『七条通 モダン建築を訪ねる』へ
10月26日(日)、JR東海「そうだ京都、行こう。」の会員限定イベントである『七条通 モダン建築を訪ねる』へ行ってきました。
明治から昭和初期における近代建築が数多く遺る七条通。建築文化財の専門家による案内のもとに散策するというイベントでした。他に通常非公開の龍谷大学大宮学舎本館や西本願寺 伝道院も巡ります。特に滅多に入れない伝道院は最大の目玉でした。
集合場所は、一昨年の「京の夏の旅」で公開された龍谷大学大宮学舎本館でした。
ここに来るのも3回目。重要文化財の正門から入ります。鉄扉はレプリカですが、後で本物を見学させてもらいました。
受付は、重要文化財の本館の二階にある講堂内でした。
ここに入るのは2012年9月以来2度目です。ですから新鮮味はありませんね。
受付を済ませて写真を撮ろうとしたら「内部は撮影禁止です」と言われました。内部の模様は「京の夏の旅」をご覧下さい。その時は貴賓室以外は自由に撮れました。、
これは前回の写真です(その証拠にテレビモニタが写ってないでしょう)。向かって右側を使われました。募集人数は15名でしたが、ざっと数えて20名来られてました。
13時から「七条通 モダン建築を訪ねる」と題して、京都市文化財保護課 石川祐一氏から講話をいただきました。この中で私が訪れたことが洋館だけ紹介します。
まず、近代洋風建築の歴史を話されました。その中で取り上げられた洋風建築です。
1878年(明治11年)竣工の新島讓旧邸です。
コロニアル建築(ヨーロッパの植民地において形成された建築様式)
次ぎに同志社大学フレンドピースハウス(旧ベリー邸)は1886年(明治19年)竣工。
暑い気候に会わせてベランダが発達したようです。
他に、長野の開智学校(1873年・明治6年)、大原楽園(1879年・明治12年現存せず)も紹介されました。開智学校は松本城に登城した時に行けば良かったと、今でも後悔しています。明治初期(10年代頃)は日本に洋風建築が導入された時期でもあります。
そして明治20年代から明治末になると洋風建築の学習と習熟の時代に入ります。先ずは京都文化博物館 別館から。
1906年(明治39年)の建築。設計は、辰野金吾とその弟子である長野宇平治。辰野式である赤煉瓦に白い帯石のラインが特徴です。
次ぎにフランス風古典主義建築の京都府庁旧本館です。
1904年(明治37年)に竣工で、設計は松室重光。
他に旧北國銀行(大正5年、セセッション)、京都大学楽友会館(大正12年、表現主義)、旧毎日新聞京都支局(昭和3年、アールデコ建築)、京都府立鳥羽高校(1931年・昭和6年、ライト風建築)を紹介されました。このなかでは鳥羽高校と京都大学楽友会館は見たことがありませんが、その他は通勤で毎日通ってたので、写真を探しましたが見つかりませんでした。
1897年(明治30年)竣工の京都国立博物館の明治古都館です。
片山東熊の設計でネオ・ルネッサンス様式建築。
西洋建築の習熟が終われば、日本人らしさを追求し伝統の再評価を構築していきます。これは帝冠様式と呼ばれるのもので、京都市立美術館が紹介されました。
桜をメインに撮ったので少し見づらいですけど、近代建築に和風屋根を載せた外観が特徴です。
あとは京都南座なんかも和風屋根を載せ桃山風の意匠を作っています。次ぎに、建物や建物内部の空間を紹介されました。
次ぎに建物の空間や意匠を話されました。その中に出て来た同志社大学 栄光館です。
1932年(昭和7年)竣工 設計は、武田五一 施工は、大倉土木株式会社。ここで初めて武田五一の名前が出てきました。京都のレトロ建築では有名ですね。
他に平安女学院明治館(1894年・明治27年)の煉瓦造りの外観、京都大学楽友会館のスペイン瓦、京都大学基督教青年会会館(1913年・大正2年)のモルタル(ドイツ壁)、旧岡野邸(1932年・昭和7年)の鉄筋コンクリート造り構造を外観も紹介されました。平安女学院の明治館は、受付で断られたので見られませんでした。
そして講話は、龍谷大学大宮学舎本館と七条通りの建築の紹介へと続きますが、それは現場の写真で紹介することとします。本館の紹介では、貴賓室は開けられませんでした。そのため講話のあとは、本館を出ることとなりました。
