七条通りのモダン建築を訪ねて
本願寺 伝道院を出て油小路を七条通りまで下がります。平日ならひっきりなしに車が通りますが、日曜日だし少しは少ないですけど、注意しながら南へ進むと・・・・。
1977年(昭和52年)まで市電が通り、京都駅からほど近いこともあって大正から昭和にかけて銀行が集まる京都の中心であった七条通り。烏丸通りから堀川通りにかけて個性的な洋風建築が点在しました。その七条通りのモダン建築をこれから巡ります。
最初は、油小路通り七条の西北角にある村瀬本店です。
七条通りを渡って正面から撮った写真です。
油小路通りから見た村瀬本店です。
昭和初期に建てられたが詳しい事は不明だそうです。今は精肉店ですが、元は薬局。設計者不詳。1階の店舗は増築されています。一見、煉瓦造りに見えますが実は、木像の建物。昭和初期に流行した化粧タイル貼り。当時では斬新な商店兼住宅建築でした。
次は七条通りを東に進み東中筋通りまで行きます。その東北角にあるのが旧村井銀行七条支店(現在は、きょうと和み館)です。
ここでは対岸からの見学となりました。あの煙草王・村井吉兵衛の銀行です。私は、村井吉兵衛の迎賓館である長楽館に行ったことがあります。また豪華絢爛な内部は必見です。また、通常非公開の比叡山大書院は、吉兵衛の邸宅を移築したもので、これも武田五一設計によるもので、定期観光バスのツアーで見ることが出来ました。
現在は、きょうと和み館となっていますが、旧村井銀行七条支店として1914年(大正3年)竣工。煙草王・村井吉兵衛の銀行です。設計は吉武長一で、煉瓦造りの2階建です。昭和の恐慌で銀行は倒産 所有者が転々として現在はビアレストランで今も営業されています。大正初期の建造物らしく古典様式からモダニズムに移る過渡期の作風。荘厳でありながら幾何学てきなアールデコの装飾。ドーリア式と言われる古代ギリシャ風の柱が正面を飾っています。内部は当時のまま、ガラスは大正ダラス。開放感がある高い天井に、装飾は手彫り。床も当時のまま姿を残しています。2階の手すりや彫刻も当時のまま。大がかりな金庫室も残っており、イギリス積みの煉瓦が当時の面影を残しています。
七条通りを東に進み西洞院の信号を渡りそのまま東へ。そして若宮通りの手前で止まりました。山崎屋仏具店の案内です。
歩道で立ち止まって話されましたが、全く聞こえません。20名もの団体が狭い歩道で・・・無理ですよね。
次が若宮通りの北東角にある旧鴻池銀行七条支店です。
七条通りは車やバスが途切れなく通ります。信号で止まった隙を見計らって撮りました。
1928年(昭和3年)建築。現在は京都七条迎賓館 ヴォヤージュ ドゥ ルミエールとして結構式場しとして使用されています。ロマネスク様式で、3つの細長いアーチ窓の外観が特徴です。設計は武田五一の弟子、大倉三郎(1900年~83年)。武田イズムのモダンさに溢れています。内部は2014年に安藤忠雄の弟子、芦澤 竜一によって改装されました。1階には大きな金庫室の扉が今も残っています。階段は重厚な御影石。2階は支店長室でしたが、現在はチャペルになっています。壁は当時のまま残っています。
旧鴻池銀行七条支店を近くで見るかと思いきや、このまま七条通りを東に進むと新町通りまで行きました。ここまで来ると京都駅は、すぐそこにあるんですが・・・。その新町通りの西南角にある富士ラビットを見学です。
この写真は、後程七条通りを渡って撮ったものです。先ずは全景から。
1階には「なか卯」が入っているです。都合でお昼食べてなかったので、入って何か食べたかったです。
1925年(大正14年)に旧日光社の社屋として建てられました。鉄筋3階建て煉瓦造り。設計は愛仁建築寺務所。戦前はフォードの販売代理店。戦後、1946年(昭和21年)に富士重工業が製造した国産初のスクーター・ラビットスクーターを長らく販売。高峯秀子さんや北原美枝さんのポスターで知られています。壁の煉瓦はイギリス積み。塔屋は社名の日光に因んで太陽のデザイン。天井は当時のまま残っている2階は、現在はカフェとして利用されています。
七条通りては一番古い建物で、国の登録有形文化財に指定されています。
