重森三玲の庭を特別拝観 春日大社 貴賓館へ
春日大社本殿特別参拝から再び貴賓館に戻ってきました。
皆さん今日の目的庭園の鑑賞でしょう。やっと・・・そんな感じてす・・・それにしても暑い。
春日大社の職員さんで案内人の方より、参観にあったての注意を話されました。てっきり写真撮影の禁止だと思ったら違ってた。早い話、「閉まってる障子はむやみに開けないように」でした。そして「お庭の写真は撮って貰って結構です」と。
靴は大玄関に置いて上がります。暑い中来たので、これから見る庭園は楽しみです。
春日大社 貴賓館の庭園は重森三玲初期の作庭によるものです。三玲庭園史において4作目と6作目に相当し、初期の作品群と言えます。従来の古典様式とは全く異なり独創性豊かな庭園として、ひときわ異彩を放つ庭園です。
入ると最初に通された庭園は、「三方正面七五三磐境(いわさか)の庭」です。
1934年(昭和9年)作庭。重森三玲38歳。コの字の建物に囲まれた庭園で、今日の参加者は、庭を取り囲むように座りました。
庭の全景を見たかったので、案内人の方から離れて座ってしまいました。でも充分聞こえます。
この庭の特徴で、三方を囲むように建物が建っているので、どの部屋からも庭を鑑賞できます。また7、5、3個の各石組が、どの方向からでも見えるように配置さています。
今度は反対側から見た庭園です。実は、説明が終わって次の庭園に移動しましたが、出遅れた私は、次の庭を人並みで見られませんでした。それで仕方なく、再び戻って寂しく写真を撮ったわけです。
白砂と苔を斜めに一直線で区分す地割りが特徴です。なお、長らく放置され荒れてた庭園を復元する時に、当社に残された三玲自筆の「作庭記」の記述を参考に復元されたそうです。
中央の五石は春日大社の摂社(若宮・榎本・紀伊・本宮・水谷神社)に因んでるそうで、また、39ある末社の中で、樹木と関わりのある椿本神社の椿や青榊神社と辛榊神社の榊の木、杉本神社の杉の木を配しています。
重森三玲は春日大社から作庭の依頼に対して、磐座や磐境などの古代信仰を背景にして石組みを中心する庭園設計を行い、他に例のなかった神道思想に基づく神社庭園を目指し作庭さ、まさしく春日の世界を庭で表現された訳です
次に、「稲妻形遣水(やりみず)の庭」の見学です。
三方正面七五三磐境の庭から移動しますが、写真を撮っていたので完全に出遅れました。せっかく庭の説明をしてもらってるのに全く見えません。後で自由見学の時間もあるので、ここでは我慢でした。
ガイドさんの話が終わったので、前が空きました。後ろで説明は聞いてたので、一目見て「あっ、稲妻だ」と・・・直ぐに分かりました。
今日、ガイドしていただいた案内人の方が、この庭の手入れもなさってるそうで、今日の公開に合わせて草取りをされたそうですね。
稲妻形遣水の庭は、1937年(昭和12年)作庭で、三玲41歳でした。
遣水とは、宸殿造の園池に水を引き込むために作られた人工の小川だそうで、本庭園に面した建物が宸殿造風であったことから、三玲は鑓水の再創造を目指して作庭されました。
春日大社の第一殿は武甕槌命(たけみかづちのみこと)様が祀られていますが、古くは武雷命と呼ばれた時期もあったようです。また、摂社の春日若宮の御祭神は、水徳の神様で竜神信仰もあります。そして龍が空へ昇る時や下る時に黒い雲が立ちのぼり稲妻が光ります。三玲は、その稲妻をデザインにされ、作庭されたのでしょう。
余談ですが、この稲妻の庭で思い出したが東福寺 龍吟庵の庭でした。白砂と黒砂で表現してましたね。重森三玲の庭を訪ねてをご覧下さい。
