キリシタン大名 大友宗麟が建立した大徳寺塔頭 瑞峯院へ
秋風が吹き始めた9月20日から『大徳寺本坊・法堂』、9月28日から『孤篷庵』の特別公開が始まりました。特に孤篷庵は3年振りの公開とあって、直ぐにでも行きたい気持ちはありましたが、仕事や所用のため10月に入ってからの訪問となりました。
その孤篷庵は10時から拝観開始となります。そして連日、行列ができてることも私の情報網からキャッチしてました。それで10時前には孤篷庵に行くこととして、それまで大徳寺の通常公開されている塔頭を巡ることにしました。(ちなみに大徳寺本坊・法堂は9時30分からです)
先ずは、キリシタン大名として知られる大友宗麟が、1535年(天文4年)に菩提寺として創建した大徳寺塔頭 瑞峯院です。
瑞峯院の訪問は2006年4月以来、実に8年振り。本当に久し振りに来ました。と言っても大徳寺は度々来ています。常時拝観寺院に来なかっただけで・・・バスを降りて瑞峯院まで迷わずに表門に着きました。
ここは重森三玲の庭が見所で、庭は後でゆっくり鑑賞します。
大友宗麟の菩提寺でお墓もあるそうですが非公開のため、お参りできません。以前大分府中城で半身の銅像は見たことがありました。
表門を入ってから受付のある庫裏まで石畳を進みます。そこにはススキが咲いてました。
ここが拝観受付がある庫裏です。入って右手で拝観料を納めます。
今日、大徳寺を訪れた最大理由は孤篷庵です。その次が「そうだ京都、行こう。」のキャンペーンで「京のお庭で一服」あって、瑞峯院で利用できる「拝観料とお茶券」をいただいたからです。
このキャンペーンの冊子です。後はこの冊子で割り引きを受けられるので、何カ所か回る予定です。有効期限は、9月8日(月)~11月7日(金)です。
瑞峯院の他は、実光院(大原)・宝厳院(嵐山)・地蔵院(西山)・等持院(衣笠)・青蓮院(東山)・雲龍院(月輪)がありました。
拝観受付で「拝観券+お茶券」を差し出したら「先にお庭を見られますかお茶にされますか」と聞かれたので、お茶を選択。そしたら書院に案内されました。
朝一番で来たので当然、誰も居ません。
このキャンペーンの目的であるお庭を見ながら一服できます。この庭も面白いエピソードがあるので、後程紹介します。
お菓子は落雁で、それを瑞峯院自家製の大徳寺納豆でいただきます。納豆の辛さとお菓子の甘さがミックスして美味しかったてす。
食べてるとご住職さんが来られて、少し話されて出て行かれました。「達磨大師の命日が10月5日で・・・・」とそのような話をされたかたと思います。
禅宗寺院でよくみかける達磨大師の掛け軸が飾ってあって、その話をされたんだと思いますが、少し聞き取れなかったです。
お茶をいただたら重森三玲の庭を鑑賞です。先ずは方丈から。
1535年(天文4年)建立で室町時代の建築遺構をとどめているので国の重要文化財に指定されています。
前回訪問時は、ただお手の写真を撮りに来ただけでした。あれから年月もたって、いろいろ覚えました。禅宗寺院の方丈建築様式なんかもそうです。
室中の間を挟んで、礼の間と檀那の間があったのも分かりました。室中の間には仏間がありお参りをしました。案内にも「先にお参りを済ませて・・・」と書いてあったような・・・気がします。
正面に開祖・大満国師の木像が安置されてました。
九州ほ豊前・豊後の大名大友宗麟が大徳寺第91世徹岫宗九(てっしゅう そうきゅう)禅師を開祖に1953年(天文4年)に建立したのが始まりです。徹岫宗九和尚は後奈良天皇の帰依を受け、普応大満国師の号、本堂正面の額「瑞峯」の額の宸翰(しんかん)を天皇より賜りました。宗麟は、22歳のに得度し、大友義鎮を宗麟(瑞峯院殿瑞峯宗麟居士)に改めました。北九州諸国を制服しつつあった父・大友義鑑(よしあき)を家督相続の中で退け、大友家の当主となり島津氏と並ぶ九州の雄となりました。ポルトガルの宣教師を貿易のため受け入れ城下でも布教をゆるすうち、自らも洗礼を受けキリシタンとなりました。
