『萬福寺を知る夏の夕べ』へ
7月26日(土)、JR東海「そうだ京都、行こう。」の会員限定イベントである『萬福寺を知る夏の夕べ』へ行ってきました。
イベントの開始時間は、15時からです。この日は朝から気温がぐんぐん上がりました。11時現在で36.3℃。を記録。イベントが始まるころには38.3℃を記録。7月では観測史上最高気温を記録した日でした。
家を出る頃には37℃は超えていたかと思いますが、万全の熱中症対策で出掛けました。普段被らない帽子と日傘。それとポカリスエットを2本用意して・・・。
萬福寺に行くには近くのJR奈良線 黄檗駅で下車しました。
写真でも日差しの強さが分かるかと思います。さすがに日中歩いてる人少ないより、いませんでした。
ここで少しだけ余談・・・JR奈良線は京都を出たら、東福寺、稲荷と止まります。この暑い中、車中は外国人観光客で一杯でした。その外国人は、稲荷駅で殆ど下車され車内は空きました。
理由は、以前発表された『外国人観光客に聞く 人気の日本の観光スポットランキング』で1位は、伏見稲荷大社でした。金閣寺・銀閣寺・清水寺・嵐山を押さえて堂々と1位です。稲荷駅で大量の外国人が下車されたので思い出した次第です。新聞報道では、「伏見稲荷大社は、とても豪華だった。頂上まで赤い鳥居が続く景色は本当に素晴らしい絶景だった」「京都で訪れた数ある場所の中でも伏見稲荷は特にお気に入りの場所となった」など、京都の数ある観光スポットの中でも、鳥居の並ぶ光景に絶賛の声が寄せられたそうです。
ちなみに2位は、広島平和記念資料館で、以下京都関連では、4位は、金閣寺。7位は、清水寺。13位は、三十三間堂でした。
脱線しましたが、本題に戻ります。JR黄檗駅を降りると目の前に京都芸術高校があるので、その路地を通ります。そしたら萬福寺の案内が出ているので、そちらの方向に進むと総門に出会います。
いきなり中国門の形式があられます。重要文化財に指定で、屋根の上の左右にのるのは、インドに原型をもつ「摩伽羅(マカラ)」という想像上の魚ことだそうです。それより工事中が残念でしたね。
総門を進むと暫くすると雄大な三門を目にします。
重要文化財に指定されています。今日のイベントで、三門に上がれるのを楽しみに来ました。
ここより先が有料のエリアとなります。この三門を入った右手に拝観受付があります。そのためイベントの参加者は、この三門前で待つことになります。受付は30分前からで14時30分。少し早く着いたので、日陰で日傘を差して待ちました。
でも猛暑で体力を使いたくなかったけど少しだけ動きました。臨済宗のお寺ではお馴染みの、放生池です。
放生とは、捕らえた生き物を放して功徳を積むことです。蓮の花を少しだけ残っています。
いつものことですが、私は集合時間の少し前には行けない性分で・・・今日の・・・この猛暑でも、30分前に来てしまいました。実質イベント開始の1時間前になります。
再び三門に戻って、石柱を読んで見ました。「不許葷酒入山門」と書かれています。
ここ黄檗山 萬福寺だけじゃなく、よく見かけます。三門をくぐりにあたり、修行者としての自覚、自省を促しています。
三門の中には、拝観受付所がありました。
入山料500円。拝観時間 9:00~17:00 ※入山受付は16:30まで。
三門内には、今日のイベントに参加する人たちのための長椅子が用意されてました。まだ14時30分前のため受付されていません。
そにしても暑い。じっとしてても汗だくになるほどです。後で分かりましたが、このイベントが始まる15時前に、今日の最高気温、38.3℃を記録したみいです。
14時30分前にJR東海のスタッフが出て来られました。そして受付が始まって、中に入ります。「今日は暑いですね」「昨日も来ましたが、でも、昨日も暑かったですよ」と挨拶を。皆さん、汗だくですね。
今日の参加者は60名です。人数が多いので2班に分かれて諸堂見学に向かいました。
今日案内していただく若い僧侶さんの頭から汗が噴き出ています。袈裟も暑いみたいなことを挨拶で言われてました。その僧侶さんについて行きます。
少し進むと左手に天王殿を見て回廊の中を進むみます。
天王殿は、最後に見学します。
説明はありませんが、鐘楼(重要文化財)の前を通りました。
