元東伏見宮家別邸 吉田山荘で「華開席」を
下鴨神社の駐車場を11時40分頃タクシーは出発し、吉田山荘には12時00分に着きました。距離的に20分もかからないと思いますが(普通なら10分で行ける距離です)、吉田山荘の駐車場が満車だったらしく下の道路で長い長い長い時間待たされました。
吉田山荘の表唐門です。車はここをくぐり少しだけ坂を登ります。
食事のとき若女将から挨拶と吉田山荘の歴史について話されました。それは後程にするとして、この重厚な門は、宮大工棟梁で文化功労者の(奈良の法隆寺や薬師寺を修復された)西岡常一(にしおかつねかず)氏により1932年(昭和7年)に建てられました。西岡氏の建築は、京都で唯一ここでしか見ることができないそうです。
門を入ると坂を上がりますが、その両脇にも車が止まっていました。下で待ってるときにタクシーの運転手が「駐車場が混んでるからやろ」と言われてたことが分かりました。
車は玄関前で止めてくれました。下で長いこと待たされたので「やっと着いた」とホッとしました。
ここで靴を脱いで上がります。初めてきたので興味津々です。
玄関入って左には丸いステングラスがはめ込まれています。
これは直弧文鏡(ちょっこもんきょう)の背面をあしらったものだと説明がありました。宮様が「考古学も研究されてからでしょう」とのことでした。
入ると案内にしたがって部屋に入り、取り急ぎ席に着きました。
写真は、皆さんが食事が終わって席を立たれたあと撮りました。お庭を鑑賞しながら食事をいただきました。
また、この部屋にもステンドグラスがありました。
説明によると「フシミ」と読み取れるらしい。見えないこともないかなぁ・・・が感想です。
説明されるまで気が付かなかったけど、欄間には裏菊紋もありました。
他にも瓦などに使用されています。これは東伏見宮別邸であったことを示しており、許可を得て今も使用されてるそうです。
吉田山荘は、東伏見宮様(今上天皇の叔父)が京都帝国大学(現、京都大学)に通われるためのの別邸として1932年(昭和7年)に建てられました。外観は総桧造りで重厚な存在感にあふれ、屋根瓦には御皇室ゆかりの「裏菊紋」があしらわれています。「和」と「洋」が見事に組み合わされた文化財的な存在が評価され、2012年(平成24年)4月20日に登録有形文化財に指定されました。1948年(昭和23年)より料理旅館として今日に至っています。
最後に若女将から、客室は5部屋しかありませんが、泊まりにもきていたたきたい。また、『第33回 吉田山荘 観月会』が2014年10月4日(土)と5日(日)にありますので、是非来て下さいと言われました。
左にあるのは、女将直筆のものです。読めません。料理は先付けです。菊花豆腐、いくら、旨出汁ゼリーです。
次が造りで、鯛重ね造りです。
お茶をいただきましたが、茶碗にも裏菊紋がありました。ただ冷たい冷酒がほしかったけどバスに乗るのでやめました。
メインの弁当が運ばれてきました。京箱に2段重ねとなっています。
蓋を開けていただきました。御飯は松茸御飯でしたが、松茸確かにありました。
最後に弁当を食べ終わる頃に持って来られたお椀の赤出汁です。
味は普通で量も少なめでした。バスガイドさんより「京料理は薄味で慣れて下さい」と案内されてましたが・・・平凡な普通の味でしたね。特別美味しとは思いませんでした。
食べ終わると楽しみにしていた庭園です。事前に庭園に降りても良いか確認してました。私のように庭園を見に行く人や先にカフェ「真古館(しんこかん)」 に行かれる人等々いろいろですね。
先ず庭園に降りて建物を撮りました。まだ食事中の方もおられます。秋の紅葉は綺麗なんだろと思ってしまいますね。
小さな庭園ですが、東山を借景に綺麗に手入れされています。
庭園の奥まで行ってみました。「茶室なんかあるのかなぁ」と思いましたが何もなかったです。
最後に手水鉢を撮って上がりました。
ただ、この庭は、自分の靴を履いて建物の横から入れます。写真でお分かりでしょう。
枝垂れ桜があったので春は桜を楽しめそう。また、初夏はサツキやツツジが美しく咲くそうです。また、前途しましたが、紅葉も綺麗でしょう。東山三十六峰を見回せて小さな庭園ですが、充分楽しめます。
2階から見る庭園も綺麗だろうと思いましたが、他のお客さんも来てたので、玄関へ急ぎました。
お土産も売ってました。お酒には興味がありましたが、料理がもう一つだったので素通りです。