方丈南庭は、独坐庭(どくざてい)と言い昭和の名作庭家・重森三玲が1961年(昭和36年)に造った庭です。
土塀と刈り込みを背景に石組と白砂だけで嵯峨たる蓬莱山と半島を表現しています。
久し振りに見ました。8年前は何の感想もありませんでしたが、こうして見ると水を使わない三玲独自の世界観があります。自分の目も肥えて暫く腰を降ろして見てました。
次ぎに方丈北庭です。こちらは閑眠庭(かんみんてい)と言います。独坐庭と閑眠庭が重森三玲の作品です。
先ほどお茶をいただきながら見てた庭がここでした。
この庭はキリシタン大名である大友宗麟に因んで造られました。ここから分かりづらいので移動します。
縦に石が四個。横に石が3三個それを写真のように斜めに見ると十字架を表しています。三玲ならでは斬新のアイデアで生まれた庭でしょう。寺院でキリシタンとは珍しいと思います。
この閑眠庭と先ほどお茶をいただいた書院との間に中庭(坪庭)があります。
そこにはキリシタン灯籠(織部灯籠)があります。そのキリシタン灯籠を背に閑眠庭を見ると先ほどの十字架かに見えるそうです。
もう少し写真では左に行けば良かったんですが、お茶を待ってる時に撮りました。ここはお茶をいただかなけれれば入れません。
先の写真の渡り廊下を進むと、茶室 安勝軒(あんしょうけん)があります。
瑞峯院に3つある茶室の内、ここだけ内部が見学できます。
茶室 餘慶庵(よけいあん)です。この日は中でお茶のお稽古をされてました。そのため前途した住職さんにお会いできたわけです。
表千家8代目啐啄斎の好みの席を写したものと書いてありました。
そしてもう一つの茶室 平成待庵がありますが直接には見えません。今年の春季京都非公開文化財特別公開で内部が公開されました。ただそれだけで、拝観料が400円から800円になるし・・・それより庭を含めて撮影禁止となったようで・・・それはもったいないでしょう。行きませんでした。
この奥に平成待庵があるようです。千利休が残した山崎にあった待庵を復元されたそで、予約するれば拝観は可能だそうです。
時計の針は9時20分を差してました。10時拝観開始の孤篷庵には時間があります。そこで通常拝観している寺院を訪ねました。つづく。
【瑞峯院 独坐庭】
その孤篷庵は10時から拝観開始となります。そして連日、行列ができてることも私の情報網からキャッチしてました。それで10時前には孤篷庵に行くこととして、それまで大徳寺の通常公開されている塔頭を巡ることにしました。(ちなみに大徳寺本坊・法堂は9時30分からです)
先ずは、キリシタン大名として知られる大友宗麟が、1535年(天文4年)に菩提寺として創建した大徳寺塔頭 瑞峯院です。
瑞峯院の訪問は2006年4月以来、実に8年振り。本当に久し振りに来ました。と言っても大徳寺は度々来ています。常時拝観寺院に来なかっただけで・・・バスを降りて瑞峯院まで迷わずに表門に着きました。
ここは重森三玲の庭が見所で、庭は後でゆっくり鑑賞します。
大友宗麟の菩提寺でお墓もあるそうですが非公開のため、お参りできません。以前大分府中城で半身の銅像は見たことがありました。
表門を入ってから受付のある庫裏まで石畳を進みます。そこにはススキが咲いてました。
ここが拝観受付がある庫裏です。入って右手で拝観料を納めます。
今日、大徳寺を訪れた最大理由は孤篷庵です。その次が「そうだ京都、行こう。」のキャンペーンで「京のお庭で一服」あって、瑞峯院で利用できる「拝観料とお茶券」をいただいたからです。
このキャンペーンの冊子です。後はこの冊子で割り引きを受けられるので、何カ所か回る予定です。有効期限は、9月8日(月)~11月7日(金)です。
瑞峯院の他は、実光院(大原)・宝厳院(嵐山)・地蔵院(西山)・等持院(衣笠)・青蓮院(東山)・雲龍院(月輪)がありました。
拝観受付で「拝観券+お茶券」を差し出したら「先にお庭を見られますかお茶にされますか」と聞かれたので、お茶を選択。そしたら書院に案内されました。
朝一番で来たので当然、誰も居ません。
