第50回記念 京都非公開文化財特別公開 東寺 灌頂院へ
1965年(昭和40年)に始まった、京都非公開文化財特別公開も今年で50回目となりました。毎年秋の恒例行事となりしまたが、早速、東寺灌頂院に行ってきました。
灌頂院は正御影供(灌頂院絵馬公開)で、門内には入りましたが堂内には入れていません。秋の公開が決まった時から楽しみにしてまた。
境内の桜が色づき初めてて、観光客や修学旅行生が大型バスで訪れて賑わってル中、至る所に看板が出ています。
そんな11月3日(月・祝)、この日は祝日ですが私は出勤してました。そのためお昼休みに灌頂院に行ってみると・・・。
門の外まで並んでいます。「最後尾はこちら」と看板を持った係の人に聞くと「ここたからだと30分待ちですね」と言われたました。
30分も並んでたら仕事に戻れなくなるので、この日は諦めました。そして翌日の4日(火)に再訪してみると・・・。
すんなり入れました
。門を入った左手に受付が、右側にグッズの販売をされていました。
期 間 10月31日(金)~11月9日(日) 時 間 9時00分~16時00分 拝観料 800円 でした。
受付で、いつも購入している「拝観の手引」を聞くと、「売り切れました」と言われ、昨日以上のショックを受けました
。ここより先は撮影禁止のため写真はありません。
入るとスリッパに履き替えます。靴は袋に入れて堂内へ。それにしても暗い。当たり前ですが、電気が付いてないので暗いです。係の人がペンライトで足元は照らしてくれますが、天気が良かったし、目が慣れてないので、注意しながら歩きました。
その中でLEDライトで照らされた両界曼荼羅図元禄本(重要文化財)が浮かび上がってました。
看板の写真ですが、これを切り取りすると・・・・。
両界曼荼羅図元禄本(重要文化財)金剛界(縦約4.1メートル、横約3.8メートル) 看板左側。
両界曼荼羅図元禄本(重要文化財)胎蔵界(縦約4.1メートル、横約3.8メートル) 看板右側。
弘法大師が唐から請来してきた原本の正統を受け継いだ両界曼荼羅図は、弘仁12年本・建久2年本・永仁本と書き写されてきました。そして最後に写されたのが元禄本で、1693年(元禄6年)に書き写されました。破損も少なく美しい色彩が鮮やかに残っています。
こちらは特別公開前に、メディアに公開された時のもようです。
現在東寺の灌頂院で行われる御七日御修法(毎年1月)で用いられる本尊で、灌頂院の堂内に掛けられます。
門に入ったら写真を撮れないので、外からみた外観です。
密教の修法や伝法の灌頂の行われる灌頂院は真言堂とも呼ばれ、真言宗の寺院では最も重要な堂舎です。843年(承和10年)頃の完成と考えられ、現在の灌頂院は、1585年(天正13年)の地震による倒壊で被災後、1643年(寛永11年)の竣工のもの。
門内にあった売店で、「絵はがき」(ポストカード)を探しましたが、この元禄本は無いと言われショック。前途した「拝観の手引」も売り切れたので、ダブルショック。堂内では学生さんの案内も無かったので、5分ぐらいで出ました。メディアに公開された時「もう二度と公開は無い」と言われてたので、見られて良かったです。私は満足して会に戻りました
。

灌頂院は正御影供(灌頂院絵馬公開)で、門内には入りましたが堂内には入れていません。秋の公開が決まった時から楽しみにしてまた。
境内の桜が色づき初めてて、観光客や修学旅行生が大型バスで訪れて賑わってル中、至る所に看板が出ています。
そんな11月3日(月・祝)、この日は祝日ですが私は出勤してました。そのためお昼休みに灌頂院に行ってみると・・・。
門の外まで並んでいます。「最後尾はこちら」と看板を持った係の人に聞くと「ここたからだと30分待ちですね」と言われたました。
30分も並んでたら仕事に戻れなくなるので、この日は諦めました。そして翌日の4日(火)に再訪してみると・・・。
すんなり入れました

期 間 10月31日(金)~11月9日(日) 時 間 9時00分~16時00分 拝観料 800円 でした。
受付で、いつも購入している「拝観の手引」を聞くと、「売り切れました」と言われ、昨日以上のショックを受けました

入るとスリッパに履き替えます。靴は袋に入れて堂内へ。それにしても暗い。当たり前ですが、電気が付いてないので暗いです。係の人がペンライトで足元は照らしてくれますが、天気が良かったし、目が慣れてないので、注意しながら歩きました。
その中でLEDライトで照らされた両界曼荼羅図元禄本(重要文化財)が浮かび上がってました。
看板の写真ですが、これを切り取りすると・・・・。
両界曼荼羅図元禄本(重要文化財)金剛界(縦約4.1メートル、横約3.8メートル) 看板左側。
両界曼荼羅図元禄本(重要文化財)胎蔵界(縦約4.1メートル、横約3.8メートル) 看板右側。
弘法大師が唐から請来してきた原本の正統を受け継いだ両界曼荼羅図は、弘仁12年本・建久2年本・永仁本と書き写されてきました。そして最後に写されたのが元禄本で、1693年(元禄6年)に書き写されました。破損も少なく美しい色彩が鮮やかに残っています。
こちらは特別公開前に、メディアに公開された時のもようです。
現在東寺の灌頂院で行われる御七日御修法(毎年1月)で用いられる本尊で、灌頂院の堂内に掛けられます。
門に入ったら写真を撮れないので、外からみた外観です。
密教の修法や伝法の灌頂の行われる灌頂院は真言堂とも呼ばれ、真言宗の寺院では最も重要な堂舎です。843年(承和10年)頃の完成と考えられ、現在の灌頂院は、1585年(天正13年)の地震による倒壊で被災後、1643年(寛永11年)の竣工のもの。
門内にあった売店で、「絵はがき」(ポストカード)を探しましたが、この元禄本は無いと言われショック。前途した「拝観の手引」も売り切れたので、ダブルショック。堂内では学生さんの案内も無かったので、5分ぐらいで出ました。メディアに公開された時「もう二度と公開は無い」と言われてたので、見られて良かったです。私は満足して会に戻りました
