奈良 志賀直哉旧居へ
7月19日(土)は奈良 春日大社でのイベントに参加するため、久し振りに近鉄特急に乗って奈良へ向かいました。
京都駅8時30分発の奈良行き特急に乗って、近鉄奈良駅には9時5分に着きました。今日の春日大社の集合時間は10時30分です。せっかく遠方の奈良まで来たからには、春日大社の近辺で何処か行ける所を事前に探したました。
そこで当日、近鉄奈良駅からタクシーで向かった先は、春日大社の近辺で、登録有形文化財に指定されている志賀直哉旧居です。
タクシーは表門の前で降ろしてくれました。この後の時間が決まってる場合、道に迷いたくないので、タクシーは正解てした
。
拝観時間 9時30分~17時30分(3月~11月) 9時30分~16時30分(12月~2月) 入館料 350円
この表門に着いたのが9時25分、事前に調べて30分からだと分かってましたが、門は開いてます。それで、恐る恐る玄関を上がってみました。
玄関で靴を脱いで袋に入れます。それで案内にしたがって、左手にあった拝観受付に行くと、受付の人が座ってたので、安心
。5分前でも受付してくれました。
受付で入館料を納めると、先に2階に上がるように案内されます。
着いたばかりで汗を拭き拭き2階に上がりました。
先ずは、書斎Ⅱから。
あとで1階の書斎も見ますが、多分ですが・・・夏場は暑かったので、冬場に利用されたして・・・分かりませんが。
その隣の部屋は、客間です。
窓から見える若草山が見えると書いてありましたが・・・。仏像の写真があったので、案内は読みましたが、現在は行方知れずになってるそうですね。よく分かりません。
2階からは下の庭園も見えてました。これは後で見に行きます。若草山も見える眺望が良いと書いてありましたが、若草山は見えません。わたしの見方が悪かったのんでしょう。
2階は二部屋でした。そのため直ぐに下に降りて順路のとおり進みます(それより順路ってあったかなぁ
)。1階は書斎から。
庭に面した書斎で、落ち着いた雰囲気がありました。
書斎の横には茶室がありました。
夫人と子供たちのお茶のお稽古に使われてたようです。
その外にはお決まりの蹲踞。
苔生した蹲踞は素敵です。
自分の靴を履いて中庭に降りてみました。
靴を入口に置くことなく、袋に入れて持ち運ぶ理由は、これでした。この後、何度か靴を履いて庭に降ります。
庭から再び部屋に上がります。上がった所が子供部屋でした。
ここで子供達は雑魚寝。隣の部屋は直哉の居間であったようです。
子供部屋から中庭にそって進むと食堂がありました。
約20畳の大きな食堂です。ここだけ洋風でモダンな造りです。大きなソファにも目がいきました。
食堂があれば台所があるわけです。
薪を使うおくどさんだと思いましたが、大きな流し台もあり当時では最先端だったかも。今回の復元調査で、女中部屋の存在も分かったそうです。
食堂から裏庭の間にあったサンルーフです。
写真右が食堂、左が裏庭、突き当たりが台所になります。15畳の広さで、天窓はガラス張りのため明るかったですね。
サンルーフの横の部屋を覗くと夫人の部屋でした。
南の裏庭に面してて、子供部屋や直哉の居間にも隣接したお部屋となっています。
ここで裏庭に降りてみました。
この裏庭の奥には子供達が使用したプールも作ってあります。
庭からサンルーフと夫人の部屋を撮りました。それにしても大きくて広い庭です。
裏庭から見た夫人の部屋です。奥の中庭が見えています。
庭からそのまま子供部屋に移動です。これだけ広いと思い切り遊べますね。羨ましい限りです
。
裏庭からそのまま表門に移動します。そしたら最初に2階から見た池のある庭に出ました。
上からは綺麗に見えた庭も下から見ると・・・普通でした
。
このまま玄関に戻ることなく外に出られるようになっています。最後に表門から全体を撮ろうとしましたが、これ以上は無理でした。
正直に言いますと、私は志賀直哉を読んだこと・・・ありません
。ただ有名な作品名は知ってます。今日ゆっくり旧居を見せてもらったので、少しばかり興味は持ちました
。
1928(昭和3)年に志賀直哉が自ら設計し、数寄屋造りで有名な京都の大工に建築させ、翌年1929(昭和4)年奈良幸町の寓居から移ってきた。ここで彼が「暗夜行路」を完結し幾多の作品を書いた。また文化人でありかつ美術にも造詣の深い彼を慕う文化人、画家たちが多く集うサロンになった。書斎・茶室・サンルーム・食堂などは、彼の趣味をよくうかがうことができる。(パンフレットより)
ここを出たら9時50分でした。暑かったので、これからの体力のことも考えて、ゆっくり見学させてもらいました。地理が詳しくないので、春日大社の近辺で行けそう名所を探してて・・・行って正解でした。ここから春日大社に向かいます。旧居前にも案内が出てたしね・・・。
案内板の向に、旧居が見えています。
春日大社には、下の禰宜道(ささやきの小径)から行きました。
初めて来たら不安になるかも知れませんが、私の前に一組が、それと一組とすれ違ったので、不安は無かったです。それにしても鬱蒼とした林の中を進んで行きます。
前回、春日大社には上の禰宜道から行きました。前回も思いましたが、春日大社は広いですね。それでも10分で集合場所に着きました。つづく。