1668年(寛文8年)建立。長崎の元奉行であった黒川与兵衛の寄進よって建立されました。対面する鼓楼と同じ大きさだそうです。
次が伽藍堂(重要文化財)です。
1669年(寛文9年)建立。先ほどの鐘楼と鼓楼のように、この伽藍堂も祖師堂と対面に建っています。ご本尊は、華光菩薩像が安置されています。
暑い中案内もなく僧侶さんの後をついていきます。次に斎堂(禅悦堂)(重要文化財)です。
1668年(寛文8年)建立。本山の僧侶が食事をするところです。
この斎堂(禅悦堂)に近づくと、巨大な魚の形をした法具を目にします。開梆(かいぱん)と呼ばれています。
人の身長ほどもある大きな魚の鳴り物に、驚きしました。これは時を報せる法具として使われています。なお、この開梆は、3代目だそうです。
萬福寺は、約350年前の1661年(寛文1年)中国から来日した隠元禅師により開かれた、黄檗山萬福寺は、臨済宗、曹洞宗とならび禅宗三派の一つ、黄檗宗の大本山で、末寺は500を数えます。創建時は、臨済宗黄檗派と呼ばれて、黄檗宗と称するのは、1876年(明治9年)からです。
そしてそして本堂、法堂を横目で見ながら進みます。
写真は法堂です。ここの内部は非公開ですが、後程見学の予定です。
そこで最初に案内されたのは、東方丈(とうほうじょう)でした。
写真は、東方丈から法堂を見学してから撮った写真です。東方丈は、ここからでないと撮れません。
通常非公開の東方丈(重要文化財)に靴を脱いで上がります。ここからは一般では見られませんので、少々興奮気味です。入ってすぐに目にするのは枯山水庭園です。
禅宗寺院では方丈前で、よく見かける庭園です。反対側から見ると本堂の屋根が見えています。
ここ東方丈では、毎月1日と15日に修行僧と管長猊下が対面し祝盃をあげる場所として使われてるそうです。
方丈内は入れませんが、写真右に見えている赤い絨毯を通って、裏に回ります。隠元禅師が中国の明の時代に日本に来られ、黄檗山萬福寺を建てられましたが、中国福建省で住職をされてた故国と同じ寺号のお寺でした。その時、明朝体で知られる書体も広まったようです。
方丈裏に回りました。この東方丈の裏側は、お客様がご住職と対面される時に使われる場所となります。
先ほど見た表の部屋とは雰囲気が変わりましたね。
そして・・・・こちらは枯山水庭園ではありません。こちらは池泉式庭園です。しかし・・・誰もがこの庭園を人目見て・・・「あっ富士山だ」と思われるでしょう。
ガイド役の僧侶さんの横にいたので、おもわず聞いてみました。「あれは、富士山ですか」と。
拡大したら、富士山分かるでしょう。最近造られたようですが・・・隠元禅師が江戸に行かれた時に富士山を見られたようです。帰られてから萬福寺に何か富士山に模したものを造りたい・・・そのような文献が見つかり最近、漆喰にて雪を被った富士山を造られたそうですね。
庭園奥には茶室があるようでしたが・・・。それにしても暑い。ガイド役の僧侶さんの頭から玉のような汗が噴き出してました。
少し時間が押してきたようで・・・・東方丈を出ました。 次に法堂に行きますが、その前には本堂が見えています。
強い日差しがお分かりかと思います。それにして暑い。2本用意してたポカリスエットが一本空になり、もう一本も半分減りました。
東方丈を出たら直ぐ隣が法堂(重要文化財)です。
1662年(寛文2年)建立。外の扁額には「獅子吼」と書いてあります。獅子吼とは、釈迦の説法・教説を、獣中の王である獅子がほえて,百獣を恐れさせすべて従わせるたとえのことをいう。
ここで案内役の僧侶さんが法堂の中に入られ、鍵を開けて入られました。そして中から法堂の扉を開けて、「どうぞ」と言われたので、今日のイベント参加者は入れました。通常は入れないので、感激です。
禅宗のお寺では、法堂の天井には龍図が描かれています。相国寺、天龍寺、建仁寺、東福寺で見て来ました。しかし、ここの天井には何も描かれていません。
内部は隠元禅師が書かれた法堂の扁額。衝立に描かれた龍図。そして一面に座禅用の座布団が惹かれています。ここで日々修行されるんでしょうね。なお、案内の僧侶さんからJR東海『そうだ京都、行こう。2014年 夏 「萬福寺」』のCMは、ここで撮影され、「見られましたか」と言われても、京都では放送されてないので、正直知らなかったです。ただ帰ってからWebで見ました。「本当、ここで撮影されたんだ」と。
