第49回 京の冬の旅 非公開文化財特別公開 頂妙寺へ
今年も1月10日(土)から始まりました。第49回 京の冬の旅 非公開文化財特別公開~秘められた京の美をたずねて~です。
毎年、京の冬の恒例行事で定着しましたね、私も毎年楽しみにしています。そして、今年は本阿弥光悦が鷹ケ峰に芸術村を開いた琳派誕生の年から400年にあたり「琳派400年記念」と銘打っていろいろ特別公開される中、さっそく頂妙寺に行ってきました。
最近は、昼からの訪問が多くなりました。朝方は寒いので・・・どうしても出掛けるのが遅くなってしまいます。この日も15時回ってから出掛けたので、16時前に入りました。場所は、三条京阪から川端通りを北に進み仁王門を東に入ったところにあり、ほどなく山門を目にします。
ここには初めて来ました。「京の冬の旅」では初公開だそうで、いつもの看板が目印です。ただ後で聞いた話では、朱印は、普段でもいただけるみたいで、本堂もお参りできるみたいです。
山門を入ると正面に仁王門が見えます。
この仁王門が門前の仁王門通りの名前の由来になったようです。
ここではガイドさんが立ってて、「拝観入り口は何処ですか
」と尋ねて教えてもらいました。ここは後程戻って来ます。
仁王門をそのまま進むと正面が本堂です。その手前にあるのが日蓮聖人像がありました。
本堂は1840年(天保11年)の建立で、後程案内を受けます。
境内には諸堂がいろいろあるようですが、それは後程見ることにして、先ずは案内どおりに拝観入り口になってる庫裏に向かいました。
庫裏の中に臨時の拝観受付がありました。そこで京都市文化観光資源保護財団からいただいた招待状を出しました。会員である私は、毎回2箇所招待状をいただきます。あとの一箇所は行った時に紹介します
。
受付で朱印をお願いしたところ、貼るタイプでした。「この冬の旅の期間は、貼るタイプでお願いしている」との事で、少し残念ですが・・・仕方ないですね。
案内にしたがって、渡り廊下を通って本堂に向かいます。
本堂裏から見て、庫裏と左端が客殿です。
本堂に入ると前の組の人達の案内がされてました。私は最初から聞きたかったので、本堂内をウロウロ。ほどなく案内が終わったので、ガイドさんに案内をお願いしました。
本堂内は撮影禁止でした。この写真はパンフからの転載です。写真では分からないですが、堂内は結構広いです。
本阿弥光悦が1615年(元和和元年)に徳川家康から9万坪の土地を鷹峯の地に拝領し光悦村を創設し、それから400年の歳月が流れ今日に至りました。その光悦は俵屋宗達を見いだします。その宗達は、元は扇絵職人であったと言われいます。代表作は、建仁寺の「風神雷神図屏風」養源院の襖絵「松図十二面」、白象、唐獅子、麒麟を描いた「杉戸絵」と、ここ頂妙寺の「牛図」です。(牛図の説明は、後程・・・) 本堂の須弥壇の中央には、日蓮聖人像。その後に「南無妙法蓮華経」と書かれた宝塔があります。また、その後ろに多宝如来、釈迦如来像。日蓮聖人像の両脇に、普賢菩薩と文殊菩薩。多宝如来、釈迦如来像の両脇に、上行菩薩、無辺行菩薩、浄行菩薩、安立行菩薩像がありました。さらに四隅には四天王像(持国天・多聞天・増長天・広目天)が祀られています。
案内では無かったので・・・「琳派」とは、宗達から1000年ほど後に絵師となった尾形光琳(1658年~1716年)の「琳」をとって名付けられた名称です。
本堂での案内が終わると、滅多に入れない堂内をじっくり見させてもらい、今日来た最大の目玉である「牛図」を展示室に見に行きます。
庫裏の奥に展示室はありました。重要文化財の「牛図」はガラスケースの中に展示されてて、撮影禁止でした。
この牛図は、たらし こみ技法と言って、色を塗ってまだ乾かないうちに他の色をたらし,そのにじみによって独特の色彩効果を出すもので、牛のたくましい筋肉を表しています。この牛は、北野天満宮絵巻に描かれた牛がモデルとされています。
暫く動かずじっくり見てました。今でも動きそうな躍動感ある牛が描かれています。これだけでも見に来て良かったです
。ところで「牛図」には座ってる牛もあるはずです。案内の人に聞いてみました。「展示の入れ替えがあって、この牛は2月11日まで、12日から座ってる牛に替わります」と言う話でした。要するに2つ見たかったら、もう一回訪問する必要があると言うことですね
。
次ぎに案内にしたがって仁王門まで戻ります。しかし、ただ戻るだけではつまらないので、ここで諸堂を見学しながです。
先ず庫裏を出て、最初に目にするのが客殿です。
その南・・・境内西側にある鐘楼です。
その鐘楼の南隣にあるのが鬼子母神堂です。日蓮宗寺院ではよくみかけます。
西側にある諸堂の最後が、妙見堂です。この後、東側に移ります。仁王門前ではガイドさんが寒そうに立ってますが、もう少し境内を回ります。
妙見堂の向かい側にあるのが祖師堂です。
その北側にあるのが大黒堂です。これで諸堂はすべて見ました
。これから仁王門に移動します。
再び仁王門に戻って本堂を見ています。右端に写ってるのが大黒堂です。
先と程の堂内での説明で仁王門の話は聞いてました。ここのガイドさんも再確認のようなものです。
先ず中央に掲げられているのが、豊臣秀吉が日蓮宗の布教を約束したと伝わる扁額です。
楼門上部に掲げてあるのが、東山天皇から賜った山号「聞法山」の扁額です。
最後に仁王像です。しかし内部は暗くて・・・電球で照らされてますが、それでも暗くて・・・見えませんでした
。
写真で見たら分かりました
。ガイドさんは、「この像は普段からでも見られます」と・・・今日は電球が付いてますが、普段はついてないので、まず見えないです。
最後に、俵屋宗達のお墓に行くように案内されます。「できたらお参り下さい」と。
こちらが墓地の入口です。ガイドさんに「場所分かりますか」と尋ねたら、「案内が出てので分かります」と言われました。
しかし、墓地の中央まで行かないと、この小さな案内は分かりません
。
「伝 俵屋宗達の墓」の案内があって、やっと分かりました。
宗達、生没年不詳なんですね。だからここ"伝"と書いてあるんでしょう。
寒風吹く寒い日でしたが、来て良かったです。今年の「冬の旅」では、未訪問は2箇所しかありません。もう一箇所も近々行きたいと思います。今日は、これで帰りました。
【頂妙寺 仁王門】