京都駅8時30分発の奈良行き特急に乗って、近鉄奈良駅には9時5分に着きました。今日の春日大社の集合時間は10時30分です。せっかく遠方の奈良まで来たからには、春日大社の近辺で何処か行ける所を事前に探したました。
そこで当日、近鉄奈良駅からタクシーで向かった先は、春日大社の近辺で、登録有形文化財に指定されている志賀直哉旧居です。
タクシーは表門の前で降ろしてくれました。この後の時間が決まってる場合、道に迷いたくないので、タクシーは正解てした

拝観時間 9時30分~17時30分(3月~11月) 9時30分~16時30分(12月~2月) 入館料 350円
この表門に着いたのが9時25分、事前に調べて30分からだと分かってましたが、門は開いてます。それで、恐る恐る玄関を上がってみました。
玄関で靴を脱いで袋に入れます。それで案内にしたがって、左手にあった拝観受付に行くと、受付の人が座ってたので、安心

受付で入館料を納めると、先に2階に上がるように案内されます。
着いたばかりで汗を拭き拭き2階に上がりました。
先ずは、書斎Ⅱから。
あとで1階の書斎も見ますが、多分ですが・・・夏場は暑かったので、冬場に利用されたして・・・分かりませんが。
その隣の部屋は、客間です。
窓から見える若草山が見えると書いてありましたが・・・。仏像の写真があったので、案内は読みましたが、現在は行方知れずになってるそうですね。よく分かりません。
2階からは下の庭園も見えてました。これは後で見に行きます。若草山も見える眺望が良いと書いてありましたが、若草山は見えません。わたしの見方が悪かったのんでしょう。
2階は二部屋でした。そのため直ぐに下に降りて順路のとおり進みます(それより順路ってあったかなぁ

庭に面した書斎で、落ち着いた雰囲気がありました。
書斎の横には茶室がありました。
夫人と子供たちのお茶のお稽古に使われてたようです。
その外にはお決まりの蹲踞。
苔生した蹲踞は素敵です。
自分の靴を履いて中庭に降りてみました。
靴を入口に置くことなく、袋に入れて持ち運ぶ理由は、これでした。この後、何度か靴を履いて庭に降ります。
庭から再び部屋に上がります。上がった所が子供部屋でした。
ここで子供達は雑魚寝。隣の部屋は直哉の居間であったようです。
子供部屋から中庭にそって進むと食堂がありました。
約20畳の大きな食堂です。ここだけ洋風でモダンな造りです。大きなソファにも目がいきました。
食堂があれば台所があるわけです。
薪を使うおくどさんだと思いましたが、大きな流し台もあり当時では最先端だったかも。今回の復元調査で、女中部屋の存在も分かったそうです。
食堂から裏庭の間にあったサンルーフです。
写真右が食堂、左が裏庭、突き当たりが台所になります。15畳の広さで、天窓はガラス張りのため明るかったですね。
サンルーフの横の部屋を覗くと夫人の部屋でした。
南の裏庭に面してて、子供部屋や直哉の居間にも隣接したお部屋となっています。
ここで裏庭に降りてみました。
この裏庭の奥には子供達が使用したプールも作ってあります。
庭からサンルーフと夫人の部屋を撮りました。それにしても大きくて広い庭です。
裏庭から見た夫人の部屋です。奥の中庭が見えています。
庭からそのまま子供部屋に移動です。これだけ広いと思い切り遊べますね。羨ましい限りです

裏庭からそのまま表門に移動します。そしたら最初に2階から見た池のある庭に出ました。
上からは綺麗に見えた庭も下から見ると・・・普通でした

このまま玄関に戻ることなく外に出られるようになっています。最後に表門から全体を撮ろうとしましたが、これ以上は無理でした。
正直に言いますと、私は志賀直哉を読んだこと・・・ありません


1928(昭和3)年に志賀直哉が自ら設計し、数寄屋造りで有名な京都の大工に建築させ、翌年1929(昭和4)年奈良幸町の寓居から移ってきた。ここで彼が「暗夜行路」を完結し幾多の作品を書いた。また文化人でありかつ美術にも造詣の深い彼を慕う文化人、画家たちが多く集うサロンになった。書斎・茶室・サンルーム・食堂などは、彼の趣味をよくうかがうことができる。(パンフレットより)
ここを出たら9時50分でした。暑かったので、これからの体力のことも考えて、ゆっくり見学させてもらいました。地理が詳しくないので、春日大社の近辺で行けそう名所を探してて・・・行って正解でした。ここから春日大社に向かいます。旧居前にも案内が出てたしね・・・。
案内板の向に、旧居が見えています。
春日大社には、下の禰宜道(ささやきの小径)から行きました。
初めて来たら不安になるかも知れませんが、私の前に一組が、それと一組とすれ違ったので、不安は無かったです。それにしても鬱蒼とした林の中を進んで行きます。
前回、春日大社には上の禰宜道から行きました。前回も思いましたが、春日大社は広いですね。それでも10分で集合場所に着きました。つづく。