ここで、このツアーの料金に含まれているカフェ「真古館(しんこかん)」 に向かいました。真古館は、同じ敷地にあって、「2階から見晴らしはいいですよ」と若女将から紹介されたので楽しみです。つづく。
【吉田山荘 表唐門】
吉田山荘の表唐門です。車はここをくぐり少しだけ坂を登ります。
食事のとき若女将から挨拶と吉田山荘の歴史について話されました。それは後程にするとして、この重厚な門は、宮大工棟梁で文化功労者の(奈良の法隆寺や薬師寺を修復された)西岡常一(にしおかつねかず)氏により1932年(昭和7年)に建てられました。西岡氏の建築は、京都で唯一ここでしか見ることができないそうです。
門を入ると坂を上がりますが、その両脇にも車が止まっていました。下で待ってるときにタクシーの運転手が「駐車場が混んでるからやろ」と言われてたことが分かりました。
車は玄関前で止めてくれました。下で長いこと待たされたので「やっと着いた」とホッとしました。
ここで靴を脱いで上がります。初めてきたので興味津々です。
玄関入って左には丸いステングラスがはめ込まれています。
これは直弧文鏡(ちょっこもんきょう)の背面をあしらったものだと説明がありました。宮様が「考古学も研究されてからでしょう」とのことでした。
入ると案内にしたがって部屋に入り、取り急ぎ席に着きました。
写真は、皆さんが食事が終わって席を立たれたあと撮りました。お庭を鑑賞しながら食事をいただきました。
また、この部屋にもステンドグラスがありました。
説明によると「フシミ」と読み取れるらしい。見えないこともないかなぁ・・・が感想です。
説明されるまで気が付かなかったけど、欄間には裏菊紋もありました。
他にも瓦などに使用されています。これは東伏見宮別邸であったことを示しており、許可を得て今も使用されてるそうです。
吉田山荘は、東伏見宮様(今上天皇の叔父)が京都帝国大学(現、京都大学)に通われるためのの別邸として1932年(昭和7年)に建てられました。外観は総桧造りで重厚な存在感にあふれ、屋根瓦には御皇室ゆかりの「裏菊紋」があしらわれています。「和」と「洋」が見事に組み合わされた文化財的な存在が評価され、2012年(平成24年)4月20日に登録有形文化財に指定されました。1948年(昭和23年)より料理旅館として今日に至っています。
最後に若女将から、客室は5部屋しかありませんが、泊まりにもきていたたきたい。また、『第33回 吉田山荘 観月会』が2014年10月4日(土)と5日(日)にありますので、是非来て下さいと言われました。
左にあるのは、女将直筆のものです。読めません。料理は先付けです。菊花豆腐、いくら、旨出汁ゼリーです。
次が造りで、鯛重ね造りです。
お茶をいただきましたが、茶碗にも裏菊紋がありました。ただ冷たい冷酒がほしかったけどバスに乗るのでやめました。
メインの弁当が運ばれてきました。京箱に2段重ねとなっています。
蓋を開けていただきました。御飯は松茸御飯でしたが、松茸確かにありました。
最後に弁当を食べ終わる頃に持って来られたお椀の赤出汁です。
味は普通で量も少なめでした。バスガイドさんより「京料理は薄味で慣れて下さい」と案内されてましたが・・・平凡な普通の味でしたね。特別美味しとは思いませんでした。
食べ終わると楽しみにしていた庭園です。事前に庭園に降りても良いか確認してました。私のように庭園を見に行く人や先にカフェ「真古館(しんこかん)」 に行かれる人等々いろいろですね。
先ず庭園に降りて建物を撮りました。まだ食事中の方もおられます。秋の紅葉は綺麗なんだろと思ってしまいますね。
小さな庭園ですが、東山を借景に綺麗に手入れされています。
庭園の奥まで行ってみました。「茶室なんかあるのかなぁ」と思いましたが何もなかったです。
最後に手水鉢を撮って上がりました。
ただ、この庭は、自分の靴を履いて建物の横から入れます。写真でお分かりでしょう。
枝垂れ桜があったので春は桜を楽しめそう。また、初夏はサツキやツツジが美しく咲くそうです。また、前途しましたが、紅葉も綺麗でしょう。東山三十六峰を見回せて小さな庭園ですが、充分楽しめます。
2階から見る庭園も綺麗だろうと思いましたが、他のお客さんも来てたので、玄関へ急ぎました。
お土産も売ってました。お酒には興味がありましたが、料理がもう一つだったので素通りです。
ここで、このツアーの料金に含まれているカフェ「真古館(しんこかん)」 に向かいました。真古館は、同じ敷地にあって、「2階から見晴らしはいいですよ」と若女将から紹介されたので楽しみです。つづく。
【吉田山荘 表唐門】