CMを見て、今日『萬福寺を知る夏の夕べ』の始まりに挨拶をされた方・・・ここの執事様が出演されたましたね。
法堂を出たら、「次は西方丈かな」と勝手に想像してましたが、「西方丈は、ここです」と・・・これだけで、次に向かわれました。
写真右に少しだけ写ってるのが西方丈の入口です。
ここでガイド役の僧侶さんから面白いお話を聞きました。それは・・・。
法堂を出て本堂の裏側です。綺麗に砂紋が描かれています。
木村拓哉さん主演『宮本武蔵』(3月15日・16日放送日)は、ここで撮影されました。写真右に見えている白砂は、ドラマで敷かれたもので、本来なら撮影が終わったら撤去される筈が、撤去にもお金がかかる。しかし、見てのとおり綺麗な白砂で残しても違和感がない・・・と言うより、残した方が綺麗との利用で、そのままにされてると話されてました。撮影は1月19日の朝から晩まで冬の寒い一日だったようです。今日案内していただいた僧侶の方も、エキストラで出演されたそうです。出演時間1秒だったようですが。
時間は、15時45分になりました。時間は押してるみたいで、法堂を閉め次に向かわれました。
法堂をでると萬福寺の北側に諸堂を通ります。この回廊沿いには禅堂、祖師堂、鼓楼へと長い廊下が続きます。
そして、先ほどの鐘楼の対面に建つのが鼓楼(重要文化財)です。
1679年(延宝7年)建立。朝の5時と夜の9時に大鐘と太鼓で、時刻消灯を知らせてるそうです。
ここで天王殿前まで来ました。正面に萬福寺の本堂にあたる大雄宝殿があり、その説明をされましたが、暑く暑くて私だけ列を離れて天王殿の日陰に入らせてもらいました。
西日強烈でしょう。あの日陰に入りました。何人かは同じように来られましたね。もう暑すぎです。陽が当たると体感気温は40℃を超えてたと思います。
天王殿の背後にある韋駄天立像です。伽藍守護神として弥勒菩薩坐像の背面に安置されています。天王殿の弥勒菩薩坐像は後程紹介します。萬福寺でのは有名な布袋さんです。
この有名な布袋さんの模様は、後編でおおくりします。
【萬福寺 東方丈】
イベントの開始時間は、15時からです。この日は朝から気温がぐんぐん上がりました。11時現在で36.3℃。を記録。イベントが始まるころには38.3℃を記録。7月では観測史上最高気温を記録した日でした。
家を出る頃には37℃は超えていたかと思いますが、万全の熱中症対策で出掛けました。普段被らない帽子と日傘。それとポカリスエットを2本用意して・・・。
萬福寺に行くには近くのJR奈良線 黄檗駅で下車しました。
写真でも日差しの強さが分かるかと思います。さすがに日中歩いてる人少ないより、いませんでした。
ここで少しだけ余談・・・JR奈良線は京都を出たら、東福寺、稲荷と止まります。この暑い中、車中は外国人観光客で一杯でした。その外国人は、稲荷駅で殆ど下車され車内は空きました。
理由は、以前発表された『外国人観光客に聞く 人気の日本の観光スポットランキング』で1位は、伏見稲荷大社でした。金閣寺・銀閣寺・清水寺・嵐山を押さえて堂々と1位です。稲荷駅で大量の外国人が下車されたので思い出した次第です。新聞報道では、「伏見稲荷大社は、とても豪華だった。頂上まで赤い鳥居が続く景色は本当に素晴らしい絶景だった」「京都で訪れた数ある場所の中でも伏見稲荷は特にお気に入りの場所となった」など、京都の数ある観光スポットの中でも、鳥居の並ぶ光景に絶賛の声が寄せられたそうです。
ちなみに2位は、広島平和記念資料館で、以下京都関連では、4位は、金閣寺。7位は、清水寺。13位は、三十三間堂でした。
脱線しましたが、本題に戻ります。JR黄檗駅を降りると目の前に京都芸術高校があるので、その路地を通ります。そしたら萬福寺の案内が出ているので、そちらの方向に進むと総門に出会います。
いきなり中国門の形式があられます。重要文化財に指定で、屋根の上の左右にのるのは、インドに原型をもつ「摩伽羅(マカラ)」という想像上の魚ことだそうです。それより工事中が残念でしたね。
総門を進むと暫くすると雄大な三門を目にします。
重要文化財に指定されています。今日のイベントで、三門に上がれるのを楽しみに来ました。
