京都浄土宗寺院 特別大公開 轉法輪寺へ
10月12日(日)は、京都浄土宗寺院 特別大公開の轉法輪寺に行きました。昨日は、11ケ寺を廻りましたが、この日は午前中は休養。昼から出掛けました。と言うのも普段非公開の寺院のため、案内に「事前に連絡下さい」と書いてあったで、前日電話で確かめました。そしたら「午前中は法要のため拝観不可で、12時30分以降なら」との返答でした。
それより日本列島の南海上に台風19号が北上中で、明日は上陸の予報が出てました。明日は一日中雨の予報だし、行くなら今日しかなかったんです。
場所は嵐電「仁和寺駅」を下車し、正面に世界遺産 仁和寺の二王門を正面に見ながら北に進むときふがけの路に出るので、その信号を渡ります。殆どの人はそのまま仁和寺に行かれますが、仁和寺に入らず東に進み最初の道を北に上がります。そのまま道なりに進むと仁和寺の東門がありますが、そのまま上がります。そしたら東に入る道があるのでそちらを行くと大きな石碑を目にします。
ここまで歩いて10分ぐらいでしょう。世界遺産で賑わう仁和寺の近くに、あったんですね。初めてここまで来ました。
初めて来たので入り口は知りませんが、そのまま進むと表門がありました。
台風が近づいてて予報はよくなかったけど時々晴れてて良かったです。門には「本堂公開中」と書いてあり、安心して入れます。
門を入ると左手に大きな本堂がありました。
「結構大きい本堂だなぁ・・・」が第一印象です。
石畳を進むと、どうやら本堂の入口がありました。
堂内に入っても誰もいません。どうやら「好きに見て帰って・・・」そんな感じですね。とりあえず申し訳ないので、お賽銭をし、お参りは済ませました。それより・・・こんなところに大仏があるなんて。誰もが驚くでしょう。
本尊は阿弥陀如来坐像でした。大きいので真ん中と左右から撮りました。
案内には、1758年(宝暦8年)に新彫され、開眼供養がされたようで、高さは約7㍍もあることから大仏様として多く人に信奉されてきたようです。
堂内の全景です。結構奥行きもあって広いです。
本堂奥には珍しい仏像がありました。門前の「駒札」にも書いてありました、厨子内に安置する阿弥陀如来立像です。
高さ75㎝で室町時代の作。裸のままであることが、全国的に珍しい佛像と言われています。
堂内でゆっくりさせてもらったので、次は朱印をお願いしようとしましたが、前途のとおり誰もいません。しかし案内が貼ってあって「御朱印は書院へ」とありました。せっかく朱印帳を持ってきたので、もちろん行きました。
境内の東側に書院がありますが、外からは在宅かどうか分かりません。
玄関も閉まってるし・・・とりあえずチャイムを押しました。
そしたら中から出てこられて、朱印をお願いしました。午前中法事だし「不在は無いだろう」とは思ってました。しかし住職さんが不在のため、既に書いてあったのをいただきました。
こちらは本堂前前庭でしょうか。砂紋が敷かれてます。
誰の供養塔か分かりませんが、それよりホトトギスが咲いてました。
山野草の代表的なものですね。我が家も以前、植えてました。ほっといても毎年咲いてくれたんですが、数年前に枯らしてしまって・・・ホトトギス・・・私は好きな花の一つです。
境内を散策していると本堂横に庭園が見えました。
これ以上行かれないので仕方ありませんが、渡り廊下から見たかったですね。
再び西門から出ようとしましたが、境内に入った時から気になってた建物がありました。鐘楼門といいます。
これだけ多くお寺巡りをしているので珍しくはありませんが、竜宮門に似てますね。ただ鐘楼が門になっているは珍しいかと思います。その前にも手水鉢もありましたので、本来はここから境内に入るでしょう。
珍しくタイトなスケジュールで廻るこになった「京都浄土宗寺院 特別大公開」ですが、翌週の18日(土)まで行くことはできましたが、轉法輪寺が最後になりました。
この日の翌日に台風19号が上陸。足早に日本列島を駆け抜けますが、この日は、不気味な強い風が吹いてました。今日は、これだけで帰りました。また、来年以降も、このイベントを期待したいですが、どうでしょうか。もう少しゆっくりできる期間にしていただきたいものです。平日のみは・・・きついです。
この寺の由緒は、門前の駒札から
獅子吼(ししく)山と号し、浄土宗地恩院派に属する。1758年(宝暦8年)、僧関通(かんつう)が北野下ノ森に創建した。この地には、1929年(昭和4年)に移転した。関通は尾張国(愛知県の生れ)江戸増上寺で祐夫について修業し、1725年(享保10年)より諸国に浄土宗をひろめ、16ヶ森を創建し、得度させた僧尼は1500人、戒をさずけた者3000人に達したという。精力的な活躍をした人である。本尊は阿弥陀如来座像で、高さ2丈4尺の巨大なもの、新中和門院で桜町天皇のために造られたものと伝えられている。
