大和三門跡寺院の一つ 中宮寺へ
夢殿のお隣に聖徳太子ゆかりの古刹、中宮寺があります。大和三門跡寺院の一つと言われ、私は法華寺と圓照寺には行きました。今日中宮寺を訪問できたので、大和三門跡寺院を全て訪問したことになります。
夢殿の隣が中宮寺のため、夢殿の境内には中宮寺への案内が至る所にあります。国宝の鐘楼の先には石碑もありました。
奈良では、會津八一の歌碑をよく見かけます。これもそうかどうか分かりませんが・・・。
そうこうしてたら本当に出遅れて・・・ここが中宮寺の拝観入口です。
この時、12時15分。拝観時間は20分の予定です。
入ると先ず、拝観受付があって朱印帳を預けます。そしたら番号札をくれるので帰りに受け取るようになっていました。
今日は法隆寺と中宮寺の2箇所の朱印をいただきました。朱印帳を持ってないツアー客は先に行かれたので、ますます遅れます。
参拝道を本堂に向かって進みます。
ここは表御殿と言い、参道に左手に見えています。
ここは非公開のようです。それより先に進みます。
境内は狭いので直ぐに追いつきます。それより目新しい本堂に興味が湧いてきます。
バスガイドさんより簡単に案内があって・・・本堂内では案内のテープが5分程度流れるので、それを聞いてからお参りします。そのため全員が揃うのを待って堂内に入りました。
中宮寺本堂は、国宝の本尊の保護や耐震耐火の本堂が必要だと、高松宮妃殿下の発願により吉田五十八の設計により1968年(昭和43年)に建てられた現代建築で簡素のモダンな外観が特徴です。
堂内は撮影禁止でした。堂内には一般の観光客も数名いましたが、私ら団体が堂内に入って皆さん座られたのを確認し、案内のテープが流れました。
旧斑鳩御所 聖徳宗中宮寺は、聖徳太子建立した七か寺の一つで、太子の母である穴穂部間人皇后の菩提を弔うために建立した伝わっていますが、詳しい事は分からないそうです。現中宮寺の東方に、塔と金堂が南北に並ぶ四天王寺式伽藍が飛鳥時代に建立され、当初から女人の寺であったらしい。本尊は、国宝の菩薩半跏像。飛鳥・白鳳時代の最高傑作とも言われています。
※、ここで少しだけ脱線。京都府の丹後半島に間人蟹(たいざがに)で有名な間人(たいざ)という地名があります。普通には読めない地名だと思いますが、これは聖徳太子の母・間人皇后に因むものと伝えられ、蘇我氏と物部氏との争乱を避けて丹後に身を寄せてた言います。その後、都に戻る際に自分の名を贈りましたが、地元の人は、「皇后の名をそのまま呼ぶのは畏れ多い」と皇后が退座(たいざ)したことに因み、間人を「たいざ」と呼ぶようになったとか・・・脱線でした。
どこか広隆寺の弥勒菩薩半跏像(宝冠弥勒)に似てますね。同時期の広隆寺と比較されることが多いようです。
案内が終われば、本尊にお参りです。噂通り素晴らしいご本尊様でした。このツアーに参加するので、今日は事前に小銭を多く持参してきました。もちろんお賽銭用です。
聖徳太子建立の七か寺の内、今日の法隆寺(斑鳩寺)と中宮寺、そして広隆寺(京都・蜂丘寺)は行きました。そして法起寺(池後寺、尼寺)は、帰りの車窓から見学。四天王寺は、大阪で勤務の時尋ねてます。橘寺(聖徳太子生誕地)と葛木寺(尼寺)は未訪問です。
本堂を出たら少ない時間で散策です。本堂の東側は通行止めになってました。
日曜日のお昼時ですが、今日は参拝客は少ないです。
先ほどの案内テープで聞いた會津八一の歌碑です。
