黒谷「金戒光明寺」を訪ねて~朝がゆの集いと文化財特別鑑賞~ へ
5月31日(土)、京都市文化観光資源保護財団主催の黒谷「金戒光明寺」を訪ねて~朝がゆの集いと文化財特別鑑賞~に行きました。
今回の特別鑑賞会は、9時からの朝がゆの集いが、参加費300円で事前申し込み要。 10時からの 文化財特別鑑賞は、いつものように無料でした。私は、事前に”朝がゆ”を申し込んでたので金戒光明寺には、9時00分までに入ることとなってました。
当日、京都市バス「岡崎道」バス停を下車し、黒谷に向かいます。そしてほどなく高麗門が見えてきます。
朝も早いので逆光と言うこともありますが、この日は黄砂がひどかった・・・東山が霞んでいます。この門には「京都守護職本陣」の看板も掛かっています。かつて会津藩が、ここに陣を構えたことによるものです。
会津藩墓参道と書いてある参道を進むと2011年6月より修復工事が昨年の秋に終わった真新しい山門が見えてきます。
この時は知りませんでしたが、「希望者はこの山門に上がれますよ」と鑑賞会の世話人の方に聞きました。小躍りするほど喜んだのは言うまでもありません。
この山門も不定期で特別公開はされます。しかし最近は工事中のため拝観されてなく、昨年の秋に修復記念として11月1日から12月8日まで特別公開されました。
この朝の早い時間に、金戒光明寺向かう人は、殆どが特別鑑賞会に参加する人です。前途した世話人の方が立っててくれて、今日の朝がゆの集いの会場である清和殿に行くように案内されます。
正面の玄関から入るものと思ってたら、写真では右側の(写してません)小さな出入り口からでした。
受付で、300円を納めます。この特別鑑賞会で有料は珍しいことです。そして会場に入ると結構多くの人が座ってます。私は、それでも早く着いたので、会場の前の方に座ることができました。
この長机に向かい合って座りますが、幸いにも私らの列は、一列だけでした。
朝がゆがくるまで、お茶をいただきました。おかずのお漬け物は一皿で4人分です。
そして9時前には朝がゆが運ばれてきました。
結構大きくて、熱々でした。 席の端から運ばれるので、全員が揃うのを待ちます。(私は最後の方でした)
まったくの余談ですが、前日の夕食時に鰻弁当を食べました。その日は女房が外出した時に買って来てくれたものですが、その鰻の小骨が喉に刺さって・・・この朝がゆの時も痛かったんです。「仏様の力で取れないか」と期待したんですが、無理でした。結局、火曜日まで痛みが続きましたが、知らない間に取れました。
そして全員に配り終えたら、食前のことばを全員で唱和し念仏を唱えて、いただきます。
そして食べ終わったら今度も、食後のことばを全員で唱和し念仏を唱えて終わりです。
朝がゆの集いは、20分で終わりました。今度は食器を片付けます。ここまで修行だそうです。そして前の方から外に出ます。次は御影堂で10時から特別鑑賞会が始まります。御影堂で待っても良いし、この会場で待つのも良し。どちらを選択するか ここに居ても仕方ないでしょう。この日は天気が良く暑かったこともあり、御影堂で待つことにしました。
綺麗な青空にみえるでしょうけど・・・黄砂はひどかったです。後で山門にあがるので分かります。
外は暑かったけど、さすがに大きなお堂のためか風が通ります。気持ちの良い風が吹き抜けるので汗が引きました。そして10時になって、朝のお勤めが始まりました。
浄土宗の大本山である金戒光明寺は、毎朝お勤めはされるみたいで、参加者全員で「南無阿弥陀仏」のお経を唱えました。そして執事長の芳井秀教氏(78)が簡単な挨拶をされたあと、執事の橋本周現氏より講話をいただきました。
ここ黒谷は、法然上人が1175(承応5)年に比叡山での修行を終えこの地で念仏を唱えられた時、紫雲全山にたなびき、光明があたりを照らしたことから、ここに浄土宗最初の念仏道場を開かれた場所です。
30分も長い講話をいただきました。その中の話は、これから諸堂見学時に紹介します。それで2班に分かれて諸堂を見学します。案内は若い僧侶さんが担当していただきました。最初は、御影堂前にある熊谷次郎直実(蓮生法師)鎧掛の松です。
今年植樹された3代目の松です。ご覧のようにこの松では鎧も掛けられません。2代目は昨年松食い虫にやられて枯れたそうです。
平家物語で有名な一説です。熊谷次郎直実は、一ノ谷の戦いで平家の若武者、平敦盛を打ち取りますが、息子ほどの年齢の若者の命を奪ったことによって 戦の無情さや世の無常観を感じ、心に深い傷を負います。1193(建久4)年、ここ黒谷の法然上人を尋ね、方丈裏の池(鎧池)にて鎧を洗い、この松の木に鎧を掛け出家し、蓮生(れんせい)と名乗りました。その後、京都・東山で修行を重ねた 直実は熱心な念仏信者となり、各地に寺院を開基したと言う。