【轉法輪寺 本堂】
それより日本列島の南海上に台風19号が北上中で、明日は上陸の予報が出てました。明日は一日中雨の予報だし、行くなら今日しかなかったんです。
場所は嵐電「仁和寺駅」を下車し、正面に世界遺産 仁和寺の二王門を正面に見ながら北に進むときふがけの路に出るので、その信号を渡ります。殆どの人はそのまま仁和寺に行かれますが、仁和寺に入らず東に進み最初の道を北に上がります。そのまま道なりに進むと仁和寺の東門がありますが、そのまま上がります。そしたら東に入る道があるのでそちらを行くと大きな石碑を目にします。
ここまで歩いて10分ぐらいでしょう。世界遺産で賑わう仁和寺の近くに、あったんですね。初めてここまで来ました。
初めて来たので入り口は知りませんが、そのまま進むと表門がありました。
台風が近づいてて予報はよくなかったけど時々晴れてて良かったです。門には「本堂公開中」と書いてあり、安心して入れます。
門を入ると左手に大きな本堂がありました。
「結構大きい本堂だなぁ・・・」が第一印象です。
石畳を進むと、どうやら本堂の入口がありました。
堂内に入っても誰もいません。どうやら「好きに見て帰って・・・」そんな感じですね。とりあえず申し訳ないので、お賽銭をし、お参りは済ませました。それより・・・こんなところに大仏があるなんて。誰もが驚くでしょう。
本尊は阿弥陀如来坐像でした。大きいので真ん中と左右から撮りました。
案内には、1758年(宝暦8年)に新彫され、開眼供養がされたようで、高さは約7㍍もあることから大仏様として多く人に信奉されてきたようです。
堂内の全景です。結構奥行きもあって広いです。
本堂奥には珍しい仏像がありました。門前の「駒札」にも書いてありました、厨子内に安置する阿弥陀如来立像です。
高さ75㎝で室町時代の作。裸のままであることが、全国的に珍しい佛像と言われています。
堂内でゆっくりさせてもらったので、次は朱印をお願いしようとしましたが、前途のとおり誰もいません。しかし案内が貼ってあって「御朱印は書院へ」とありました。せっかく朱印帳を持ってきたので、もちろん行きました。
境内の東側に書院がありますが、外からは在宅かどうか分かりません。
玄関も閉まってるし・・・とりあえずチャイムを押しました。
そしたら中から出てこられて、朱印をお願いしました。午前中法事だし「不在は無いだろう」とは思ってました。しかし住職さんが不在のため、既に書いてあったのをいただきました。
こちらは本堂前前庭でしょうか。砂紋が敷かれてます。
誰の供養塔か分かりませんが、それよりホトトギスが咲いてました。
山野草の代表的なものですね。我が家も以前、植えてました。ほっといても毎年咲いてくれたんですが、数年前に枯らしてしまって・・・ホトトギス・・・私は好きな花の一つです。
境内を散策していると本堂横に庭園が見えました。
これ以上行かれないので仕方ありませんが、渡り廊下から見たかったですね。
再び西門から出ようとしましたが、境内に入った時から気になってた建物がありました。鐘楼門といいます。
これだけ多くお寺巡りをしているので珍しくはありませんが、竜宮門に似てますね。ただ鐘楼が門になっているは珍しいかと思います。その前にも手水鉢もありましたので、本来はここから境内に入るでしょう。
珍しくタイトなスケジュールで廻るこになった「京都浄土宗寺院 特別大公開」ですが、翌週の18日(土)まで行くことはできましたが、轉法輪寺が最後になりました。
この日の翌日に台風19号が上陸。足早に日本列島を駆け抜けますが、この日は、不気味な強い風が吹いてました。今日は、これだけで帰りました。また、来年以降も、このイベントを期待したいですが、どうでしょうか。もう少しゆっくりできる期間にしていただきたいものです。平日のみは・・・きついです。
この寺の由緒は、門前の駒札から
獅子吼(ししく)山と号し、浄土宗地恩院派に属する。1758年(宝暦8年)、僧関通(かんつう)が北野下ノ森に創建した。この地には、1929年(昭和4年)に移転した。関通は尾張国(愛知県の生れ)江戸増上寺で祐夫について修業し、1725年(享保10年)より諸国に浄土宗をひろめ、16ヶ森を創建し、得度させた僧尼は1500人、戒をさずけた者3000人に達したという。精力的な活躍をした人である。本尊は阿弥陀如来座像で、高さ2丈4尺の巨大なもの、新中和門院で桜町天皇のために造られたものと伝えられている。
【轉法輪寺 本堂】