京都浄土宗寺院 特別大公開 蓮光寺へ

新善光寺を出て富小路通りを下がります。少しだけ距離があるので、蓮光寺には11時35分に着きました。

京都浄土宗寺院 特別大公開で唯一、既訪の寺院で、過去に2012年6月に行きました。長宗我部盛親の墓所平清盛ゆかり駒止地蔵で紹介しました。

ですから蓮光寺の場所は知ってたので、迷わずに山門前に着きました。

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観光寺院ではないため、前回訪問時は誰も参拝者はいませんでしたが、今日は多くの人で賑わっていました。

蓮光寺の公開は、10月11日(土) 10時から12時で、拝観料は無料でした。

前回、訪問時は本堂内の拝観は事前予約で入れました。しかし、最近HPを見ても載ってないので、本堂内の拝観はされなくなったかも知れません。今日は、その本堂内に入れるで是非来たかった寺院でした。

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本堂の左側に入口があって、そこから入りました。

左には朱印を預けるところがあって、新善光寺と同じぐらい置いてあります。「これでは30分はかかるだろう」と思い、ここでは断念し本堂に入りました。本堂内は多くの人が座ってました。最初の案内に書いてあった「縁起案内と法話」が11時30分からとなってましたが、少々遅れてるみたいです。話も聞いてみたいと思ってたので、ほぼ予定どおり・・・若干遅れてますが・・・さすがの時間配分です

そしたら住職さんの話が始まりました。最初から聞けてラッキーです

1492年(明応元年)に天台宗真盛上人を開基として新町高辻から松原辺りに草庵を結んだのが始まり。その後、豊臣秀吉の時代の1591年(天正19年)に玉譽和尚がこの地に移し浄土宗に改めました。本堂のご本尊・負別阿弥陀如来像は仏師快慶の作だと伝わっています。仏師快慶は、東大寺南大門 金剛力士立像で知られています。ある時、東国の僧覚明(かくみょう)の依頼で像を造りましたが、像と分かれ難くなった快慶は、像を受け取って東国に向かった僧覚明を追いかけます。そして京都と滋賀の県境にある逢坂山で追いつきます。そして再拝しよとしたところ、摩訶不思議なことに一体の仏様がニ体に分身してました。一体は東国の覚明が持ち帰り、もう一体は快慶が京に持ち帰って蓮光寺のご本尊となりました。別名を負別(おいわけ)阿弥陀如来像といいます。"背負い分けた"ことから、この名前がつきました。他の一体は仙台市泉区に現存、祀られています。

快慶作の負別阿弥陀如来像ですが、重要文化財などの指定はされません。これは天龍寺の住職さんも話されてましたが、文化財に指定されたら・・・いろいろ規制があるみたいで・・・また、ご本尊が信仰の対象から鑑賞の対象になるのも受けられない理由みたいです。また長宗我部盛親の墓がある理由と駒止地蔵の理由も話されました。

楽しい住職さんの話が終わると皆さん一斉にご本尊の負別阿弥陀如来像の撮影です。私もお焼香してお参りしてから撮りました。

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ここ蓮光寺に来た目的はただ一つ、負別阿弥陀如来像を見たかったからです。こうしてお参りできて目的は達成できました

住職さんも話されてましたが、ご住職と奥様の二人だけで切り盛りされているみたいで、やっぱり常時公開は不可能だそうですね。次回あるかどうか分かりませんが、長宗我部盛親の遺品もあるそうで、次回期待したいです。

住職さんは話が終わると書院に戻られ溜まった朱印帳を書かれてました。私は、もう一ヶ所行きたい所があるので、既に書いてあったものをいただきました。

この蓮光寺を出たのが12時5分で、12時を廻ってました。しかし12時までの公開が、後1ケ所残っています。しかも少し距離も離れてますが、取りあえず行ってみることにしました。つづく。



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