東山区民ふれあい文化財鑑賞会 東福寺塔頭 勝林寺へ
泉涌寺を9時50分に出て、泉涌寺参道を塔頭寺院の新善光寺、戎光院、法音院を見ながら下って行きます。そして泉涌寺の総門を過ぎると右に那須与一で知られる即成院を右に見ながら左に曲がります。
最初は車一台は通れる道ですが、途中から車は無理、しかも階段もあって、そんな細い道を進むとやっと東福寺塔頭 勝林寺の東門に着きました。泉涌寺から15分、時計は10時5分でした。
有名な寺のわりには門が小さいので、最初着いた時は道を間違えたのかと思いました。
勝林寺は紅葉で有名で、秋にはライトアップもあるので、いつかは行ってみようとは思ってました。ちなみに南門から入るとこんな感じです。
東福寺の境内から来ると、ここを通ります。東門にない階段を登るところでした。
東門を入ると手前に手水舎がありました。
それより境内の半分が工事中のようでした。初めて来たので以前の様子は知りませんが。
そのまま進むと本堂がありますが、手前のモミジが「紅葉している」と思いましたが、多分品種なんでしょう。
本堂前に受付があって、参加証にハンコを押してもらいます。入る前から分かりましたが泉涌寺と違って、ここは訪れてる人が多いです。
靴を袋に入れて上がります。私は気が付かなかったんですが、案内では左に進んでガイドさんの説明を聞くんですね。知らなかった私は、先に朱印をいただきに右の書院へ進みました。そこから見た庭園です。
堂内は撮影禁止ですが、室内から庭に向けての撮影はOKとのことでした。
綺麗な庭でした。秋のモミジも綺麗そうで、再訪の価値はありますね。それに東福寺境内から離れているのも混雑の嫌いな私には好都合です。
朱印は長いこと待ちましたが、ご住職さんが不在と言うか「何処に行かれたのか分からない」とのことで、既に書かれたものに日付を書いた朱印をいただくことになりました。
ところでご本尊にお参りはと思いましたが、ここが書院だと気が付きませんでした。もう一度本堂に戻ると案内の人が「左から本堂に入って下さい」と言われて、初めて順番が逆だったことを知ることに。
本堂に入ると先ず勝林寺の歴史について案内が始まりました。
1550年(天文19年)に東福寺第二百五世住持であった高岳令松(こうがくれいしょう)禅師によって創設された。本山東福寺の鬼門(北方)に位置し、仏法と北方を守護することから「東福寺の毘沙門天」と呼ばれました。
次ぎに襖絵についての案内です。毘沙門堂前堂の左右に描かれた虎の大襖絵です。
これはパンフレットの切り貼りです。
この襖絵は、日本画家・櫟 文峰(あららぎ ぶんぽう)の1926年(大正15年)の作と言われてます。 風に向かって吼える虎(写真・上)は毘沙門天表し、睦まじい2頭の虎(写真・下)はその妻子である吉祥天と善膩師童子を表しています。
最後に毘沙門天三尊像についての案内です。
写真は毘沙門天像です。(ボスとカードより)
仏教の四天王の一つでも毘沙門天が勝林寺の本尊で毘沙門堂の中央に安置されています。毘沙門天は、古来より財福、戦勝の神とされています。脇侍は、女性に美と幸福を授ける吉祥尊天像(向かって右)と、毘沙門天王と吉祥尊天の御子とされる善膩師童子像(向かって左)が安置されています。この三尊を全て拝むと一家和合の神として子授け、子育て、夫婦円満の御利益があると言われています。
毘沙門堂で秘仏を鑑賞しお参りして、ここを出ました。次から次から参拝者が増えてきました。
本堂前の前庭です。ここは比較的ゆっくりしました。
紅葉のライトアップに再訪したいと思いつつ、勝林寺を南門から出ました。時計の針は10時20分になってました。目標は、次の法性寺を出る時間を「11時までに」と決めてました。この様子だと間に合いそうで、ひと安心。膝を痛めていることもあって法性寺には、ゆっくり向かうことにしました。ここの地理には詳しいので、6分か7分で着くでしょう。つづく。
