小堀遠州が建立した大徳寺塔頭 孤篷庵へ
龍源院を9時45分に出て大徳寺山内を北に進みます。右手に三門、仏殿、法堂を見ながら石畳を進むと正面に大徳寺本坊の門がありますが、ここでは入りません。9時30分から拝観が始まってるので先に入ればと思われるでしょうけど・・・・。その山門の前を今度は西に進みます。
そしたら看板が出てました。孤篷庵まで300㍍と書いてあります。
実は孤篷庵は初めての訪問のため、入口がわかりません。北からか南からか・・・・地図では分からなかったです。
そのまま西に進むと今宮門前通りに出ます。信号が無いので注意しながら渡ると両側には京都市立紫野高校がありますが、そこに石碑が建ってました。
ここかかでは100㍍もないでしょう。ここからゆっくり坂を上がって行きます。
ここまで来ると入口が分かりました。既に行列が出来てるのを確認できたからです。この時、9時52分でした。
そして当初の予定どおり孤篷庵の表門に着きました。このとき9時55分でしたが、先頭の人より受付が始まりました。
この門に臨時の拝観受付があって、順々に受付さていきます。ここで拝観料1500円を納めます(孤篷庵だけなら800円・大徳寺本坊とセットが1500円)。朱印を訪ねると「やってません」と返答。ここは庫裏をくぐると写真撮影禁止と聞いていたので、絵はがきセット(500円)を買いました。拝観料を納めると赤い番号札を渡されました。何の説明も無いのででしたが後程分かります。ちなみに番号は24番。私は24番目の受付だったんですね。
石橋の欄干にあたる2枚の切石は、やや内側に傾いてると言います。その石を支える橋挟石(はしばさみいし)の加工具合から最初から加工されてたことをうかがえます。
石畳を進み庫裏の中に入ります。中に入れば写真が撮れないのが分かってたので、庫裏だけは撮りました。
そしたら後から一人抜いて行かれました。あと何人か入って来られるものと思ったんですが、後は誰も来ません。要するに25人しか入れないんです。と言うことは・・・ギリギリセーフだったんですね。
靴を脱いで上がると荷物を預けるように言われます。ただ「荷物の中に財布が入ってるけど大丈夫」と尋ねると「胸の中に抱えてください」と言われました。なお、ここからは撮影禁止です。ここからの写真はポストカード&パンフからの抜粋のため画像は悪いです。雰囲気だけでも。
最初に方丈へ案内されました。私は24番目のため最初の人から前庭の前に横並びに座られてました。
荷物を預けた人もいたので、全員が揃ったところでガイドさんより案内が始まりました。最初は注意事項です。「ここから撮影禁止と重要文化財の襖を傷つけないで」と何度も何度も注意され、ここの歴史を話されました。
武将であり、千利休・古田織部の茶の湯を継承し、作庭家として非凡な才能で知られた小堀遠州が、全美意識をかけて最後につくったが孤篷庵です。孤篷とは孤舟(こしゅう)のことで、遠州の集大成が随所に込められています。1612年(慶長17年)、遠州が大徳寺の龍光院内に江月宗玩(こうげつそうがん)を開祖に小庵・孤篷庵を建立。1643年(寛永20年)に現在の地に移りました。1793年(寛政5年)に火災により全焼してしまいますが、住持・寰海(かんかい)、遠州を崇敬した松江藩主・松平不昧が古図を基に再建されました。
赤土と垣根しかない平凡な庭を眺めながら話を聞きました。カラスや鳥の鳴き声が説明の声を遮りましたが、それも風情がありました。今は見ませんが、ここから船岡山が望めたと言います。また東端には檜の刈り込みがあって「牡丹刈り」と呼ばれています。冬に雪が積もった姿がまるで牡丹の花が咲いたように見えることから名付けられました。
廻る時間が決められてるみたいで、案内が終わり時間がきたら次ぎに移動です。方丈西側の書院式茶席で有名な忘筌の間です。
忘筌(ぼうせん)とは遠州の座右の銘のことで、筌は、竹で編んだ漁具のことをいいます。中国の『荘子(そうじ)』に「筌は魚に在る所以、魚を得て筌を忘る」、つまり目的をとげれば、その方便を忘れてよいという、悟りの境地をあらわした句のことで、晩年を過ごした遠州の心境でしょうか。
ここから見える庭の写真です。私もこの光景を見に来て分かったことですが、下は吹き抜けになってるんですね。見に来ないと分からなかったですね。見た目は、このポストカードの写真よりずっとずっと綺麗です。
西陽を避けて、上半分だけ明かり障子を入れてあります。切り取られた風景は舟窓からの風景に、全体が孤舟の窓に見立ててあります。陽は手前の手水鉢の水面に反射し、かつては白かった天井に、砂摺りという手法によって光が揺らめいたといいます。また通常は躙り口があって、かがんで茶室に入りますが、下半分が吹き抜けになっていることから、ここはかがむ必要はありません。武家である遠州は誰でも気楽に楽しめるようにと考えたのでしょう
以前の公開は、ここまででした。ここからは過去に一般公開されたことのない、狩野探幽のオリジナルの障壁画等も間近で観賞できる書院「直入軒」、茶室「山雲床」に入ります。
