『萬福寺を知る夏の夕べ』(後編)へ
前編の続きです。天王殿から再び回廊を歩きます。すると大きな鐘がありました。回廊に鐘って不思議ですよね。すかさずガイド役の僧侶さんから説明が入りました。これから行く開山堂で法要があることを知らせる鐘だそうです。合山鐘(がっさんしょう)と言います。
この諸堂と諸堂を結ぶ回廊は萬福寺全体で、龍の形をしているそうで、回廊の真ん中は住職さんしか歩けないとされているそうです。
その先に大きな亀に石碑が乗っています。石碑亭(せきひてい)と言い、重要文化財に指定されています。
碑には隠元禅師の特賜大光普照國師塔銘が刻まれてるそうです。すごい日差しで亀が写ってない。
次に案内されたのが寿蔵(じゅぞう)と言い、重要文化財に指定されています。
近くで見たかったけど、列を乱す訳にもいかないので・・・。隠元禅師の生前に築造された墳墓。中国の様式をそのまま伝えています。
隠元禅師のお墓があったのて、その時にあるのは開山堂です。重要文化財に指定されており、1675年(延宝3年)建立です。
黄檗山萬福寺の開祖、隠元禅師をお祀りしています。
こちらが開山堂の入口にあたります。参道の両脇には蓮が植えられてますが、残念ながら蕾はなかったですね。
ここで、お知らせです。開山堂の門を入って左手に松隠堂があります。
通常は非公開で、今日も入れません。その松隠堂ですが、萬福寺では大変珍しい造りで、書院造りで出来ています。日本建築で建てられた萬福寺で唯一ここだけだそうです。その松隠堂が、この秋公開されます。私も未訪問で、今から楽しみです。お知らせでした。
平成26年度「第50回記念 京都非公開文化財特別公開」 平成26年10月31日(金)~11月9日(日) 拝観料800円 萬福寺三門と松隠堂が公開されます。
これから三門(重要文化財)に上がります。この日のイベントでは、最大の目玉です。しかし、案内役の僧侶さんは、下でお待ちです。嘘か真か高所恐怖症だそうで・・・残られました。
1678年(延宝6年)建立。重層の楼門造りで、左右に裳階(もこし)、山廊が取り付けられています。一般の禅宗寺院と同じ様式ですが、より中国風が墨守されています。こちらは正面で、写真右側から登ります。
三門下の正面に大きな扁額がかかっています。「萬福寺」と書かれた書は、隠元禅師によるものです。
そして、こちらが三門裏側で、扁額「旃檀林」は、千呆(せんがい)の書によるものです。
今まで、いろんな三門を上がりました。妙心寺、金戒光明寺、知恩院、南禅寺、東福寺と行きました。そして萬福寺が本日増えました。
三門を上がって、まず東を見ると眼下に、天王殿が見えています。
西日に照らされた、天王殿。遙か東方には、妙高峰と五雲峰まではっきり見えます。暑かったけど、天気が良かったのが幸いでした。
三門は一周できます。次は北北東に目を向けると、先ほど案内を聞いた開山堂が見えています。
三門上は、猛暑でしたが、風が強くて気持ち良かったです。
こちらは西の方向です。西日が眩しい。
待ち合わせに座ってたベンチが眼下にあります。集合時間まで30分ほど座ってたところです。
場所は宇治市になるので、正直、方角は帰ってから調べました。こちらは南の方向です。
文華殿が見えています。今日は中に入れませんでしたが、春と秋には特別展があるそうです。
最後に北西の方向です。(多分です)
地図とにらめっこして・・・・実際・・・分からない。
三門楼上に架かる大きな扁額「黄檗山」は、隠元禅師の書です。
あまりの大きさに撮りにくい撮りにくい。
三門に上がって、もう一つ気になるのが、三門の内部でしょう。
物の見事に何もありません。僧侶さんは上がられなかったので、JR東海の事務局の方が上がられてましたが、同じ意見でした。「何もありませんね」と。