鑓水の形を独創的な稲妻形にしたのは、三玲ならではで、斬新なアイデアです。作庭当時は、実際にポンプで水を汲み上げ、水を流していたようです。しかし、いつのまにかポンプが故障したこともあって流れなく、ここも相当荒れてたそうですね。
この庭に降りて縦に真っ直ぐ見たら、稲妻の形が分かるかと思いますが、降りられないので・・・多分、この大人数が降りたら収集がつかなくなるでしょう。
暑い中、この鑑賞会に参加された方に、冷たいお茶をもらいました。庭を見ながらいただきました。お茶碗に藤の花が描かれています。
ここで気になることがあるので、案内人の方に聞いてみました。電球に描かれた社紋の事です。どうも「藤の花」に見えるので・・・。
春日大社の社紋は「下り藤」。 藤は境内随所に古くから自生し、藤原氏ゆかりの藤ということもあり、次第に定紋化されました。 御巫(みかんこ)の簪又、若宮おん祭の「日の使」の冠にも藤の造花が見られます。 とりわけ御本社の「砂ずりの藤」は、名木として知られます。 (HPより)
部屋の中の電球にも藤の絵(社紋)を見つけました。
自由時間があるのは、最初の説明でも聞いてました。そのおかげで、ゆっくり庭の写真は撮れました。貴賓館内は、それほど広くないので、何度か庭を見て出て行きました。
なお、貴賓館内の重森三玲の庭は、年一回は公開を考えられてるみたいです。今年は10月6日(月)を予定されてるそうで、「詳しくはホームページで確認してほしい」と言われてました。
私は、モダンな重森三玲の庭か好きで数多く訪れています。旧重森邸 重森三玲美術館、東福寺 光明院の波心庭、九山八海の庭 東福寺霊雲院、雪舟ゆかりの寺 東福寺芬陀院、松尾大社 曲水の庭、そしてブログ開設以前に訪れたのをまとめた重森三玲の庭を訪ねてがあります。これからも、まだまだ探して訪れたいです。
皆さん今日の目的庭園の鑑賞でしょう。やっと・・・そんな感じてす・・・それにしても暑い。
春日大社の職員さんで案内人の方より、参観にあったての注意を話されました。てっきり写真撮影の禁止だと思ったら違ってた。早い話、「閉まってる障子はむやみに開けないように」でした。そして「お庭の写真は撮って貰って結構です」と。
靴は大玄関に置いて上がります。暑い中来たので、これから見る庭園は楽しみです。
春日大社 貴賓館の庭園は重森三玲初期の作庭によるものです。三玲庭園史において4作目と6作目に相当し、初期の作品群と言えます。従来の古典様式とは全く異なり独創性豊かな庭園として、ひときわ異彩を放つ庭園です。
入ると最初に通された庭園は、「三方正面七五三磐境(いわさか)の庭」です。
1934年(昭和9年)作庭。重森三玲38歳。コの字の建物に囲まれた庭園で、今日の参加者は、庭を取り囲むように座りました。
庭の全景を見たかったので、案内人の方から離れて座ってしまいました。でも充分聞こえます。
この庭の特徴で、三方を囲むように建物が建っているので、どの部屋からも庭を鑑賞できます。また7、5、3個の各石組が、どの方向からでも見えるように配置さています。
今度は反対側から見た庭園です。実は、説明が終わって次の庭園に移動しましたが、出遅れた私は、次の庭を人並みで見られませんでした。それで仕方なく、再び戻って寂しく写真を撮ったわけです。
白砂と苔を斜めに一直線で区分す地割りが特徴です。なお、長らく放置され荒れてた庭園を復元する時に、当社に残された三玲自筆の「作庭記」の記述を参考に復元されたそうです。