ここからは人数制限で、入口で渡された番号札を係の人に渡します。重要文化財の襖絵を痛めないためだと思います。要するに前の組が出てこないと入れないと言うことです。そのため門前で待たされるんですね。
直入軒(じきにゅうけん)からで、名前の由来は、早くに亡くなった遠州の長男が法名からで、一超直入如来地からとられました。修行を超越して如来の境地に至ると言う意味らしいです。
遠州は直入軒を居間として使用しました。ここで寝泊まりして仕事をした部屋でしょう。南向きの部屋で松平不昧公が、ここを再建する時に狩野派の絵師に書かせた襖絵がありました。
さらに奥へ案内されます。中には入れないので手前から順々に見ることになりますが案内を先にされました。この部屋が茶室「山雲床(さんうんじょう)」です。
障子を開けると手前に織部灯籠(キリシタン灯籠)といい灯籠の下にマリア様に見立てた仏様が彫られた灯籠に目が行きます。手前の手水鉢は「布泉(ふせん)」と印刻されています。これは中国の古銭を模して作られました。
人数が多いので後の人は見えません。そのため順番に見ていって、次ぎに案内されたのが直入軒前庭です。先ほどの忘筌の間からは全景は見えませんか、ここに来て初めて全景を見ることができます。
遠州の故郷である琵琶湖を模した近江八景の風景が広がります。綺麗な苔に見事な松の刈り込み。忘筌の間からは想像もできない空間が見事でした。
案内はここまでです。時間が許す限り書院「直入軒」、茶室「山雲床」に居ることはできます。時間前に出てしまうと戻ることは出来ません。ただ方丈前庭なんかはもう一度戻って自由に見ることは可能でした。
次の予定があるので、前庭には戻らず出ました。感想は・・・素晴らしい庭園でした。襖絵も茶室も素晴らしいもので、次回の公開時も必ず行くでしょうね。ここは何回行っても行く価値はあるかと思います。門前で買った絵はがきセットの写真より、自分の目で確かめた孤篷庵は比べものにならないくらい綺麗でした。
孤篷庵の庫裏を出て表門を見ると・・・人が並んでいる。
平日でも・・・こんなに並んでいる。土日の混雑ぶりも想像できます。私の知り合いは初日に「20分並んだ」と聞きました。やっぱり大徳寺本坊に入らず正解だったことを証明できました。
ここから再び東に進み本坊まで戻りますが、その道々で孤篷庵に向かわれる人とすれ違いました。時計の針は10時40分になってましたが、これから益々混雑するのでしょう。やっぱり大人気ですね。でも並んでも見る価値は充分あるかと思いました。次回は、大徳寺本坊と法堂です。つづく。
そしたら看板が出てました。孤篷庵まで300㍍と書いてあります。
実は孤篷庵は初めての訪問のため、入口がわかりません。北からか南からか・・・・地図では分からなかったです。
そのまま西に進むと今宮門前通りに出ます。信号が無いので注意しながら渡ると両側には京都市立紫野高校がありますが、そこに石碑が建ってました。
ここかかでは100㍍もないでしょう。ここからゆっくり坂を上がって行きます。
ここまで来ると入口が分かりました。既に行列が出来てるのを確認できたからです。この時、9時52分でした。
そして当初の予定どおり孤篷庵の表門に着きました。このとき9時55分でしたが、先頭の人より受付が始まりました。
この門に臨時の拝観受付があって、順々に受付さていきます。ここで拝観料1500円を納めます(孤篷庵だけなら800円・大徳寺本坊とセットが1500円)。朱印を訪ねると「やってません」と返答。ここは庫裏をくぐると写真撮影禁止と聞いていたので、絵はがきセット(500円)を買いました。拝観料を納めると赤い番号札を渡されました。何の説明も無いのででしたが後程分かります。ちなみに番号は24番。私は24番目の受付だったんですね。
石橋の欄干にあたる2枚の切石は、やや内側に傾いてると言います。その石を支える橋挟石(はしばさみいし)の加工具合から最初から加工されてたことをうかがえます。
石畳を進み庫裏の中に入ります。中に入れば写真が撮れないのが分かってたので、庫裏だけは撮りました。
そしたら後から一人抜いて行かれました。あと何人か入って来られるものと思ったんですが、後は誰も来ません。要するに25人しか入れないんです。と言うことは・・・ギリギリセーフだったんですね。
靴を脱いで上がると荷物を預けるように言われます。ただ「荷物の中に財布が入ってるけど大丈夫」と尋ねると「胸の中に抱えてください」と言われました。なお、ここからは撮影禁止です。ここからの写真はポストカード&パンフからの抜粋のため画像は悪いです。雰囲気だけでも。
最初に方丈へ案内されました。私は24番目のため最初の人から前庭の前に横並びに座られてました。
荷物を預けた人もいたので、全員が揃ったところでガイドさんより案内が始まりました。最初は注意事項です。「ここから撮影禁止と重要文化財の襖を傷つけないで」と何度も何度も注意され、ここの歴史を話されました。