ここでは同じ階段を行きは上がり、帰りは下ることになので、JR東海の事務局の方が交通整理をされました。
帰りのため、これから下ります。前途のとおり何カ所か三門を登っているので慣れました。
30名全員が三門に上がられたわけではありません。僧侶さんも上がられてませんし、何名かは辞退されたみたいです。三門下で全員がそろったところで、最後の案内である天王殿に向かいます。
暑さも限界に来てましたが、もう一踏ん張り・・・ここは有名な仏像があるんですよね。ポスターでも使われるんで有名です。
入ると正面にお祀りされてました。有名な布袋さんです。
正式には、布袋(弥勒菩薩)坐像と言います。造像は、渡来仏師の范道生(はんどうせい)の手によるものです。弥勒菩薩の化身とされる布袋ですが、10世紀の中国、後梁(こうりょう)の高僧で、名は契此(かいし)、定応大師と号した実在の人物だそうです。
非常に時間が押してるみたいで、それでも説明はしてもらえました。このお堂の東西南北には四天王が祀られています。
北を多聞天(写真、上)。西を広目天(写真、下)。
南を増長天(写真、上)。東を持国天(写真、下)が護っています。
また、この天王殿の前には隠元禅師が中国ら持ち込んだ隠元(インゲン)豆が栽培されてます。
日本では改良されたインゲン豆が作られていますが、本物は臭いがきついですよね。知らなかったです。
天王殿の見学を終え、やっと冷房の部屋に入れます。黄龍閣で呈茶をいただきますが、空になったペットボトルの今度はお茶を2本自動販売機で買いました。
冷房の効いた部屋で、冷たいお茶とお菓子をいただきました。それと濡れたタオルで首や顔を冷やすことも忘れません。それより・・・もうグッタリです。
ここで、最初に挨拶をされた執事様より法話をいただきました。約25分話されたのをまとめてみましたが・・・。
中国からインゲン豆を持って来られた隠元禅師によって開かれた萬福寺は、至る所に中国・明の文化、遺構が見られます。今まで見てこられた建物も明の時代によるもので、萬福寺には塔tが無いのも特徴と言えます。先ほど東方丈で日本庭園と富士山も見られたかと思いますが、黄檗宗は、中国から伝わったものが脈々と現在にも受け継がれているのも事実です。今回の会員限定の鑑賞会ですが、是非、お経を聞いてほしてと申し上げました。黄檗宗のお経は、中国から伝わったものです。お経の読み方も中国読み。般若心経の「まかはんにゃはらみたしんぎょう・・・」が「ポゼポロミトシンキン・・・」と、なります。次の梵唄で是非聞いてみて下さい。聞いてもらうだけでは、もったいないので、お盆の時期でもあるので、皆さんのご先祖様の供養の法要ということで、焼香もしてもらったらいいでしょう。今日は暑い中、ご苦労様でした。
最後の最後、大雄宝殿(本堂)(重要文化財)で先祖供養の法要へ参列します。
1668年(寛文8年)の建立。三門から法堂まで一直線に並ぶ構造は、禅宗寺院ではよく見られます。その中心に位置するのが大雄宝殿です。「大雄」とは釈迦如来をさし、釈迦如来を祀るお堂のことです。
この法要のため、お堂内には30席の椅子が用意されてました。お堂の中は扇風機も回っています。そして。「梵唄(ぼんばい)」と呼ばれる黄檗宗ならではのお経が始まりました。鐘や太鼓に合わせてリズミカルにお堂の中を響きわたります。中国読みのお経を聞くのは、初めてです。僧侶の方も頭から汗が噴き出るぐらい暑い中、私たちは、お焼香をさせてもらいました。
ご先祖様のいい供養ができました。ありがとうごいました。法要が終わると、大雄宝殿内で、最後の挨拶がありました。もう一般の拝観は終わっています。それでも「18時30分までは開けてます」との事でした。(写真は梵唄の模様です。法要中は撮影禁止でした。)