次に阿弥陀堂に移動です。境内の東向きに建っているので、この時間では逆光と、日陰もないところで説明きくので、暑かったです。
今は閉まっていますが、僧侶の方が襖を開けて中を見られるようにしてもらいました。そしてご本尊の阿弥陀如来坐像を拝ませて貰いました。
1605(慶長10)年豊臣秀頼により再建された最も古い建物だそうです。恵心僧都最終の作品で、ご本尊の阿弥陀如来坐像が祀られています。
次が山門だと思いましたが、その手前にある納骨堂を案内されました。
以前は経堂だった建物です。現在は、法然上人八百年遠忌(2011年)記念事業の大修理によって、納骨堂となったようです。ここも、ご本尊の阿弥陀如来像をお参りさせてもらいました。
ここで案内はありませんでしたが、最近修復された鐘楼です。
前回訪問時は、工事用の囲いに覆われ見られませんでした。ここからも京都市街を一望できます。
そして・・いよいよ、この特別鑑賞会の目玉である山門です。
境内から見た山門です。先ほどの講話でも話されたとおり、城構えの金戒光明寺は階段も一段一段が高くて歩きにくくなっています。敵に攻められた時に、たやすく登って来られないようにしてあるんでしょう。
主催者側から「階段が急なため、自信のない方は登らないで下さい」と案内がありました。まず山門下で靴を脱ぎます。そして主催者側から「荷物は下に置いて下さい」と案内がありました。私はリュックサックのため問題なし。そして階段を僧侶の案内の元に上がりました。余談ですが、今まで一番恐かったのは、延暦寺文殊楼です。あそこはほぼ直角ですから・・・まるで梯子を登っていく・・・そんな感じです。
登った感想ですが、南禅寺・東福寺・知恩院の三門を登った経験から言うと、そんなに恐くなかったです。前途した三門の方がずっと恐かったです。
それでは楼上からの眺望です。
先ずは、北の方向にある御影堂です。なお、楼上は網で覆われています。転落防止かと思いましたが、案内では鳩(鳥)除けだそう゛す。これかないとフンだらけにされるみたいです。
今度は南側です。ここからでは、知恩院、祇園閣がはっきり見えました。平安神宮の朱塗りの大鳥居も。
執事長さんが挨拶で述べられたあべのハルカスは見えませんでした。これだけ黄砂がひどくては見えないは当たり前です。挨拶でも言われてましたが、冬の空気の澄んだ時が絶好のチャンスだそうです。
こちらが境内東側です。三重塔が見えています。
会津墓地は、その三重塔の奥にあります。結構階段は、きついですよね。
そして、こちらが西南の方向です。
肉眼では京都タワーが見えてましたが、写真では霞んで見えませんね。原因は黄砂でしょう。
こちらが西の方向。すなわち京都御所の方向です。
会津藩士にとっては、一番重要な方向だったのでしょうね。愛宕山は霞んで全く見えませんでした。
この山門を降りてから再び向かう御影堂です。
前途した執事長の挨拶にもありました大きな扁額です。
「浄土真宗最初門」と書かれた後小松天皇の宸筆の勅額です。「是非見ておいて下さい」と話されたので、皆さん盛んに写真を撮られてました。
大人数のため全員が楼上に揃うのに時間がかかりました。そして山門楼上にて若き僧侶さんから案内が始まりました。
内部は、釈迦三尊像や十六羅漢像が並んでいます。また、天井画は「蟠龍(ばんりゅう)図」がありました。(内部は撮影禁止です。ポストカードを買いました)
山門は間口約15メートル、高さ約23メートルで、室町時代の1400年前後の建立。しかし約50年度に始まった応仁の乱で焼失後、江戸時代後期の1860(万延元)年に再建されました。この山門上から会津藩士が京都を警戒したとされています。
特別公開時にしか山門には上がれません。その時、楼上からの写真は禁止されてました。「今日も禁止だろう」と諦めてましたが、「せっかくの機会なので、じゃんじゃん撮って下さい」と言われたので、喜んで撮りました。もう二度と撮れないでしょうね。ありがとうございました。(今日のように寺力開催なら可能だと思いますが・・・)
話が終わり皆さん写真を撮り終えたら下に降りました。今度は御影堂内部に再び入って、大方丈や庭園の見学に移ります。
山門したから御影堂をまっすぐに見ています。再びあの階段を登ります。