武将であり、千利休・古田織部の茶の湯を継承し、作庭家として非凡な才能で知られた小堀遠州が、全美意識をかけて最後につくったが孤篷庵です。孤篷とは孤舟(こしゅう)のことで、遠州の集大成が随所に込められています。1612年(慶長17年)、遠州が大徳寺の龍光院内に江月宗玩(こうげつそうがん)を開祖に小庵・孤篷庵を建立。1643年(寛永20年)に現在の地に移りました。1793年(寛政5年)に火災により全焼してしまいますが、住持・寰海(かんかい)、遠州を崇敬した松江藩主・松平不昧が古図を基に再建されました。
赤土と垣根しかない平凡な庭を眺めながら話を聞きました。カラスや鳥の鳴き声が説明の声を遮りましたが、それも風情がありました。今は見ませんが、ここから船岡山が望めたと言います。また東端には檜の刈り込みがあって「牡丹刈り」と呼ばれています。冬に雪が積もった姿がまるで牡丹の花が咲いたように見えることから名付けられました。
廻る時間が決められてるみたいで、案内が終わり時間がきたら次ぎに移動です。方丈西側の書院式茶席で有名な忘筌の間です。
忘筌(ぼうせん)とは遠州の座右の銘のことで、筌は、竹で編んだ漁具のことをいいます。中国の『荘子(そうじ)』に「筌は魚に在る所以、魚を得て筌を忘る」、つまり目的をとげれば、その方便を忘れてよいという、悟りの境地をあらわした句のことで、晩年を過ごした遠州の心境でしょうか。
ここから見える庭の写真です。私もこの光景を見に来て分かったことですが、下は吹き抜けになってるんですね。見に来ないと分からなかったですね。見た目は、このポストカードの写真よりずっとずっと綺麗です。
西陽を避けて、上半分だけ明かり障子を入れてあります。切り取られた風景は舟窓からの風景に、全体が孤舟の窓に見立ててあります。陽は手前の手水鉢の水面に反射し、かつては白かった天井に、砂摺りという手法によって光が揺らめいたといいます。また通常は躙り口があって、かがんで茶室に入りますが、下半分が吹き抜けになっていることから、ここはかがむ必要はありません。武家である遠州は誰でも気楽に楽しめるようにと考えたのでしょう
以前の公開は、ここまででした。ここからは過去に一般公開されたことのない、狩野探幽のオリジナルの障壁画等も間近で観賞できる書院「直入軒」、茶室「山雲床」に入ります。
ここからは人数制限で、入口で渡された番号札を係の人に渡します。重要文化財の襖絵を痛めないためだと思います。要するに前の組が出てこないと入れないと言うことです。そのため門前で待たされるんですね。
直入軒(じきにゅうけん)からで、名前の由来は、早くに亡くなった遠州の長男が法名からで、一超直入如来地からとられました。修行を超越して如来の境地に至ると言う意味らしいです。
遠州は直入軒を居間として使用しました。ここで寝泊まりして仕事をした部屋でしょう。南向きの部屋で松平不昧公が、ここを再建する時に狩野派の絵師に書かせた襖絵がありました。
さらに奥へ案内されます。中には入れないので手前から順々に見ることになりますが案内を先にされました。この部屋が茶室「山雲床(さんうんじょう)」です。
障子を開けると手前に織部灯籠(キリシタン灯籠)といい灯籠の下にマリア様に見立てた仏様が彫られた灯籠に目が行きます。手前の手水鉢は「布泉(ふせん)」と印刻されています。これは中国の古銭を模して作られました。
人数が多いので後の人は見えません。そのため順番に見ていって、次ぎに案内されたのが直入軒前庭です。先ほどの忘筌の間からは全景は見えませんか、ここに来て初めて全景を見ることができます。
遠州の故郷である琵琶湖を模した近江八景の風景が広がります。綺麗な苔に見事な松の刈り込み。忘筌の間からは想像もできない空間が見事でした。
案内はここまでです。時間が許す限り書院「直入軒」、茶室「山雲床」に居ることはできます。時間前に出てしまうと戻ることは出来ません。ただ方丈前庭なんかはもう一度戻って自由に見ることは可能でした。
次の予定があるので、前庭には戻らず出ました。感想は・・・素晴らしい庭園でした。襖絵も茶室も素晴らしいもので、次回の公開時も必ず行くでしょうね。ここは何回行っても行く価値はあるかと思います。門前で買った絵はがきセットの写真より、自分の目で確かめた孤篷庵は比べものにならないくらい綺麗でした。
孤篷庵の庫裏を出て表門を見ると・・・人が並んでいる。
平日でも・・・こんなに並んでいる。土日の混雑ぶりも想像できます。私の知り合いは初日に「20分並んだ」と聞きました。やっぱり大徳寺本坊に入らず正解だったことを証明できました。
ここから再び東に進み本坊まで戻りますが、その道々で孤篷庵に向かわれる人とすれ違いました。時計の針は10時40分になってましたが、これから益々混雑するのでしょう。やっぱり大人気ですね。でも並んでも見る価値は充分あるかと思いました。次回は、大徳寺本坊と法堂です。つづく。