毎年、京の冬の恒例行事で定着しましたね、私も毎年楽しみにしています。そして、今年は本阿弥光悦が鷹ケ峰に芸術村を開いた琳派誕生の年から400年にあたり「琳派400年記念」と銘打っていろいろ特別公開される中、さっそく頂妙寺に行ってきました。
最近は、昼からの訪問が多くなりました。朝方は寒いので・・・どうしても出掛けるのが遅くなってしまいます。この日も15時回ってから出掛けたので、16時前に入りました。場所は、三条京阪から川端通りを北に進み仁王門を東に入ったところにあり、ほどなく山門を目にします。
ここには初めて来ました。「京の冬の旅」では初公開だそうで、いつもの看板が目印です。ただ後で聞いた話では、朱印は、普段でもいただけるみたいで、本堂もお参りできるみたいです。
山門を入ると正面に仁王門が見えます。
この仁王門が門前の仁王門通りの名前の由来になったようです。
ここではガイドさんが立ってて、「拝観入り口は何処ですか

仁王門をそのまま進むと正面が本堂です。その手前にあるのが日蓮聖人像がありました。
本堂は1840年(天保11年)の建立で、後程案内を受けます。
境内には諸堂がいろいろあるようですが、それは後程見ることにして、先ずは案内どおりに拝観入り口になってる庫裏に向かいました。
庫裏の中に臨時の拝観受付がありました。そこで京都市文化観光資源保護財団からいただいた招待状を出しました。会員である私は、毎回2箇所招待状をいただきます。あとの一箇所は行った時に紹介します

