織部流武家点前 泉涌寺塔頭 雲龍院へ

白川通りを北上したバスは銀閣寺の交差点で左折し今出川通りを西に進みます。そのまま西に暫く進んだところ河原町通りまで行きます。そして今度は河原町通りを南下しましたが、途中、三条通りと四条通りの間にデモがあったため、渋滞しました。四条通りを南下したら渋滞もなく九条通りまで南下します。バスは左折し九条通りを少し東に入ると右手に東福寺を見ながら泉涌寺の交差点を右折。そのまま緩やか坂を登っていき泉涌寺の駐車場に15時00分に着きました。

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最後になってしまいましたが、最初に説明したとおり3日前に舞妓さん芸妓さん太夫さんがお披露目されました。今日のバスは、その中の太夫さんに乗せて貰ったということです。

泉涌寺の駐車場から泉涌寺塔頭 雲龍院まで歩いて行きます。だいたい3分ぐらいで雲龍院の山門に着きました。

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ここ雲龍院は2年と半年ぶりの訪問です。

前回は「第46回京の冬の旅 非公開文化財特別公開」に訪れました。その時が初訪問で、今日で2回目です。

門を入ると正面に庫裏が見えます。

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一直線の石畳を進みます。ここも帰りに撮りました。21名もの団体で来てるので・・・・

途中に鐘楼がありました。

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前回は梅が綺麗でした。

正面に庫裏があって、その右側に拝観受付があります。

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ここの下駄箱に靴を入れ上がります。バスガイドさんから由緒書きを受け取って、本堂に向かいますが・・・その前に、ここ雲龍院ではが描かれた衝立がお出迎えです。

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近年作者自らの申し出で加筆され、墨色も鮮やかになったらしい・・・です。

この龍図を見てたら、ガイドさんが「早く本堂へ」と言ってるように感じたので、急ぎました。この写真は、後程案内したいただける霊明殿から見た本堂 龍華殿(重要文化財)です。

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本堂に入って、この雲龍院の歴史などについて、和尚さんより案内が始まりました。

本堂の龍華殿の中央には、南北朝時代・北朝の後光厳天皇、後円融天皇、後小松天皇が祀られています。なお、後小松天皇は、とんちで有名な一休禅師ゆかりの天皇で知られています。その左側には今上天皇より4代前の孝明天皇までををお祀りしています。この建物は1868年(明治元年)に建てられましたが、和宮 親子内親王の支援がありました。

お話が終わると本堂内でお参りさせてもらいました。堂内では沢山の方が写経されてました。これは後円融天皇が写経の功徳をご信奉になり法写経の勤修は雲龍院に受け継がれているからでしょう。ただ前回訪問した時に、龍図が書かれて襖絵を見せてもらいましたが、今日は無かったです。何処に終われたんでしょうか

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本堂から見た表門です。重要文化財に指定された本堂は、表門が開いていれば全景が撮れますが、全景は無理ですね。

次に霊明殿に移動しますが、その前の石灯籠に菊御紋がありました。

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いかにも皇室ゆかりのお寺です。

今日のツアー客が全員霊明殿に入り、説明を聞きました。

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こちらは本殿から見た霊明殿です。

1868年(明治元年)に孝明天皇や和宮親子内親王の援助で建立された皇室の位牌を祀るお堂です。後光巌天皇や後円融天皇の木像も安置されてました。

時間が押しているのか、ここはあっさり。そして、いよいよここのメインと言うか、このツアーのメインでもある織部流武家点前のため書院に入ります。そして部屋に入り席に着くと先の和尚さんより織部流武家点前の説明を受けました。

織部流武家点前と言うのは、元々は戦場や陣中でお茶をいただく席のことで、戦国武将の古田織部が考案したと言われています。織部は千利休の弟子であり、利休死後は、その地位を継承するかのように天下の茶人となりました。その後、織部は隠居していた1615年(慶長20年)、大坂夏の陣で豊臣方に内通している疑いで切腹を命じられ、自害します。享年73歳でした。そのことで江戸時代は御法度流儀ということになりましたが、昭和の初めてに復活し織部の名も知られるようになりました。

次ぎに作法についての説明です。織部流武家手前は、戦場において殿様が労いの意味でお茶を出す作法です。そのため立ったためお茶を出す作法が特徴です。ここで織部流の方から説明が入りました。