ステンドグラスはフォードのタイヤをモチーフ。当時は販売店だったことが偲ばれます。
中央はギリシャ神話の太陽神ヘリオス。その両側は天使のレリーフ。これも当時のままです。
富士ラビットの外観を見たので再び七条通りを渡るのかと思ってたら、東へ行くように言われました。「京都駅が遠のく」と思ったのは私だけでしょうかしかし、10㍍で止まって向かいを見るとそこには若林佛具製作所がありました。
車が途切れた隙を狙いました。
ここは外観を見たら、信号を渡るように言われ新町通りの信号を渡り、そのまま旧京都電燈本社に行くのかなぁと思うと・・・若林佛具製作所を近くで見学です。
1927年(昭和2年)建築の近代の京の町屋。東京や大阪の土蔵造風の外観意匠。細部に洋風建築の意匠を採用しています。
この部分は、洋風建築の意匠を採用してますね。
正直疲れてきました。膝も痛みだしたし・・・。次ぎに新町通りを南に下がります。塩小路通りまで来ると左手に現在は関西電力京都支店(旧京都電燈本社). ビルが見えてきました。
このビルは毎日見てます。と言うのは嘘で、この前は通りますが、会社に向かうため、ゆっくり見てられません。それに通勤時は、学生やサラリーマンの目が殺気たってるので。誰かが質問されてましたが、京都は瓦斯より電気が早く開通したんですね。琵琶湖疎水を利用した水力発電が早かったんでしょう。
1937年(昭和12年)に旧京都電燈本社ビルとして竣工。鉄筋コンクリート8階建て。設計は武田五一。施行は銭高組。柱型と梁型でグリッドを構成。正面入り口の黒御影石、コーナーの曲面が印象的な建物です。
この写真を撮った場所からJR京都駅にも直ぐ、地下鉄は地下街を通って行けるし、バスも地下街を通って行けるので解散場所には最適でした。予定より少し16時は廻りましたが、ここから帰りました。伝道院の内部には入れましたが、予想外に何もなかったのが残念でしたね。後は、個人で七条通りをゆっくり巡りたいです。内部に入れるところは行って見たいしね。
【村瀬本店】
【旧村井銀行七条支店】
【旧鴻池銀行七条支店】
【富士ラビット】
【若林佛具製作所】
【旧京都電燈本社】
1977年(昭和52年)まで市電が通り、京都駅からほど近いこともあって大正から昭和にかけて銀行が集まる京都の中心であった七条通り。烏丸通りから堀川通りにかけて個性的な洋風建築が点在しました。その七条通りのモダン建築をこれから巡ります。
最初は、油小路通り七条の西北角にある村瀬本店です。
七条通りを渡って正面から撮った写真です。
油小路通りから見た村瀬本店です。
昭和初期に建てられたが詳しい事は不明だそうです。今は精肉店ですが、元は薬局。設計者不詳。1階の店舗は増築されています。一見、煉瓦造りに見えますが実は、木像の建物。昭和初期に流行した化粧タイル貼り。当時では斬新な商店兼住宅建築でした。
次は七条通りを東に進み東中筋通りまで行きます。その東北角にあるのが旧村井銀行七条支店(現在は、きょうと和み館)です。
ここでは対岸からの見学となりました。あの煙草王・村井吉兵衛の銀行です。私は、村井吉兵衛の迎賓館である長楽館に行ったことがあります。また豪華絢爛な内部は必見です。また、通常非公開の比叡山大書院は、吉兵衛の邸宅を移築したもので、これも武田五一設計によるもので、定期観光バスのツアーで見ることが出来ました。
現在は、きょうと和み館となっていますが、旧村井銀行七条支店として1914年(大正3年)竣工。煙草王・村井吉兵衛の銀行です。設計は吉武長一で、煉瓦造りの2階建です。昭和の恐慌で銀行は倒産 所有者が転々として現在はビアレストランで今も営業されています。大正初期の建造物らしく古典様式からモダニズムに移る過渡期の作風。荘厳でありながら幾何学てきなアールデコの装飾。ドーリア式と言われる古代ギリシャ風の柱が正面を飾っています。内部は当時のまま、ガラスは大正ダラス。開放感がある高い天井に、装飾は手彫り。床も当時のまま姿を残しています。2階の手すりや彫刻も当時のまま。大がかりな金庫室も残っており、イギリス積みの煉瓦が当時の面影を残しています。
