栄西禅師800年大遠忌記念事業 建仁寺へ

全米オープン男子シングル準決勝で、錦織圭が日本人初の決勝進出を決めた9月7日(日)に久し振りに出掛けました。

バスで四条烏丸を降りて阪急電車の烏丸駅を通ると、京都新聞の号外をもらいました。『錦織 日本人初の決勝』のタイトルでした。今朝起きてテレビを付けたら、直ぐにニュース速報が出ました。そこで契約しているWOWOWにチャンネルを合わせるとインタビューを生で見られました。あまり期待してなかっただけに(失礼)嬉しいものですね。

その号外をリュックに閉まって向かった先は、こちらも久し振りの訪問の京都最古の禅寺 建仁寺です。

1202年(建仁2年)鎌倉幕府2代将軍・源頼家を開基として、宋から帰国した栄西が創建。当初は、天台・真言・禅の三宗兼学であったが、栄西没後半世紀で、禅専宗となり隆盛を極めました。

昨年まで、ほぼ毎日訪問していた建仁寺も今年に入って3回目。今年、建仁寺は開祖・栄西禅師の八百回の御遠諱の年でもあり、少し覗いて見たかったのと、後程訪問する特別拝観に行くためでした。

今日、建仁寺に入るのに、八坂通り沿いの勅使門から入りました。

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平重盛か平教盛の館にあった門だと伝わっており境内では一番古い建物です。近くで見ると矢痕の傷跡が分かります。そのため「矢の根門」「矢立門」とも呼ばれています。

この勅使門の西側の通用口から入ると正面に三門が見えてきます。

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勅使門と三門、そして法堂と一直線に並ぶ禅様式の特徴をあらわしています。昨年には半年ほどかけて、修復工事されてました。1923年(大正12)静岡県浜名郡の安寧寺から移建したもので、楼上には釈迦如来、迦葉・阿難両尊者と十六羅漢が祀られています。

この三門は、別名、望闕楼(ぼうけつろう)と言います、望闕楼とは「御所を望む楼門」という意味だそうです。今はビルがあって絶対見えないと思いますが、ビルが無くても見えたんでしょうか

この三門の東側にあるのが、開山堂ですが、手前に宝陀閣があって見えません。

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この宝陀閣も昨年、修復工事をされました。全ては八百回の御遠諱のためでしょう。手前の石碑もその時、建てられました。

この奥の開山堂は非公開ですが、昨年の特別公開時に見に行きました。今年の「京の冬の旅」でも公開されたようですが、建仁寺で一番神聖な場所と言えるでしょう。この開山堂では、毎日、朝の10時とお昼2時、そして深夜の2時に回向が建仁寺塔頭時間の住職さんによって行われています。

その開山堂の前には、茶碑があります。

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日本に初めてお茶を伝えた栄西の功績によって建てられた石碑です。

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その横の池には錦鯉が沢山・・・昨年まで・・・居たかなぁ。 

そのまま北に進むと法堂です。

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久し振りに来たので、後程内部に入ります。先ほども言いましたが、勅使門から法堂まで一直線に並んでいます。江戸中期(1765年)の建物で、仏殿も兼ねています。

それにしても境内は綺麗になりました。一昨年から昨年にかけて至る所で工事をされてたからです。その法堂の奥にある庫裏から入ります。

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台所と寺務所を兼ねているが庫裏ですが、ここでは拝観の受付をここでされています。

ここは拝観受付は10時00分からになっていますが、庫裏が開いていると入れます。9時45分頃に着きましたが、もちろん入れました。次の予定が10時拝観開始となっているので、ここで時間をつぶす。予定の行動です。

入ると日曜日だし、沢山の観光客が入ってました。ここは京都文化協会会員証を見せれば入れるので、10時までの時間つぶしには最適です

靴を脱いで久し振りに上がりました。昨年の紅葉の時は毎日足を運んだものです。

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最初の部屋には、俵屋宗達「風神雷神屏風図」(複製)と金澤翔子書「風神雷神」屏風が展示してあります。

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まだ、この時間は空いてましたが、帰る時には記念写真を撮る人で一杯でした

金澤翔子書さんの屏風・・・金澤翔子書品展も見に行きましたね。ご本人さんにもお会いしました。

勝手知ったる・・・・で、次に○△□乃庭を通過。

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後程、ここでゆっくり腰を下ろして涼みました。この時は通過です

この本坊内のメイン(私は勝手に思っています)の潮音庭です。

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先ほども言いましたが、紅葉時は毎日楽しまさせてもらいました。その時は、この庭を何周もして撮ったものです。今日は小書院側だけで撮りました。

次に行く所があるので、ここも直ぐに出ました。大書院には行かず法堂に向かいます。

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方丈から写真左の渡り廊下をスリッパを履いて向かいます。

昨年までの昼休み時の訪問では、法堂までは行けませんでした。あの細川護煕 襖絵と屏風の世界展の時だけだったと思います。

法堂内の天井に描かれた小泉淳作画伯筆の双龍図です。

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いつ見ても迫力ふりますね。ここでお参りもさせてもらいました。小泉淳作氏が1年と11ヶ月かけて製作し、2002年(平成14年)に完成。それまでは何も描いてなかったようです。

栄西禅師八百回の御遠諱の法要は、ここでされました。この日の朝、MBS毎日放送で「京の美遺産」が放送され建仁寺が紹介され法堂内での法要の模様が見られました。それを思い出しながら回った次第です。

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法堂内から撮った三門です。このように一直線に並んでいます。

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法堂から方丈に戻ってきました。思い出すと、この方丈の工事から始まったんですね。銅板葺きから創建当時の杮葺の屋根に変わりました。1599年(慶長4)に安国寺恵瓊が安芸の安国寺から移築したものと伝わっています。

今日、放送された番組内でも紹介された大雄苑(加藤熊吉作庭・昭和初期)です。

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修復工事の直後は、放火用のホースが見えてて、綺麗な庭が台無しかと思いましたが、こうして月日がたつと木々が覆い茂って見えなくなってます。元の綺麗な枯山水庭園が復活しました。中国の百丈山の旧名が大雄山であったことに由来します。

方丈裏の照霊(納骨堂)辺りの紅葉が綺麗でしたね。

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方丈西側から下に降りられますが、今日はこれで出口に急ぎました。

その前に室中の間だけ撮りました。竹林七賢図(海北友松筆)が描かれています。

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本物は京都国立博物館に寄託され大切の保管されています。これは高画質で複製されたものです。よって・・自由に写真は撮れます

時計の針が10時をさしてました。今日の目的である特別拝観の寺院が拝観を開始した時刻となりました。そのため、さっと見てさっと出ました。つづく。

【勅使門】



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