河井寛次郎記念館へ
方広寺を出て再び大和大路通りに出て北に進みます。そして五条通りに出る手前、渋谷通りを東に入ります。ほんの少し登りながら進むと東大路通りに出る手前、五条通りに抜ける細い道を北に上がると河井寛次郎記念館が見えてきます。
今年の5月に妙法院の五月会に行った帰りです。祇園の方向を目指して歩いてて「この辺りに河井寛次郎記念館がある筈なんやけど」と思い、頭に入ってた地図を頼りに捜し当てましたが、この時は入りませんでした。
そして4ヶ月後の今日、再訪したわけです。
車一台が通れるほどの細い道に面して記念館は建っています。
ここが入口です。ご覧のように中が見えないので、以前来た時やってるかどうか分からりませんでした。
思い扉を開けて入ると、京の町屋らしく奥行きが広いです。
中程にある拝観受付で900円を納めます。荷物はロッカーや受け付けで預けたりできますが、私はそのまま荷物を持って入りました。
受付前にはミュージアムグッズ、ポストカードとクリアファイルなどの販売もありました。
この記念館は、河井寛次郎が日本各地の民家(主に飛騨高山)を参考に独自の構想のもとに設計し、1937年(昭和12年)に建築されたものです。
ずっと歩いて来たので、入ると暫くここで休憩してました。
平日に来たので多分「空いてるやろう」と思って来ましたが、予想に反して多かったですね。この囲炉裏の廻りで、ゆっくり座って図録なんか見てました。結構人気があったんだ・・・と。
奥に部屋があったので、覗いて見ました。
柵があって部屋には入れませんが、多分書斎でしょう。
案内にしたがって2階へ上がりました。先ずは道路に面した西側の居間から。
中には入れませんが、丸型の机など趣ありました。
こちらが東側の居間で、中に入れました。
ブロンズ像が展示してあります。
そして、こちらが上段の間です。ここは入れません。
ここの展示物は寛次郎の作品だそうです。
パンフレットで見るとこちらが書斎になりますが。
寛次郎の写真も展示してありました。
2階には滑車がありました。荷物を上に運ぶためだったようですね。
そのため、2階から1階が吹き抜けとなってました。
2階から見た中庭です。後程、この奥に進みます。
下に降りて奥に進みます。先ず中庭に咲いてた萩です。
この奥には、どうしても見たいものがあるので・・・。
中庭から見た母屋です。ここの1階と2階を見学してました。
そう言えば彼岸花も咲いてました。また招き猫の置物の上にはお賽銭が置かれてましたね。
そしてこの奥、ここが見たかっんです・・・特に陶芸に興味がある訳ではありませんが登り窯です。
寛次郎の作品は、ここで焼かれたのでしょう。窯を見るのは多分、初めてです。
ここは一周できるので、ゆっくり見て回ります。
横から見たら、こんな感じです。以前、テレビの放送を見て、是非見たいと思いました。数多くの寛次郎の作品は、この窯の2番目の室で造られたと案内板に書いてありました。
この辺り・・・五条坂は、清水焼の本場で多くの窯元があります。昨年までお昼の散歩で良く来てました。ただ河井寛次郎記念館はテレビで見るまで知らなかったてす。
一番上の通路は狭かったげと通れました。上から撮ってみました。
こちらは中庭にあった素焼窯です。
文字通り素焼きになるまで焼かれる窯のようです。
母屋の反対側が展示室になっています。
寛次郎の作品が展示してありました。母屋からここを見て、登り窯に行くのが本来のコースみたいです。
特に順番を気にして回ることはありません。私は空いてるところから回りました。私は河井寛次郎のことを殆ど知りませんでした。この五条坂に記念があるので、陶芸家だと思ってましたが、ここの作品を見て彫刻、デザイン、書、詩、詞、随筆などの分野でも優れた作品を残しているのが分かりました。
陶芸や彫刻の展示されてた作品のほんの一部です。