私ら参加者の多くは、大雄宝殿内を見学です。釈迦如来坐像や中国の仏師(先ほどの布袋さんと同じ范道生によるものです)が彫られた十八羅漢像を見て回りました。先ほど執事様よりの挨拶にもあったように、それぞれ個性的な表情でした。
それと・・・お堂を出ると執事様とお礼の挨拶をしたところ「売店も特別に開けてるので、見ていって下さい」と話されたので、見に行きました。
売店で少しはかり買い物をして、出たら18時を回ってました。まだ、大雄宝殿を見学する人や、誰もいない境内の写真撮る人、もちろん、もう帰られた方もおられます。私は西日に照らされたお堂を撮りながら萬福寺を出ることにしました。
強烈な西日に照らされた、大雄宝殿です。普段、この時間は閉まっているので、貴重な写真です。
こちらは、可愛そうなくら西日に照らされた布袋(弥勒菩薩)坐像です。暑いでしょう。
開梆(かいぱん)も西日に照らされて・・・・・。
今日の最大の目玉であった三門も出ました。その前には菊舎句碑を見つけました。
「山門を 出れば日本ぞ 茶摘み唄」江戸時代に純中国風の萬福寺を参拝され、この寺を出ると聞こえてきた茶摘みの唄に、我にかえった心境を読んだ俳句だそうです。
最後に総門から出ました。
陽もだいぶ陰ってきましたが、まだまだ暑い夕暮れ。しかし、風が熱風から涼しさを感じられるふうに変わってきましたね。
ここからJR奈良線の「黄檗」駅から帰りました。帰りの電車も幸いにも座れたし、嵯峨野線でも座ることができました。疲れた体には助かりました。
この日は、猛烈な暑さでしたが、一夜明け外を見ると雨が降ってます。一転、次の日の最高気温は31.4℃でした。雨でも次の日が良かったかなぁ・・・と思ってしまいました。
それにしても中国風の伽藍や儀式は初めて見るもので、本当に楽しかったです。特に作法などに中国で行われていたものを継承している黄檗宗ならではでした。
【萬福寺 三門】
この諸堂と諸堂を結ぶ回廊は萬福寺全体で、龍の形をしているそうで、回廊の真ん中は住職さんしか歩けないとされているそうです。
その先に大きな亀に石碑が乗っています。石碑亭(せきひてい)と言い、重要文化財に指定されています。
碑には隠元禅師の特賜大光普照國師塔銘が刻まれてるそうです。すごい日差しで亀が写ってない。
次に案内されたのが寿蔵(じゅぞう)と言い、重要文化財に指定されています。
近くで見たかったけど、列を乱す訳にもいかないので・・・。隠元禅師の生前に築造された墳墓。中国の様式をそのまま伝えています。
隠元禅師のお墓があったのて、その時にあるのは開山堂です。重要文化財に指定されており、1675年(延宝3年)建立です。
黄檗山萬福寺の開祖、隠元禅師をお祀りしています。
こちらが開山堂の入口にあたります。参道の両脇には蓮が植えられてますが、残念ながら蕾はなかったですね。
ここで、お知らせです。開山堂の門を入って左手に松隠堂があります。
通常は非公開で、今日も入れません。その松隠堂ですが、萬福寺では大変珍しい造りで、書院造りで出来ています。日本建築で建てられた萬福寺で唯一ここだけだそうです。その松隠堂が、この秋公開されます。私も未訪問で、今から楽しみです。お知らせでした。
平成26年度「第50回記念 京都非公開文化財特別公開」 平成26年10月31日(金)~11月9日(日) 拝観料800円 萬福寺三門と松隠堂が公開されます。
これから三門(重要文化財)に上がります。この日のイベントでは、最大の目玉です。しかし、案内役の僧侶さんは、下でお待ちです。嘘か真か高所恐怖症だそうで・・・残られました。
