鷹ケ峰 光悦寺へ

7時50分に源光庵を予定どおり出ることが出来ました。そして、そのまま西に進みますと言っても3分もかかりません。それより人集りと、車が駐車場に入るため車も列をなしています。

鷹ケ峰と言うより京都で屈しの紅葉の名所、光悦寺に着きました。

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ここが光悦寺の入口です。源光庵から見えてた人集りは、ここの写真を撮ってる人達てした。

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この狭い通路を進むと門があります。この狭い通路が撮影ポイトのようで、写真を盛んに撮られています。

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前途しましたが、この狭い通路は紅葉の撮影スポットです。人の写らない写真を撮りたい人が出口で構えてます。ですからここを通って拝観受付に行きますが、後から殺気だった視線を感じてました

上記写真の通路を進み右手に折れる拝観受付があります。

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ここで300円納めます。紅葉の時期でも、ここはリーズナブルな価格です

そう言えば光悦寺は9年振りの訪問です。先ほど行った源光庵は8年振り。この1年の違いは・・・その年、源光庵は修復工事中で拝観停止だったんです。修復なって拝観を再開した年に行ったので、1年の違いがあることを思い出しました

拝観受付を済ませると右手に本堂があります。

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外からお参りです。中に入ることはできません。ただ、殆どの人は紅葉目当てのため、スルーして行かれます。

上の写真、左に写ってる渡り廊下の下をくぐります。

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また、ここの紅葉も赤くて綺麗でした。

この光悦寺は、これから7つの茶室を巡って行きます。最初に目にしたのが三巴亭です。

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中には入れませんが、外の紅葉がどれも綺麗なんてす。1921年(大正10年)に建てられた数奇屋建築で、北西の八畳は光悦堂と称し、仏壇には光悦の木像が安置されています。

次ぎに三巴亭の南にあるのが、1915年(大正4年)に再興された大虚庵で、光悦終焉の地でもあります。

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ここは光悦垣と呼ばれる特徴のある垣根で囲まれています。この光悦垣と紅葉が絵になります。ここが光悦寺の撮影スポットと言えます。

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こちらが大虚庵の入口てす。ここも紅葉が綺麗でした。

このまま境内の南に進んで行きます。

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9年振りに訪れた光悦寺も写真を撮りながら思い出してきました。

次が了寂軒で、ここから鷹峰三山が見えて来ました。

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ちなみに、鷹峰三山とは、鷹ヶ峰、鷲ヶ峰、天ヶ峰を言います。

それで境内の南の端まできました。紅葉と鷲ヶ峰です。

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ここにはベンチがあるので、ゆっくり座って見ることができます。

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こちらが逆光ですが、鷹ケ峰です。天ヶ峰は、少し離れているので、ここからは分かりませんでした。

鷹峰三山をゆっくり眺めたあと、次ぎに向かいます。ここは本阿弥庵です。

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後から人がどんどん入ってくるので、空いてる茶室に急ぎました。ここは紅葉が綺麗でした。

紅葉を愛でながら歩いてと、本阿弥光甫(ほんあみ こうほ)の墓所がありました。

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私は初めて聞く名前でした。光悦の孫なんですね。

境内はそんなに広くありません。紅葉を見ながら歩いていると、すぐに一周してしまいます。

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こうして朝一番に来て良かったです。人も少ないので、ゆっくり鑑賞できます。

境内の中で、日中でも暗い所があって、誰も足を運びません。行ってみると、そこは本阿弥光悦墓所でした。

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そう言えば、前回もここに来ました。フラッシュが必要なほど暗く、紅葉もないのて、誰も来ないですね。

何周かして、ここを出ようとしたら、拝観受付まで行くと綺麗な紅葉がありました。茶室かな・・・と思ったんですが。

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ここの紅葉は、本当に見事でした。

また、拝観受付の手前には鐘楼もありました。

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1692年(元禄5年)創建で、1955年(昭和30年)修復と看板に書いてありました。

江戸初期の書家、陶芸家、芸術家であり文化人の本阿弥光悦が1615年(元和元年)徳川家康から与えられたこの地に草庵を結び、法華題目堂を建てたのが起こり。光悦は、この鷹ケ峰の地に、さまざまな分野の、町衆の文化人や職人、芸術家たちを集めて、独自の文化を築きあげた芸術村(光悦村)を営ました。光悦の死後、寺として日蓮宗光悦寺となり現在に至っています。

見事な紅葉に感激して、ここを出ました。それにしても3連休の間の日曜日、鷹ケ峰は多くの観光客で賑わってました。バスは超満員の乗客を乗せやってきます。そして先ほど行った源光庵は長蛇の列。この後、どれだけ混むか恐ろしくなってきました。

【光悦寺 光悦垣】



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