今日は朝から京都国立博物館から方広寺に行ってから、ここに来ました。時間はお昼前になってました。ここから祇園にかけては、昨年まで毎日歩いてた所てす。何処かでお昼を・・・つづく。
今年の5月に妙法院の五月会に行った帰りです。祇園の方向を目指して歩いてて「この辺りに河井寛次郎記念館がある筈なんやけど」と思い、頭に入ってた地図を頼りに捜し当てましたが、この時は入りませんでした。
そして4ヶ月後の今日、再訪したわけです。
車一台が通れるほどの細い道に面して記念館は建っています。
ここが入口です。ご覧のように中が見えないので、以前来た時やってるかどうか分からりませんでした。
思い扉を開けて入ると、京の町屋らしく奥行きが広いです。
中程にある拝観受付で900円を納めます。荷物はロッカーや受け付けで預けたりできますが、私はそのまま荷物を持って入りました。
受付前にはミュージアムグッズ、ポストカードとクリアファイルなどの販売もありました。
この記念館は、河井寛次郎が日本各地の民家(主に飛騨高山)を参考に独自の構想のもとに設計し、1937年(昭和12年)に建築されたものです。
ずっと歩いて来たので、入ると暫くここで休憩してました。
平日に来たので多分「空いてるやろう」と思って来ましたが、予想に反して多かったですね。この囲炉裏の廻りで、ゆっくり座って図録なんか見てました。結構人気があったんだ・・・と。
奥に部屋があったので、覗いて見ました。
柵があって部屋には入れませんが、多分書斎でしょう。
案内にしたがって2階へ上がりました。先ずは道路に面した西側の居間から。
中には入れませんが、丸型の机など趣ありました。
こちらが東側の居間で、中に入れました。
ブロンズ像が展示してあります。
そして、こちらが上段の間です。ここは入れません。
ここの展示物は寛次郎の作品だそうです。
パンフレットで見るとこちらが書斎になりますが。
寛次郎の写真も展示してありました。
2階には滑車がありました。荷物を上に運ぶためだったようですね。
そのため、2階から1階が吹き抜けとなってました。
2階から見た中庭です。後程、この奥に進みます。
下に降りて奥に進みます。先ず中庭に咲いてた萩です。
この奥には、どうしても見たいものがあるので・・・。
中庭から見た母屋です。ここの1階と2階を見学してました。
そう言えば彼岸花も咲いてました。また招き猫の置物の上にはお賽銭が置かれてましたね。
そしてこの奥、ここが見たかっんです・・・特に陶芸に興味がある訳ではありませんが登り窯です。
寛次郎の作品は、ここで焼かれたのでしょう。窯を見るのは多分、初めてです。
ここは一周できるので、ゆっくり見て回ります。
横から見たら、こんな感じです。以前、テレビの放送を見て、是非見たいと思いました。数多くの寛次郎の作品は、この窯の2番目の室で造られたと案内板に書いてありました。
この辺り・・・五条坂は、清水焼の本場で多くの窯元があります。昨年までお昼の散歩で良く来てました。ただ河井寛次郎記念館はテレビで見るまで知らなかったてす。
一番上の通路は狭かったげと通れました。上から撮ってみました。
こちらは中庭にあった素焼窯です。
文字通り素焼きになるまで焼かれる窯のようです。
母屋の反対側が展示室になっています。
寛次郎の作品が展示してありました。母屋からここを見て、登り窯に行くのが本来のコースみたいです。
特に順番を気にして回ることはありません。私は空いてるところから回りました。私は河井寛次郎のことを殆ど知りませんでした。この五条坂に記念があるので、陶芸家だと思ってましたが、ここの作品を見て彫刻、デザイン、書、詩、詞、随筆などの分野でも優れた作品を残しているのが分かりました。
陶芸や彫刻の展示されてた作品のほんの一部です。
今日は朝から京都国立博物館から方広寺に行ってから、ここに来ました。時間はお昼前になってました。ここから祇園にかけては、昨年まで毎日歩いてた所てす。何処かでお昼を・・・つづく。