京都浄土宗寺院 特別大公開 聖光寺へ

京都で一番の繁華街である四条通りの寺町を南へ下がると、私が若い頃には電気街がありました。久し振りに訪れた寺町通りは大きく変わってました。しかし繁華街には違いないので車や人の行き来は多いです。その賑やかな寺町通り沿いに京都浄土宗寺院 特別大公開聖光寺がありました。

この聖光寺の公開が10月10日(金)10時~15時の一日しかなく、予定どおり昼から休みを取って行きました。

寺町通りを下がって行くと左手に聖光寺の山門が見えてきます。余談ですがオーディオ好きで学生の頃、よく寺町の電気街に足を運んだものです。

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人通りが多く、路上駐車の車があって、この山門を取るのは苦労したと言うより車が恐かった

普段は、山門は閉まっているので入れないかと思います。やっぱり来て良かったです。山門入って左にあったのが地蔵堂です。

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お堂の中には地蔵菩薩が祀られてました。

錦綾山(きんりょうざん)と号し、浄土宗鎮西派に属する寺である。寺伝によれば、当地には平安時代後期、仏師康慶(こうけい)の居宅があり、その後園に浄土宗第二祖聖光房弁長(しょうこうぼうべんちょう)鎮西上人の草庵があったといわれている。弁長は、ここから8年間、法然上人の許に通い、浄土宗の法灯を受け継いだと伝えられている。  当寺は1204年(元久元年)、弁長の帰郷に際し、康慶がその別離を悲しみ、弁長自身の真影をこの草庵に奉安し、聖光庵と名付けたことに始まるといわれている。本堂には、鎌倉時代の作と伝えられる嵯峨式釈迦如来立像を安置し、寺宝としては清海曼荼羅(せいかいまんだら)、当麻曼荼羅(たいままんだら)の二幅を蔵している。また、境内には大石良雄の母と、綿屋善右衛門好時(わたやぜんえもんよしとき)天野屋利兵衛(あまのやりへい)の墓がある。(門前の駒札より)

本堂へは書院の玄関から入ります。

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平日のこの日しか公開がないので、多くの人が訪れてました。

玄関を入ると受付があって、そこで由緒書きをいただきました。拝観料は無料です。朱印はお隣の部屋で預けます。びっくりするぐらい朱印帳が置いてあったので時間はかかりそうだと分かりました。

案内にしたがって書院から本堂へは渡り廊下を通って移動します。

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そして残念ながら堂内は撮影禁止でした。

それより堂内には多くの椅子が置いてあります。「法話 尼僧と話そう」と案内には書いてあったので、そのためでしょう。そして椅子には多くの人が座っています。

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本尊の阿弥陀如来立像です。いただいた由緒書きから抜き取りました。

普段見ることができないご本尊にお参りできました。あと寺宝もゆっくり見させて貰いました。人も多いので長居はできません。玄関に戻る途中に庭園があったので見せて貰いました。

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寺宝といい庭園といい、普段見られないのは残念ですね。

玄関に戻ってもまだ、朱印は出来てなかったので暫く待ちました。あれだけの朱印帳をさばくのは大変だったでしょう。

ここを出るので本堂を撮りました。

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ここを出る時少しだけ空いてきたので、撮れました。

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駒札には、「大石良雄の母と、綿屋善右衛門好時、天野屋利兵衛の墓がある」と書いてありましたが、墓所の場所が何処か分かりませんでした。

お昼は食べてませんが、この近くにもう一ヶ所公開寺院があるので、向かいました。つづく。

【聖光寺 本堂】



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