このキャンペーンの目的であるお庭を見ながら一服できます。この庭も面白いエピソードがあるので、後程紹介します。
お菓子は落雁で、それを瑞峯院自家製の大徳寺納豆でいただきます。納豆の辛さとお菓子の甘さがミックスして美味しかったてす。
食べてるとご住職さんが来られて、少し話されて出て行かれました。「達磨大師の命日が10月5日で・・・・」とそのような話をされたかたと思います。
禅宗寺院でよくみかける達磨大師の掛け軸が飾ってあって、その話をされたんだと思いますが、少し聞き取れなかったです。
お茶をいただたら重森三玲の庭を鑑賞です。先ずは方丈から。
1535年(天文4年)建立で室町時代の建築遺構をとどめているので国の重要文化財に指定されています。
前回訪問時は、ただお手の写真を撮りに来ただけでした。あれから年月もたって、いろいろ覚えました。禅宗寺院の方丈建築様式なんかもそうです。
室中の間を挟んで、礼の間と檀那の間があったのも分かりました。室中の間には仏間がありお参りをしました。案内にも「先にお参りを済ませて・・・」と書いてあったような・・・気がします。
正面に開祖・大満国師の木像が安置されてました。
九州ほ豊前・豊後の大名大友宗麟が大徳寺第91世徹岫宗九(てっしゅう そうきゅう)禅師を開祖に1953年(天文4年)に建立したのが始まりです。徹岫宗九和尚は後奈良天皇の帰依を受け、普応大満国師の号、本堂正面の額「瑞峯」の額の宸翰(しんかん)を天皇より賜りました。宗麟は、22歳のに得度し、大友義鎮を宗麟(瑞峯院殿瑞峯宗麟居士)に改めました。北九州諸国を制服しつつあった父・大友義鑑(よしあき)を家督相続の中で退け、大友家の当主となり島津氏と並ぶ九州の雄となりました。ポルトガルの宣教師を貿易のため受け入れ城下でも布教をゆるすうち、自らも洗礼を受けキリシタンとなりました。
方丈南庭は、独坐庭(どくざてい)と言い昭和の名作庭家・重森三玲が1961年(昭和36年)に造った庭です。
土塀と刈り込みを背景に石組と白砂だけで嵯峨たる蓬莱山と半島を表現しています。
久し振りに見ました。8年前は何の感想もありませんでしたが、こうして見ると水を使わない三玲独自の世界観があります。自分の目も肥えて暫く腰を降ろして見てました。
次ぎに方丈北庭です。こちらは閑眠庭(かんみんてい)と言います。独坐庭と閑眠庭が重森三玲の作品です。
先ほどお茶をいただきながら見てた庭がここでした。
この庭はキリシタン大名である大友宗麟に因んで造られました。ここから分かりづらいので移動します。
縦に石が四個。横に石が3三個それを写真のように斜めに見ると十字架を表しています。三玲ならでは斬新のアイデアで生まれた庭でしょう。寺院でキリシタンとは珍しいと思います。
この閑眠庭と先ほどお茶をいただいた書院との間に中庭(坪庭)があります。
そこにはキリシタン灯籠(織部灯籠)があります。そのキリシタン灯籠を背に閑眠庭を見ると先ほどの十字架かに見えるそうです。
もう少し写真では左に行けば良かったんですが、お茶を待ってる時に撮りました。ここはお茶をいただかなけれれば入れません。
先の写真の渡り廊下を進むと、茶室 安勝軒(あんしょうけん)があります。
瑞峯院に3つある茶室の内、ここだけ内部が見学できます。
茶室 餘慶庵(よけいあん)です。この日は中でお茶のお稽古をされてました。そのため前途した住職さんにお会いできたわけです。
表千家8代目啐啄斎の好みの席を写したものと書いてありました。
そしてもう一つの茶室 平成待庵がありますが直接には見えません。今年の春季京都非公開文化財特別公開で内部が公開されました。ただそれだけで、拝観料が400円から800円になるし・・・それより庭を含めて撮影禁止となったようで・・・それはもったいないでしょう。行きませんでした。
この奥に平成待庵があるようです。千利休が残した山崎にあった待庵を復元されたそで、予約するれば拝観は可能だそうです。
時計の針は9時20分を差してました。10時拝観開始の孤篷庵には時間があります。そこで通常拝観している寺院を訪ねました。つづく。
【瑞峯院 独坐庭】