね。
ここが氷室池の端です。前途したとおり、この池は一周てきます。ただ立て看板に「危険」と書いてあるので、行くのは自己責任です。カルガモの親子が泳いでました。写真では分かりづらいでしょうけど。
勧修寺は、京都で一番水鳥が多いお寺だそうです。氷室の池の中央にある島には、夕刻、琵琶湖から水鳥が帰ってくるそうです。
曇り空で、時々陽が差す天気のため、蒸し蒸し。タオルを何枚も使いました。休憩したくても蚊がいるし・・・。まだ、もう少し見て回ります。つづく。