七条通りを東に進み西洞院の信号を渡りそのまま東へ。そして若宮通りの手前で止まりました。山崎屋仏具店の案内です。
歩道で立ち止まって話されましたが、全く聞こえません。20名もの団体が狭い歩道で・・・無理ですよね。
次が若宮通りの北東角にある旧鴻池銀行七条支店です。
七条通りは車やバスが途切れなく通ります。信号で止まった隙を見計らって撮りました。
1928年(昭和3年)建築。現在は京都七条迎賓館 ヴォヤージュ ドゥ ルミエールとして結構式場しとして使用されています。ロマネスク様式で、3つの細長いアーチ窓の外観が特徴です。設計は武田五一の弟子、大倉三郎(1900年~83年)。武田イズムのモダンさに溢れています。内部は2014年に安藤忠雄の弟子、芦澤 竜一によって改装されました。1階には大きな金庫室の扉が今も残っています。階段は重厚な御影石。2階は支店長室でしたが、現在はチャペルになっています。壁は当時のまま残っています。
旧鴻池銀行七条支店を近くで見るかと思いきや、このまま七条通りを東に進むと新町通りまで行きました。ここまで来ると京都駅は、すぐそこにあるんですが・・・。その新町通りの西南角にある富士ラビットを見学です。
この写真は、後程七条通りを渡って撮ったものです。先ずは全景から。
1階には「なか卯」が入っているです。都合でお昼食べてなかったので、入って何か食べたかったです。
1925年(大正14年)に旧日光社の社屋として建てられました。鉄筋3階建て煉瓦造り。設計は愛仁建築寺務所。戦前はフォードの販売代理店。戦後、1946年(昭和21年)に富士重工業が製造した国産初のスクーター・ラビットスクーターを長らく販売。高峯秀子さんや北原美枝さんのポスターで知られています。壁の煉瓦はイギリス積み。塔屋は社名の日光に因んで太陽のデザイン。天井は当時のまま残っている2階は、現在はカフェとして利用されています。
七条通りては一番古い建物で、国の登録有形文化財に指定されています。
ステンドグラスはフォードのタイヤをモチーフ。当時は販売店だったことが偲ばれます。
中央はギリシャ神話の太陽神ヘリオス。その両側は天使のレリーフ。これも当時のままです。
富士ラビットの外観を見たので再び七条通りを渡るのかと思ってたら、東へ行くように言われました。「京都駅が遠のく」と思ったのは私だけでしょうかしかし、10㍍で止まって向かいを見るとそこには若林佛具製作所がありました。
車が途切れた隙を狙いました。
ここは外観を見たら、信号を渡るように言われ新町通りの信号を渡り、そのまま旧京都電燈本社に行くのかなぁと思うと・・・若林佛具製作所を近くで見学です。
1927年(昭和2年)建築の近代の京の町屋。東京や大阪の土蔵造風の外観意匠。細部に洋風建築の意匠を採用しています。
この部分は、洋風建築の意匠を採用してますね。
正直疲れてきました。膝も痛みだしたし・・・。次ぎに新町通りを南に下がります。塩小路通りまで来ると左手に現在は関西電力京都支店(旧京都電燈本社). ビルが見えてきました。
このビルは毎日見てます。と言うのは嘘で、この前は通りますが、会社に向かうため、ゆっくり見てられません。それに通勤時は、学生やサラリーマンの目が殺気たってるので。誰かが質問されてましたが、京都は瓦斯より電気が早く開通したんですね。琵琶湖疎水を利用した水力発電が早かったんでしょう。
1937年(昭和12年)に旧京都電燈本社ビルとして竣工。鉄筋コンクリート8階建て。設計は武田五一。施行は銭高組。柱型と梁型でグリッドを構成。正面入り口の黒御影石、コーナーの曲面が印象的な建物です。
この写真を撮った場所からJR京都駅にも直ぐ、地下鉄は地下街を通って行けるし、バスも地下街を通って行けるので解散場所には最適でした。予定より少し16時は廻りましたが、ここから帰りました。伝道院の内部には入れましたが、予想外に何もなかったのが残念でしたね。後は、個人で七条通りをゆっくり巡りたいです。内部に入れるところは行って見たいしね。
【村瀬本店】
【旧村井銀行七条支店】
【旧鴻池銀行七条支店】
【富士ラビット】
【若林佛具製作所】
【旧京都電燈本社】