受付で朱印をお願いしたところ、貼るタイプでした。「この冬の旅の期間は、貼るタイプでお願いしている」との事で、少し残念ですが・・・仕方ないですね。
案内にしたがって、渡り廊下を通って本堂に向かいます。
本堂裏から見て、庫裏と左端が客殿です。
本堂に入ると前の組の人達の案内がされてました。私は最初から聞きたかったので、本堂内をウロウロ。ほどなく案内が終わったので、ガイドさんに案内をお願いしました。
本堂内は撮影禁止でした。この写真はパンフからの転載です。写真では分からないですが、堂内は結構広いです。
本阿弥光悦が1615年(元和和元年)に徳川家康から9万坪の土地を鷹峯の地に拝領し光悦村を創設し、それから400年の歳月が流れ今日に至りました。その光悦は俵屋宗達を見いだします。その宗達は、元は扇絵職人であったと言われいます。代表作は、建仁寺の「風神雷神図屏風」養源院の襖絵「松図十二面」、白象、唐獅子、麒麟を描いた「杉戸絵」と、ここ頂妙寺の「牛図」です。(牛図の説明は、後程・・・) 本堂の須弥壇の中央には、日蓮聖人像。その後に「南無妙法蓮華経」と書かれた宝塔があります。また、その後ろに多宝如来、釈迦如来像。日蓮聖人像の両脇に、普賢菩薩と文殊菩薩。多宝如来、釈迦如来像の両脇に、上行菩薩、無辺行菩薩、浄行菩薩、安立行菩薩像がありました。さらに四隅には四天王像(持国天・多聞天・増長天・広目天)が祀られています。
案内では無かったので・・・「琳派」とは、宗達から1000年ほど後に絵師となった尾形光琳(1658年~1716年)の「琳」をとって名付けられた名称です。
本堂での案内が終わると、滅多に入れない堂内をじっくり見させてもらい、今日来た最大の目玉である「牛図」を展示室に見に行きます。
庫裏の奥に展示室はありました。重要文化財の「牛図」はガラスケースの中に展示されてて、撮影禁止でした。
この牛図は、たらし こみ技法と言って、色を塗ってまだ乾かないうちに他の色をたらし,そのにじみによって独特の色彩効果を出すもので、牛のたくましい筋肉を表しています。この牛は、北野天満宮絵巻に描かれた牛がモデルとされています。
暫く動かずじっくり見てました。今でも動きそうな躍動感ある牛が描かれています。これだけでも見に来て良かったです


次ぎに案内にしたがって仁王門まで戻ります。しかし、ただ戻るだけではつまらないので、ここで諸堂を見学しながです。
先ず庫裏を出て、最初に目にするのが客殿です。
その南・・・境内西側にある鐘楼です。
その鐘楼の南隣にあるのが鬼子母神堂です。日蓮宗寺院ではよくみかけます。
西側にある諸堂の最後が、妙見堂です。この後、東側に移ります。仁王門前ではガイドさんが寒そうに立ってますが、もう少し境内を回ります。
妙見堂の向かい側にあるのが祖師堂です。
その北側にあるのが大黒堂です。これで諸堂はすべて見ました

再び仁王門に戻って本堂を見ています。右端に写ってるのが大黒堂です。
先と程の堂内での説明で仁王門の話は聞いてました。ここのガイドさんも再確認のようなものです。
先ず中央に掲げられているのが、豊臣秀吉が日蓮宗の布教を約束したと伝わる扁額です。
楼門上部に掲げてあるのが、東山天皇から賜った山号「聞法山」の扁額です。
最後に仁王像です。しかし内部は暗くて・・・電球で照らされてますが、それでも暗くて・・・見えませんでした

写真で見たら分かりました

最後に、俵屋宗達のお墓に行くように案内されます。「できたらお参り下さい」と。
こちらが墓地の入口です。ガイドさんに「場所分かりますか」と尋ねたら、「案内が出てので分かります」と言われました。
しかし、墓地の中央まで行かないと、この小さな案内は分かりません

「伝 俵屋宗達の墓」の案内があって、やっと分かりました。
宗達、生没年不詳なんですね。だからここ"伝"と書いてあるんでしょう。
寒風吹く寒い日でしたが、来て良かったです。今年の「冬の旅」では、未訪問は2箇所しかありません。もう一箇所も近々行きたいと思います。今日は、これで帰りました。
【頂妙寺 仁王門】