山門からの眺望は良かったですね。これだけでも来て良かったです。次に大方丈と庭園ですが、何度か来てるので、それほど感激は多分無いでしょう。 つづく。
今回の特別鑑賞会は、9時からの朝がゆの集いが、参加費300円で事前申し込み要。 10時からの 文化財特別鑑賞は、いつものように無料でした。私は、事前に”朝がゆ”を申し込んでたので金戒光明寺には、9時00分までに入ることとなってました。
当日、京都市バス「岡崎道」バス停を下車し、黒谷に向かいます。そしてほどなく高麗門が見えてきます。
朝も早いので逆光と言うこともありますが、この日は黄砂がひどかった・・・東山が霞んでいます。この門には「京都守護職本陣」の看板も掛かっています。かつて会津藩が、ここに陣を構えたことによるものです。
会津藩墓参道と書いてある参道を進むと2011年6月より修復工事が昨年の秋に終わった真新しい山門が見えてきます。
この時は知りませんでしたが、「希望者はこの山門に上がれますよ」と鑑賞会の世話人の方に聞きました。小躍りするほど喜んだのは言うまでもありません。
この山門も不定期で特別公開はされます。しかし最近は工事中のため拝観されてなく、昨年の秋に修復記念として11月1日から12月8日まで特別公開されました。
この朝の早い時間に、金戒光明寺向かう人は、殆どが特別鑑賞会に参加する人です。前途した世話人の方が立っててくれて、今日の朝がゆの集いの会場である清和殿に行くように案内されます。
正面の玄関から入るものと思ってたら、写真では右側の(写してません)小さな出入り口からでした。
受付で、300円を納めます。この特別鑑賞会で有料は珍しいことです。そして会場に入ると結構多くの人が座ってます。私は、それでも早く着いたので、会場の前の方に座ることができました。
この長机に向かい合って座りますが、幸いにも私らの列は、一列だけでした。
朝がゆがくるまで、お茶をいただきました。おかずのお漬け物は一皿で4人分です。
そして9時前には朝がゆが運ばれてきました。
結構大きくて、熱々でした。 席の端から運ばれるので、全員が揃うのを待ちます。(私は最後の方でした)
まったくの余談ですが、前日の夕食時に鰻弁当を食べました。その日は女房が外出した時に買って来てくれたものですが、その鰻の小骨が喉に刺さって・・・この朝がゆの時も痛かったんです。「仏様の力で取れないか」と期待したんですが、無理でした。結局、火曜日まで痛みが続きましたが、知らない間に取れました。
そして全員に配り終えたら、食前のことばを全員で唱和し念仏を唱えて、いただきます。
そして食べ終わったら今度も、食後のことばを全員で唱和し念仏を唱えて終わりです。
朝がゆの集いは、20分で終わりました。今度は食器を片付けます。ここまで修行だそうです。そして前の方から外に出ます。次は御影堂で10時から特別鑑賞会が始まります。御影堂で待っても良いし、この会場で待つのも良し。どちらを選択するか ここに居ても仕方ないでしょう。この日は天気が良く暑かったこともあり、御影堂で待つことにしました。
綺麗な青空にみえるでしょうけど・・・黄砂はひどかったです。後で山門にあがるので分かります。
外は暑かったけど、さすがに大きなお堂のためか風が通ります。気持ちの良い風が吹き抜けるので汗が引きました。そして10時になって、朝のお勤めが始まりました。
浄土宗の大本山である金戒光明寺は、毎朝お勤めはされるみたいで、参加者全員で「南無阿弥陀仏」のお経を唱えました。そして執事長の芳井秀教氏(78)が簡単な挨拶をされたあと、執事の橋本周現氏より講話をいただきました。
ここ黒谷は、法然上人が1175(承応5)年に比叡山での修行を終えこの地で念仏を唱えられた時、紫雲全山にたなびき、光明があたりを照らしたことから、ここに浄土宗最初の念仏道場を開かれた場所です。
30分も長い講話をいただきました。その中の話は、これから諸堂見学時に紹介します。それで2班に分かれて諸堂を見学します。案内は若い僧侶さんが担当していただきました。最初は、御影堂前にある熊谷次郎直実(蓮生法師)鎧掛の松です。
今年植樹された3代目の松です。ご覧のようにこの松では鎧も掛けられません。2代目は昨年松食い虫にやられて枯れたそうです。
平家物語で有名な一説です。熊谷次郎直実は、一ノ谷の戦いで平家の若武者、平敦盛を打ち取りますが、息子ほどの年齢の若者の命を奪ったことによって 戦の無情さや世の無常観を感じ、心に深い傷を負います。1193(建久4)年、ここ黒谷の法然上人を尋ね、方丈裏の池(鎧池)にて鎧を洗い、この松の木に鎧を掛け出家し、蓮生(れんせい)と名乗りました。その後、京都・東山で修行を重ねた 直実は熱心な念仏信者となり、各地に寺院を開基したと言う。