本館を出てたら外観をじっくり案内されました。
外観は一見するとレンガ造りの石柱が立ち並らんでいるようですが、実は木造で石材を木部に貼り付ける方法で、「木造石貼り」と言われています。
本館を南側に移動し、南黌と本館を繋ぐ渡り廊下(重要文化財)に出ました。
京都駅をモデルにしているので、プラットホームを連想します。これでも重要文化財なんですよね。当日素通りでしたけど。
本館裏側の西側面です。裏にもバルコニーがありました。
次がいよいよ北黌(重要文化財)の内部に入ります。内部は初めてで少しは期待しますが、内部の写真はNGでした。
本館と同じく1879年(明治12)年に竣工。内部に入って2階へ上がります。ただ廊下を歩いて見学するだけです。教室には入れません。写真は外に向けてならOKだそうで、撮りました。
ここからの風景はもう一つです。
次が南黌(重要文化財)に入ります。
南黌は、この時間(13時40分頃)になると、思い切り逆光となるので、この写真1枚です。
重要文化財の渡り廊下が眼下に見えています。
ここからは当然、本館が見えています。講師の方も説明するところもないので、さっさと出て行かれます。
最後が旧守衛所(重要文化財)です。
内部に入れるので楽しみにしてましたが、入れたのは外から見えてる所だけ。その奥を見られたら良かったんですけど・・・・何もなかったのかなぁ・・・・。
これで大宮キャンパスでの案内は終わりました。この先、トイレ休憩がないので休憩時間を取られました。
ここには2012年2月に、初めて外観を見に来ました。その年の9月に「京の夏の旅」で本館の内部に入れました。そして今日が北黌・南黌にも入ったので、もうお腹が一杯です。
全員が揃ったとこで、伝道院に向けて出発しましたが、その前に東黌に寄られました。重要文化財の門扉が展示してあります。特に自由にいつでも見られそうですが、レプリカとの区別つかないです。天気が良いので汗ばむ陽気です。2週間も休養してたので、膝はだいぶ良くなりましたが、長距離を歩いてないので心配てすが・・・。つづく。
【東黌 正門鉄扉(本物を展示)】
明治から昭和初期における近代建築が数多く遺る七条通。建築文化財の専門家による案内のもとに散策するというイベントでした。他に通常非公開の龍谷大学大宮学舎本館や西本願寺 伝道院も巡ります。特に滅多に入れない伝道院は最大の目玉でした。
集合場所は、一昨年の「京の夏の旅」で公開された龍谷大学大宮学舎本館でした。
ここに来るのも3回目。重要文化財の正門から入ります。鉄扉はレプリカですが、後で本物を見学させてもらいました。
受付は、重要文化財の本館の二階にある講堂内でした。
ここに入るのは2012年9月以来2度目です。ですから新鮮味はありませんね。
受付を済ませて写真を撮ろうとしたら「内部は撮影禁止です」と言われました。内部の模様は「京の夏の旅」をご覧下さい。その時は貴賓室以外は自由に撮れました。、
これは前回の写真です(その証拠にテレビモニタが写ってないでしょう)。向かって右側を使われました。募集人数は15名でしたが、ざっと数えて20名来られてました。
13時から「七条通 モダン建築を訪ねる」と題して、京都市文化財保護課 石川祐一氏から講話をいただきました。この中で私が訪れたことが洋館だけ紹介します。
まず、近代洋風建築の歴史を話されました。その中で取り上げられた洋風建築です。
1878年(明治11年)竣工の新島讓旧邸です。
コロニアル建築(ヨーロッパの植民地において形成された建築様式)
次ぎに同志社大学フレンドピースハウス(旧ベリー邸)は1886年(明治19年)竣工。
暑い気候に会わせてベランダが発達したようです。
他に、長野の開智学校(1873年・明治6年)、大原楽園(1879年・明治12年現存せず)も紹介されました。開智学校は松本城に登城した時に行けば良かったと、今でも後悔しています。明治初期(10年代頃)は日本に洋風建築が導入された時期でもあります。
そして明治20年代から明治末になると洋風建築の学習と習熟の時代に入ります。先ずは京都文化博物館 別館から。