中央の五石は春日大社の摂社(若宮・榎本・紀伊・本宮・水谷神社)に因んでるそうで、また、39ある末社の中で、樹木と関わりのある椿本神社の椿や青榊神社と辛榊神社の榊の木、杉本神社の杉の木を配しています。
重森三玲は春日大社から作庭の依頼に対して、磐座や磐境などの古代信仰を背景にして石組みを中心する庭園設計を行い、他に例のなかった神道思想に基づく神社庭園を目指し作庭さ、まさしく春日の世界を庭で表現された訳です
次に、「稲妻形遣水(やりみず)の庭」の見学です。
三方正面七五三磐境の庭から移動しますが、写真を撮っていたので完全に出遅れました。せっかく庭の説明をしてもらってるのに全く見えません。後で自由見学の時間もあるので、ここでは我慢でした。
ガイドさんの話が終わったので、前が空きました。後ろで説明は聞いてたので、一目見て「あっ、稲妻だ」と・・・直ぐに分かりました。
今日、ガイドしていただいた案内人の方が、この庭の手入れもなさってるそうで、今日の公開に合わせて草取りをされたそうですね。
稲妻形遣水の庭は、1937年(昭和12年)作庭で、三玲41歳でした。
遣水とは、宸殿造の園池に水を引き込むために作られた人工の小川だそうで、本庭園に面した建物が宸殿造風であったことから、三玲は鑓水の再創造を目指して作庭されました。
春日大社の第一殿は武甕槌命(たけみかづちのみこと)様が祀られていますが、古くは武雷命と呼ばれた時期もあったようです。また、摂社の春日若宮の御祭神は、水徳の神様で竜神信仰もあります。そして龍が空へ昇る時や下る時に黒い雲が立ちのぼり稲妻が光ります。三玲は、その稲妻をデザインにされ、作庭されたのでしょう。
余談ですが、この稲妻の庭で思い出したが東福寺 龍吟庵の庭でした。白砂と黒砂で表現してましたね。重森三玲の庭を訪ねてをご覧下さい。
鑓水の形を独創的な稲妻形にしたのは、三玲ならではで、斬新なアイデアです。作庭当時は、実際にポンプで水を汲み上げ、水を流していたようです。しかし、いつのまにかポンプが故障したこともあって流れなく、ここも相当荒れてたそうですね。
この庭に降りて縦に真っ直ぐ見たら、稲妻の形が分かるかと思いますが、降りられないので・・・多分、この大人数が降りたら収集がつかなくなるでしょう。
暑い中、この鑑賞会に参加された方に、冷たいお茶をもらいました。庭を見ながらいただきました。お茶碗に藤の花が描かれています。
ここで気になることがあるので、案内人の方に聞いてみました。電球に描かれた社紋の事です。どうも「藤の花」に見えるので・・・。
春日大社の社紋は「下り藤」。 藤は境内随所に古くから自生し、藤原氏ゆかりの藤ということもあり、次第に定紋化されました。 御巫(みかんこ)の簪又、若宮おん祭の「日の使」の冠にも藤の造花が見られます。 とりわけ御本社の「砂ずりの藤」は、名木として知られます。 (HPより)
部屋の中の電球にも藤の絵(社紋)を見つけました。
自由時間があるのは、最初の説明でも聞いてました。そのおかげで、ゆっくり庭の写真は撮れました。貴賓館内は、それほど広くないので、何度か庭を見て出て行きました。
なお、貴賓館内の重森三玲の庭は、年一回は公開を考えられてるみたいです。今年は10月6日(月)を予定されてるそうで、「詳しくはホームページで確認してほしい」と言われてました。
私は、モダンな重森三玲の庭か好きで数多く訪れています。旧重森邸 重森三玲美術館、東福寺 光明院の波心庭、九山八海の庭 東福寺霊雲院、雪舟ゆかりの寺 東福寺芬陀院、松尾大社 曲水の庭、そしてブログ開設以前に訪れたのをまとめた重森三玲の庭を訪ねてがあります。これからも、まだまだ探して訪れたいです。