1678年(延宝6年)建立。重層の楼門造りで、左右に裳階(もこし)、山廊が取り付けられています。一般の禅宗寺院と同じ様式ですが、より中国風が墨守されています。こちらは正面で、写真右側から登ります。
三門下の正面に大きな扁額がかかっています。「萬福寺」と書かれた書は、隠元禅師によるものです。
そして、こちらが三門裏側で、扁額「旃檀林」は、千呆(せんがい)の書によるものです。
今まで、いろんな三門を上がりました。妙心寺、金戒光明寺、知恩院、南禅寺、東福寺と行きました。そして萬福寺が本日増えました。
三門を上がって、まず東を見ると眼下に、天王殿が見えています。
西日に照らされた、天王殿。遙か東方には、妙高峰と五雲峰まではっきり見えます。暑かったけど、天気が良かったのが幸いでした。
三門は一周できます。次は北北東に目を向けると、先ほど案内を聞いた開山堂が見えています。
三門上は、猛暑でしたが、風が強くて気持ち良かったです。
こちらは西の方向です。西日が眩しい。
待ち合わせに座ってたベンチが眼下にあります。集合時間まで30分ほど座ってたところです。
場所は宇治市になるので、正直、方角は帰ってから調べました。こちらは南の方向です。
文華殿が見えています。今日は中に入れませんでしたが、春と秋には特別展があるそうです。
最後に北西の方向です。(多分です)
地図とにらめっこして・・・・実際・・・分からない。
三門楼上に架かる大きな扁額「黄檗山」は、隠元禅師の書です。
あまりの大きさに撮りにくい撮りにくい。
三門に上がって、もう一つ気になるのが、三門の内部でしょう。
物の見事に何もありません。僧侶さんは上がられなかったので、JR東海の事務局の方が上がられてましたが、同じ意見でした。「何もありませんね」と。
ここでは同じ階段を行きは上がり、帰りは下ることになので、JR東海の事務局の方が交通整理をされました。
帰りのため、これから下ります。前途のとおり何カ所か三門を登っているので慣れました。
30名全員が三門に上がられたわけではありません。僧侶さんも上がられてませんし、何名かは辞退されたみたいです。三門下で全員がそろったところで、最後の案内である天王殿に向かいます。
暑さも限界に来てましたが、もう一踏ん張り・・・ここは有名な仏像があるんですよね。ポスターでも使われるんで有名です。
入ると正面にお祀りされてました。有名な布袋さんです。
正式には、布袋(弥勒菩薩)坐像と言います。造像は、渡来仏師の范道生(はんどうせい)の手によるものです。弥勒菩薩の化身とされる布袋ですが、10世紀の中国、後梁(こうりょう)の高僧で、名は契此(かいし)、定応大師と号した実在の人物だそうです。
非常に時間が押してるみたいで、それでも説明はしてもらえました。このお堂の東西南北には四天王が祀られています。
北を多聞天(写真、上)。西を広目天(写真、下)。
南を増長天(写真、上)。東を持国天(写真、下)が護っています。
また、この天王殿の前には隠元禅師が中国ら持ち込んだ隠元(インゲン)豆が栽培されてます。
日本では改良されたインゲン豆が作られていますが、本物は臭いがきついですよね。知らなかったです。
天王殿の見学を終え、やっと冷房の部屋に入れます。黄龍閣で呈茶をいただきますが、空になったペットボトルの今度はお茶を2本自動販売機で買いました。
冷房の効いた部屋で、冷たいお茶とお菓子をいただきました。それと濡れたタオルで首や顔を冷やすことも忘れません。それより・・・もうグッタリです。
ここで、最初に挨拶をされた執事様より法話をいただきました。約25分話されたのをまとめてみましたが・・・。