ここより先が有料のエリアとなります。この三門を入った右手に拝観受付があります。そのためイベントの参加者は、この三門前で待つことになります。受付は30分前からで14時30分。少し早く着いたので、日陰で日傘を差して待ちました。
でも猛暑で体力を使いたくなかったけど少しだけ動きました。臨済宗のお寺ではお馴染みの、放生池です。
放生とは、捕らえた生き物を放して功徳を積むことです。蓮の花を少しだけ残っています。
いつものことですが、私は集合時間の少し前には行けない性分で・・・今日の・・・この猛暑でも、30分前に来てしまいました。実質イベント開始の1時間前になります。
再び三門に戻って、石柱を読んで見ました。「不許葷酒入山門」と書かれています。
ここ黄檗山 萬福寺だけじゃなく、よく見かけます。三門をくぐりにあたり、修行者としての自覚、自省を促しています。
三門の中には、拝観受付所がありました。
入山料500円。拝観時間 9:00~17:00 ※入山受付は16:30まで。
三門内には、今日のイベントに参加する人たちのための長椅子が用意されてました。まだ14時30分前のため受付されていません。
そにしても暑い。じっとしてても汗だくになるほどです。後で分かりましたが、このイベントが始まる15時前に、今日の最高気温、38.3℃を記録したみいです。
14時30分前にJR東海のスタッフが出て来られました。そして受付が始まって、中に入ります。「今日は暑いですね」「昨日も来ましたが、でも、昨日も暑かったですよ」と挨拶を。皆さん、汗だくですね。
今日の参加者は60名です。人数が多いので2班に分かれて諸堂見学に向かいました。
今日案内していただく若い僧侶さんの頭から汗が噴き出ています。袈裟も暑いみたいなことを挨拶で言われてました。その僧侶さんについて行きます。
少し進むと左手に天王殿を見て回廊の中を進むみます。
天王殿は、最後に見学します。
説明はありませんが、鐘楼(重要文化財)の前を通りました。
1668年(寛文8年)建立。長崎の元奉行であった黒川与兵衛の寄進よって建立されました。対面する鼓楼と同じ大きさだそうです。
次が伽藍堂(重要文化財)です。
1669年(寛文9年)建立。先ほどの鐘楼と鼓楼のように、この伽藍堂も祖師堂と対面に建っています。ご本尊は、華光菩薩像が安置されています。
暑い中案内もなく僧侶さんの後をついていきます。次に斎堂(禅悦堂)(重要文化財)です。
1668年(寛文8年)建立。本山の僧侶が食事をするところです。
この斎堂(禅悦堂)に近づくと、巨大な魚の形をした法具を目にします。開梆(かいぱん)と呼ばれています。
人の身長ほどもある大きな魚の鳴り物に、驚きしました。これは時を報せる法具として使われています。なお、この開梆は、3代目だそうです。
萬福寺は、約350年前の1661年(寛文1年)中国から来日した隠元禅師により開かれた、黄檗山萬福寺は、臨済宗、曹洞宗とならび禅宗三派の一つ、黄檗宗の大本山で、末寺は500を数えます。創建時は、臨済宗黄檗派と呼ばれて、黄檗宗と称するのは、1876年(明治9年)からです。
そしてそして本堂、法堂を横目で見ながら進みます。
写真は法堂です。ここの内部は非公開ですが、後程見学の予定です。
そこで最初に案内されたのは、東方丈(とうほうじょう)でした。
写真は、東方丈から法堂を見学してから撮った写真です。東方丈は、ここからでないと撮れません。
通常非公開の東方丈(重要文化財)に靴を脱いで上がります。ここからは一般では見られませんので、少々興奮気味です。入ってすぐに目にするのは枯山水庭園です。
禅宗寺院では方丈前で、よく見かける庭園です。反対側から見ると本堂の屋根が見えています。
ここ東方丈では、毎月1日と15日に修行僧と管長猊下が対面し祝盃をあげる場所として使われてるそうです。
方丈内は入れませんが、写真右に見えている赤い絨毯を通って、裏に回ります。隠元禅師が中国の明の時代に日本に来られ、黄檗山萬福寺を建てられましたが、中国福建省で住職をされてた故国と同じ寺号のお寺でした。その時、明朝体で知られる書体も広まったようです。
方丈裏に回りました。この東方丈の裏側は、お客様がご住職と対面される時に使われる場所となります。