次に阿弥陀堂に移動です。境内の東向きに建っているので、この時間では逆光と、日陰もないところで説明きくので、暑かったです。
今は閉まっていますが、僧侶の方が襖を開けて中を見られるようにしてもらいました。そしてご本尊の阿弥陀如来坐像を拝ませて貰いました。
1605(慶長10)年豊臣秀頼により再建された最も古い建物だそうです。恵心僧都最終の作品で、ご本尊の阿弥陀如来坐像が祀られています。
次が山門だと思いましたが、その手前にある納骨堂を案内されました。
以前は経堂だった建物です。現在は、法然上人八百年遠忌(2011年)記念事業の大修理によって、納骨堂となったようです。ここも、ご本尊の阿弥陀如来像をお参りさせてもらいました。
ここで案内はありませんでしたが、最近修復された鐘楼です。
前回訪問時は、工事用の囲いに覆われ見られませんでした。ここからも京都市街を一望できます。
そして・・いよいよ、この特別鑑賞会の目玉である山門です。
境内から見た山門です。先ほどの講話でも話されたとおり、城構えの金戒光明寺は階段も一段一段が高くて歩きにくくなっています。敵に攻められた時に、たやすく登って来られないようにしてあるんでしょう。
主催者側から「階段が急なため、自信のない方は登らないで下さい」と案内がありました。まず山門下で靴を脱ぎます。そして主催者側から「荷物は下に置いて下さい」と案内がありました。私はリュックサックのため問題なし。そして階段を僧侶の案内の元に上がりました。余談ですが、今まで一番恐かったのは、延暦寺文殊楼です。あそこはほぼ直角ですから・・・まるで梯子を登っていく・・・そんな感じです。
登った感想ですが、南禅寺・東福寺・知恩院の三門を登った経験から言うと、そんなに恐くなかったです。前途した三門の方がずっと恐かったです。
それでは楼上からの眺望です。
先ずは、北の方向にある御影堂です。なお、楼上は網で覆われています。転落防止かと思いましたが、案内では鳩(鳥)除けだそう゛す。これかないとフンだらけにされるみたいです。
今度は南側です。ここからでは、知恩院、祇園閣がはっきり見えました。平安神宮の朱塗りの大鳥居も。
執事長さんが挨拶で述べられたあべのハルカスは見えませんでした。これだけ黄砂がひどくては見えないは当たり前です。挨拶でも言われてましたが、冬の空気の澄んだ時が絶好のチャンスだそうです。
こちらが境内東側です。三重塔が見えています。
会津墓地は、その三重塔の奥にあります。結構階段は、きついですよね。
そして、こちらが西南の方向です。
肉眼では京都タワーが見えてましたが、写真では霞んで見えませんね。原因は黄砂でしょう。
こちらが西の方向。すなわち京都御所の方向です。
会津藩士にとっては、一番重要な方向だったのでしょうね。愛宕山は霞んで全く見えませんでした。
この山門を降りてから再び向かう御影堂です。
前途した執事長の挨拶にもありました大きな扁額です。
「浄土真宗最初門」と書かれた後小松天皇の宸筆の勅額です。「是非見ておいて下さい」と話されたので、皆さん盛んに写真を撮られてました。
大人数のため全員が楼上に揃うのに時間がかかりました。そして山門楼上にて若き僧侶さんから案内が始まりました。
内部は、釈迦三尊像や十六羅漢像が並んでいます。また、天井画は「蟠龍(ばんりゅう)図」がありました。(内部は撮影禁止です。ポストカードを買いました)
山門は間口約15メートル、高さ約23メートルで、室町時代の1400年前後の建立。しかし約50年度に始まった応仁の乱で焼失後、江戸時代後期の1860(万延元)年に再建されました。この山門上から会津藩士が京都を警戒したとされています。
特別公開時にしか山門には上がれません。その時、楼上からの写真は禁止されてました。「今日も禁止だろう」と諦めてましたが、「せっかくの機会なので、じゃんじゃん撮って下さい」と言われたので、喜んで撮りました。もう二度と撮れないでしょうね。ありがとうございました。(今日のように寺力開催なら可能だと思いますが・・・)
話が終わり皆さん写真を撮り終えたら下に降りました。今度は御影堂内部に再び入って、大方丈や庭園の見学に移ります。
山門したから御影堂をまっすぐに見ています。再びあの階段を登ります。
山門からの眺望は良かったですね。これだけでも来て良かったです。次に大方丈と庭園ですが、何度か来てるので、それほど感激は多分無いでしょう。 つづく。