最初は車一台は通れる道ですが、途中から車は無理、しかも階段もあって、そんな細い道を進むとやっと東福寺塔頭 勝林寺の東門に着きました。泉涌寺から15分、時計は10時5分でした。
有名な寺のわりには門が小さいので、最初着いた時は道を間違えたのかと思いました。
勝林寺は紅葉で有名で、秋にはライトアップもあるので、いつかは行ってみようとは思ってました。ちなみに南門から入るとこんな感じです。
東福寺の境内から来ると、ここを通ります。東門にない階段を登るところでした。
東門を入ると手前に手水舎がありました。
それより境内の半分が工事中のようでした。初めて来たので以前の様子は知りませんが。
そのまま進むと本堂がありますが、手前のモミジが「紅葉している」と思いましたが、多分品種なんでしょう。
本堂前に受付があって、参加証にハンコを押してもらいます。入る前から分かりましたが泉涌寺と違って、ここは訪れてる人が多いです。
靴を袋に入れて上がります。私は気が付かなかったんですが、案内では左に進んでガイドさんの説明を聞くんですね。知らなかった私は、先に朱印をいただきに右の書院へ進みました。そこから見た庭園です。
堂内は撮影禁止ですが、室内から庭に向けての撮影はOKとのことでした。
綺麗な庭でした。秋のモミジも綺麗そうで、再訪の価値はありますね。それに東福寺境内から離れているのも混雑の嫌いな私には好都合です。
朱印は長いこと待ちましたが、ご住職さんが不在と言うか「何処に行かれたのか分からない」とのことで、既に書かれたものに日付を書いた朱印をいただくことになりました。
ところでご本尊にお参りはと思いましたが、ここが書院だと気が付きませんでした。もう一度本堂に戻ると案内の人が「左から本堂に入って下さい」と言われて、初めて順番が逆だったことを知ることに。
本堂に入ると先ず勝林寺の歴史について案内が始まりました。
1550年(天文19年)に東福寺第二百五世住持であった高岳令松(こうがくれいしょう)禅師によって創設された。本山東福寺の鬼門(北方)に位置し、仏法と北方を守護することから「東福寺の毘沙門天」と呼ばれました。
次ぎに襖絵についての案内です。毘沙門堂前堂の左右に描かれた虎の大襖絵です。
これはパンフレットの切り貼りです。
この襖絵は、日本画家・櫟 文峰(あららぎ ぶんぽう)の1926年(大正15年)の作と言われてます。 風に向かって吼える虎(写真・上)は毘沙門天表し、睦まじい2頭の虎(写真・下)はその妻子である吉祥天と善膩師童子を表しています。
最後に毘沙門天三尊像についての案内です。
写真は毘沙門天像です。(ボスとカードより)
仏教の四天王の一つでも毘沙門天が勝林寺の本尊で毘沙門堂の中央に安置されています。毘沙門天は、古来より財福、戦勝の神とされています。脇侍は、女性に美と幸福を授ける吉祥尊天像(向かって右)と、毘沙門天王と吉祥尊天の御子とされる善膩師童子像(向かって左)が安置されています。この三尊を全て拝むと一家和合の神として子授け、子育て、夫婦円満の御利益があると言われています。
毘沙門堂で秘仏を鑑賞しお参りして、ここを出ました。次から次から参拝者が増えてきました。
本堂前の前庭です。ここは比較的ゆっくりしました。
紅葉のライトアップに再訪したいと思いつつ、勝林寺を南門から出ました。時計の針は10時20分になってました。目標は、次の法性寺を出る時間を「11時までに」と決めてました。この様子だと間に合いそうで、ひと安心。膝を痛めていることもあって法性寺には、ゆっくり向かうことにしました。ここの地理には詳しいので、6分か7分で着くでしょう。つづく。