先ほど見た表の部屋とは雰囲気が変わりましたね。
そして・・・・こちらは枯山水庭園ではありません。こちらは池泉式庭園です。しかし・・・誰もがこの庭園を人目見て・・・「あっ富士山だ」と思われるでしょう。
ガイド役の僧侶さんの横にいたので、おもわず聞いてみました。「あれは、富士山ですか」と。
拡大したら、富士山分かるでしょう。最近造られたようですが・・・隠元禅師が江戸に行かれた時に富士山を見られたようです。帰られてから萬福寺に何か富士山に模したものを造りたい・・・そのような文献が見つかり最近、漆喰にて雪を被った富士山を造られたそうですね。
庭園奥には茶室があるようでしたが・・・。それにしても暑い。ガイド役の僧侶さんの頭から玉のような汗が噴き出してました。
少し時間が押してきたようで・・・・東方丈を出ました。 次に法堂に行きますが、その前には本堂が見えています。
強い日差しがお分かりかと思います。それにして暑い。2本用意してたポカリスエットが一本空になり、もう一本も半分減りました。
東方丈を出たら直ぐ隣が法堂(重要文化財)です。
1662年(寛文2年)建立。外の扁額には「獅子吼」と書いてあります。獅子吼とは、釈迦の説法・教説を、獣中の王である獅子がほえて,百獣を恐れさせすべて従わせるたとえのことをいう。
ここで案内役の僧侶さんが法堂の中に入られ、鍵を開けて入られました。そして中から法堂の扉を開けて、「どうぞ」と言われたので、今日のイベント参加者は入れました。通常は入れないので、感激です。
禅宗のお寺では、法堂の天井には龍図が描かれています。相国寺、天龍寺、建仁寺、東福寺で見て来ました。しかし、ここの天井には何も描かれていません。
内部は隠元禅師が書かれた法堂の扁額。衝立に描かれた龍図。そして一面に座禅用の座布団が惹かれています。ここで日々修行されるんでしょうね。なお、案内の僧侶さんからJR東海『そうだ京都、行こう。2014年 夏 「萬福寺」』のCMは、ここで撮影され、「見られましたか」と言われても、京都では放送されてないので、正直知らなかったです。ただ帰ってからWebで見ました。「本当、ここで撮影されたんだ」と。
CMを見て、今日『萬福寺を知る夏の夕べ』の始まりに挨拶をされた方・・・ここの執事様が出演されたましたね。
法堂を出たら、「次は西方丈かな」と勝手に想像してましたが、「西方丈は、ここです」と・・・これだけで、次に向かわれました。
写真右に少しだけ写ってるのが西方丈の入口です。
ここでガイド役の僧侶さんから面白いお話を聞きました。それは・・・。
法堂を出て本堂の裏側です。綺麗に砂紋が描かれています。
木村拓哉さん主演『宮本武蔵』(3月15日・16日放送日)は、ここで撮影されました。写真右に見えている白砂は、ドラマで敷かれたもので、本来なら撮影が終わったら撤去される筈が、撤去にもお金がかかる。しかし、見てのとおり綺麗な白砂で残しても違和感がない・・・と言うより、残した方が綺麗との利用で、そのままにされてると話されてました。撮影は1月19日の朝から晩まで冬の寒い一日だったようです。今日案内していただいた僧侶の方も、エキストラで出演されたそうです。出演時間1秒だったようですが。
時間は、15時45分になりました。時間は押してるみたいで、法堂を閉め次に向かわれました。
法堂をでると萬福寺の北側に諸堂を通ります。この回廊沿いには禅堂、祖師堂、鼓楼へと長い廊下が続きます。
そして、先ほどの鐘楼の対面に建つのが鼓楼(重要文化財)です。
1679年(延宝7年)建立。朝の5時と夜の9時に大鐘と太鼓で、時刻消灯を知らせてるそうです。
ここで天王殿前まで来ました。正面に萬福寺の本堂にあたる大雄宝殿があり、その説明をされましたが、暑く暑くて私だけ列を離れて天王殿の日陰に入らせてもらいました。
西日強烈でしょう。あの日陰に入りました。何人かは同じように来られましたね。もう暑すぎです。陽が当たると体感気温は40℃を超えてたと思います。
天王殿の背後にある韋駄天立像です。伽藍守護神として弥勒菩薩坐像の背面に安置されています。天王殿の弥勒菩薩坐像は後程紹介します。萬福寺でのは有名な布袋さんです。
この有名な布袋さんの模様は、後編でおおくりします。
【萬福寺 東方丈】