1906年(明治39年)の建築。設計は、辰野金吾とその弟子である長野宇平治。辰野式である赤煉瓦に白い帯石のラインが特徴です。
次ぎにフランス風古典主義建築の京都府庁旧本館です。
1904年(明治37年)に竣工で、設計は松室重光。
他に旧北國銀行(大正5年、セセッション)、京都大学楽友会館(大正12年、表現主義)、旧毎日新聞京都支局(昭和3年、アールデコ建築)、京都府立鳥羽高校(1931年・昭和6年、ライト風建築)を紹介されました。このなかでは鳥羽高校と京都大学楽友会館は見たことがありませんが、その他は通勤で毎日通ってたので、写真を探しましたが見つかりませんでした。
1897年(明治30年)竣工の京都国立博物館の明治古都館です。
片山東熊の設計でネオ・ルネッサンス様式建築。
西洋建築の習熟が終われば、日本人らしさを追求し伝統の再評価を構築していきます。これは帝冠様式と呼ばれるのもので、京都市立美術館が紹介されました。
桜をメインに撮ったので少し見づらいですけど、近代建築に和風屋根を載せた外観が特徴です。
あとは京都南座なんかも和風屋根を載せ桃山風の意匠を作っています。次ぎに、建物や建物内部の空間を紹介されました。
次ぎに建物の空間や意匠を話されました。その中に出て来た同志社大学 栄光館です。
1932年(昭和7年)竣工 設計は、武田五一 施工は、大倉土木株式会社。ここで初めて武田五一の名前が出てきました。京都のレトロ建築では有名ですね。
他に平安女学院明治館(1894年・明治27年)の煉瓦造りの外観、京都大学楽友会館のスペイン瓦、京都大学基督教青年会会館(1913年・大正2年)のモルタル(ドイツ壁)、旧岡野邸(1932年・昭和7年)の鉄筋コンクリート造り構造を外観も紹介されました。平安女学院の明治館は、受付で断られたので見られませんでした。
そして講話は、龍谷大学大宮学舎本館と七条通りの建築の紹介へと続きますが、それは現場の写真で紹介することとします。本館の紹介では、貴賓室は開けられませんでした。そのため講話のあとは、本館を出ることとなりました。
本館を出てたら外観をじっくり案内されました。
外観は一見するとレンガ造りの石柱が立ち並らんでいるようですが、実は木造で石材を木部に貼り付ける方法で、「木造石貼り」と言われています。
本館を南側に移動し、南黌と本館を繋ぐ渡り廊下(重要文化財)に出ました。
京都駅をモデルにしているので、プラットホームを連想します。これでも重要文化財なんですよね。当日素通りでしたけど。
本館裏側の西側面です。裏にもバルコニーがありました。
次がいよいよ北黌(重要文化財)の内部に入ります。内部は初めてで少しは期待しますが、内部の写真はNGでした。
本館と同じく1879年(明治12)年に竣工。内部に入って2階へ上がります。ただ廊下を歩いて見学するだけです。教室には入れません。写真は外に向けてならOKだそうで、撮りました。
ここからの風景はもう一つです。
次が南黌(重要文化財)に入ります。
南黌は、この時間(13時40分頃)になると、思い切り逆光となるので、この写真1枚です。
重要文化財の渡り廊下が眼下に見えています。
ここからは当然、本館が見えています。講師の方も説明するところもないので、さっさと出て行かれます。
最後が旧守衛所(重要文化財)です。
内部に入れるので楽しみにしてましたが、入れたのは外から見えてる所だけ。その奥を見られたら良かったんですけど・・・・何もなかったのかなぁ・・・・。
これで大宮キャンパスでの案内は終わりました。この先、トイレ休憩がないので休憩時間を取られました。
ここには2012年2月に、初めて外観を見に来ました。その年の9月に「京の夏の旅」で本館の内部に入れました。そして今日が北黌・南黌にも入ったので、もうお腹が一杯です。
全員が揃ったとこで、伝道院に向けて出発しましたが、その前に東黌に寄られました。重要文化財の門扉が展示してあります。特に自由にいつでも見られそうですが、レプリカとの区別つかないです。天気が良いので汗ばむ陽気です。2週間も休養してたので、膝はだいぶ良くなりましたが、長距離を歩いてないので心配てすが・・・。つづく。
【東黌 正門鉄扉(本物を展示)】