へぎに入ってお茶碗が乗っています。またお菓子も乗って、お茶碗の中には抹茶も入っています。それを一人つづ運ばれきますので、一人づつ受取ります。それを赤色の毛氈の半掛けにへぎを置きます。その上には扇子も乗っていますが、それは雲龍院からの贈り物で受け取ります。へきで届けられたお菓子は、直ぐにいただきます。そのあとお湯を持って点てられますので、お茶碗を持って目の位置ぐらいで点ててもらいます。そしたらお茶の香りも楽しめますし、お茶を一番美味しく、そして気軽にいただけるところが特徴です。

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へぎに入ったお菓子とお茶碗が運ばれてきました。一人一人に運ばれますので、最後の人まで時間はかかりますが、運ばれてきた人からお菓子をいただきます。

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このように一人一人、受取ます。お気軽にと言われたとおり緊張感はありません

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最初の説明で聞いたとおり、毛氈の半掛けにへぎを置きます。そしてわらび餅風のお菓子”こうげつ”をいただきました。

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運び終わると次ぎに、陶瓶の中にお湯が入ってて、それで濯がれお茶を点てられます。

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この時、すごくお茶の香りがします。水屋でお茶を点てるのでは無いので、香りが楽しめますね。この陶瓶は重くて大変熱いらしいです。普通に持っておられますけど。

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菊の御紋が入った茶碗でいたたきました。美味しかったです。

今日は時間外無いので省略されるそうですけど、お茶をいただき終わったら、へきを置きます。それを一人づつ手渡して持って行かれるみたいです。時間が押してたみたいて仕方ないけど見たかったです。そより、すごく貴重な体験をさせてもらいました。このツアーならではですね。

お茶が終われば順に席を立ちました。「庭園を見渡せる部屋が、この書院には4部屋あるので見て下さい」と案内がありましたので、ゆっくり見て回ることにしました。

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堅苦しい儀式ではないので、このように正座ができない人のため、椅子も用意されてました。

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に来たのが冬の庭でした。今度は初秋の庭です。時間は限られていますが、庭は見て回ります。

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先ほどお茶をいただいた書院の部屋が見えています。対岸の部屋から見ています。

ここで是非見ておきたい部屋がるあるので写真を撮りました。先ず迷いの窓です。

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角角を生老病死・四苦八苦を表しています。人がが必ず受ける苦しみ悩みを表しています。

その隣が角が取れた悟りの窓です。真円は禅の教えで悟りの境地を表します。

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この窓から見える梅は「はねずの梅」と良い、写真家の水野克比古さんは、この丸窓から綺麗に八重咲きを捉えてました。この窓の手前から紅梅・ハナカイドウ・シャクナゲと3段階で花を楽しめるようになっています。紅梅が咲く頃にお茶会が開かれます。窓の外に紅梅、手前の襖絵に白梅が描かれており紅白となるように考えられました。

この部屋は元々長老や偉い人が使われていたので、一般には公開されてませんでした。しかし、数年前にJR東海さんのCMで使われたこともあって、一般に公開されるようになりました。「この部屋では是非座ってゆっくり見ていって下さい。」と案内の人が言われてました。

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隣を向くと迷いの窓がこれは違います。障子が少しだけ開いてました。

本当はもっとゆっくりしたかったんですけど、駐車場に16時10分に戻らなくてはいけないので、拝観入り口にもどりかけました。その途中でみつけた坪庭です。

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何か良い雰囲気があって、撮りました。

最後に、一般の方がお茶をいただける部屋を見て出ました。

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この日は祝日のためか、多くの参拝者が訪れてました。本堂で写経する人やここでお茶をいただく人。人それぞれに休日を楽しまれてました。

泉涌寺の駐車場に16時10分集合でしたが、遅れて戻られてきた人も居たので16時16分にバスは出発しました。3連休の最終日のためか、京都駅周辺は渋滞してました。そのため京都駅には16時35分に着きました。プレミアムコースは、昨年の「~特別な京都観光~比叡山延暦寺「大書院」特別拝観と天台薬師の池「びわ湖」遊覧」以来2度目です。二人がけシートに一人でゆったり観光が出来ますが・・・今日のコースは・・・もう一つでした・・・何か物足りない・・・が私の感想でした。最後の最後、今日の運転手さんは昨年のびわ湖と同じ人でした。何処かでお目にかかったことが・・・と思い、帰って調べたら分かった次第です

次に珍しいコース、この定期観光でしかできないコースがあれば一日楽しめるので是非行きたいとは思っています。

【雲龍院 山門】



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