中国からインゲン豆を持って来られた隠元禅師によって開かれた萬福寺は、至る所に中国・明の文化、遺構が見られます。今まで見てこられた建物も明の時代によるもので、萬福寺には塔tが無いのも特徴と言えます。先ほど東方丈で日本庭園と富士山も見られたかと思いますが、黄檗宗は、中国から伝わったものが脈々と現在にも受け継がれているのも事実です。今回の会員限定の鑑賞会ですが、是非、お経を聞いてほしてと申し上げました。黄檗宗のお経は、中国から伝わったものです。お経の読み方も中国読み。般若心経の「まかはんにゃはらみたしんぎょう・・・」が「ポゼポロミトシンキン・・・」と、なります。次の梵唄で是非聞いてみて下さい。聞いてもらうだけでは、もったいないので、お盆の時期でもあるので、皆さんのご先祖様の供養の法要ということで、焼香もしてもらったらいいでしょう。今日は暑い中、ご苦労様でした。
最後の最後、大雄宝殿(本堂)(重要文化財)で先祖供養の法要へ参列します。
1668年(寛文8年)の建立。三門から法堂まで一直線に並ぶ構造は、禅宗寺院ではよく見られます。その中心に位置するのが大雄宝殿です。「大雄」とは釈迦如来をさし、釈迦如来を祀るお堂のことです。
この法要のため、お堂内には30席の椅子が用意されてました。お堂の中は扇風機も回っています。そして。「梵唄(ぼんばい)」と呼ばれる黄檗宗ならではのお経が始まりました。鐘や太鼓に合わせてリズミカルにお堂の中を響きわたります。中国読みのお経を聞くのは、初めてです。僧侶の方も頭から汗が噴き出るぐらい暑い中、私たちは、お焼香をさせてもらいました。
ご先祖様のいい供養ができました。ありがとうごいました。法要が終わると、大雄宝殿内で、最後の挨拶がありました。もう一般の拝観は終わっています。それでも「18時30分までは開けてます」との事でした。(写真は梵唄の模様です。法要中は撮影禁止でした。)
私ら参加者の多くは、大雄宝殿内を見学です。釈迦如来坐像や中国の仏師(先ほどの布袋さんと同じ范道生によるものです)が彫られた十八羅漢像を見て回りました。先ほど執事様よりの挨拶にもあったように、それぞれ個性的な表情でした。
それと・・・お堂を出ると執事様とお礼の挨拶をしたところ「売店も特別に開けてるので、見ていって下さい」と話されたので、見に行きました。
売店で少しはかり買い物をして、出たら18時を回ってました。まだ、大雄宝殿を見学する人や、誰もいない境内の写真撮る人、もちろん、もう帰られた方もおられます。私は西日に照らされたお堂を撮りながら萬福寺を出ることにしました。
強烈な西日に照らされた、大雄宝殿です。普段、この時間は閉まっているので、貴重な写真です。
こちらは、可愛そうなくら西日に照らされた布袋(弥勒菩薩)坐像です。暑いでしょう。
開梆(かいぱん)も西日に照らされて・・・・・。
今日の最大の目玉であった三門も出ました。その前には菊舎句碑を見つけました。
「山門を 出れば日本ぞ 茶摘み唄」江戸時代に純中国風の萬福寺を参拝され、この寺を出ると聞こえてきた茶摘みの唄に、我にかえった心境を読んだ俳句だそうです。
最後に総門から出ました。
陽もだいぶ陰ってきましたが、まだまだ暑い夕暮れ。しかし、風が熱風から涼しさを感じられるふうに変わってきましたね。
ここからJR奈良線の「黄檗」駅から帰りました。帰りの電車も幸いにも座れたし、嵯峨野線でも座ることができました。疲れた体には助かりました。
この日は、猛烈な暑さでしたが、一夜明け外を見ると雨が降ってます。一転、次の日の最高気温は31.4℃でした。雨でも次の日が良かったかなぁ・・・と思ってしまいました。
それにしても中国風の伽藍や儀式は初めて見るもので、本当に楽しかったです。特に作法などに中国で行われていたものを継承している黄檗宗ならではでした。
【萬福寺 三門】