帰ったら忘れたので、調べました。「みほとけ の あご と ひぢ とに あまでら の あさ の ひかり の ともしきろ かも」内容は・・・
境内の南西角にあたります。案内が無かったので由緒は分かりませんが・・・。
こうして写真を撮ってると、どうしても遅れてしまいます。しかし遅刻はしませんよ。
最後に、もう一つ歌碑を見つけました。
皇后宮御歌と書いてありました。
中宮寺も今日のツアーで期待してた寺院の一つでした。期待どおり良かったです。境内は狭いので、これで充分かも。帰りに受付で朱印を受け取って、ここを出ました。バスガイドさんは振り向きもせず先に行かれてます。それより中宮寺の拝観時間は20分で、当初の予定どおりでした。流石に時間配分は申し分なしですね。次は法隆寺の門前まで戻り昼食です。つづく。
【中宮寺 本堂】
夢殿の隣が中宮寺のため、夢殿の境内には中宮寺への案内が至る所にあります。国宝の鐘楼の先には石碑もありました。
奈良では、會津八一の歌碑をよく見かけます。これもそうかどうか分かりませんが・・・。
そうこうしてたら本当に出遅れて・・・ここが中宮寺の拝観入口です。
この時、12時15分。拝観時間は20分の予定です。
入ると先ず、拝観受付があって朱印帳を預けます。そしたら番号札をくれるので帰りに受け取るようになっていました。
今日は法隆寺と中宮寺の2箇所の朱印をいただきました。朱印帳を持ってないツアー客は先に行かれたので、ますます遅れます。
参拝道を本堂に向かって進みます。
ここは表御殿と言い、参道に左手に見えています。
ここは非公開のようです。それより先に進みます。
境内は狭いので直ぐに追いつきます。それより目新しい本堂に興味が湧いてきます。
バスガイドさんより簡単に案内があって・・・本堂内では案内のテープが5分程度流れるので、それを聞いてからお参りします。そのため全員が揃うのを待って堂内に入りました。
中宮寺本堂は、国宝の本尊の保護や耐震耐火の本堂が必要だと、高松宮妃殿下の発願により吉田五十八の設計により1968年(昭和43年)に建てられた現代建築で簡素のモダンな外観が特徴です。
堂内は撮影禁止でした。堂内には一般の観光客も数名いましたが、私ら団体が堂内に入って皆さん座られたのを確認し、案内のテープが流れました。
旧斑鳩御所 聖徳宗中宮寺は、聖徳太子建立した七か寺の一つで、太子の母である穴穂部間人皇后の菩提を弔うために建立した伝わっていますが、詳しい事は分からないそうです。現中宮寺の東方に、塔と金堂が南北に並ぶ四天王寺式伽藍が飛鳥時代に建立され、当初から女人の寺であったらしい。本尊は、国宝の菩薩半跏像。飛鳥・白鳳時代の最高傑作とも言われています。
※、ここで少しだけ脱線。京都府の丹後半島に間人蟹(たいざがに)で有名な間人(たいざ)という地名があります。普通には読めない地名だと思いますが、これは聖徳太子の母・間人皇后に因むものと伝えられ、蘇我氏と物部氏との争乱を避けて丹後に身を寄せてた言います。その後、都に戻る際に自分の名を贈りましたが、地元の人は、「皇后の名をそのまま呼ぶのは畏れ多い」と皇后が退座(たいざ)したことに因み、間人を「たいざ」と呼ぶようになったとか・・・脱線でした。
どこか広隆寺の弥勒菩薩半跏像(宝冠弥勒)に似てますね。同時期の広隆寺と比較されることが多いようです。
案内が終われば、本尊にお参りです。噂通り素晴らしいご本尊様でした。このツアーに参加するので、今日は事前に小銭を多く持参してきました。もちろんお賽銭用です。
聖徳太子建立の七か寺の内、今日の法隆寺(斑鳩寺)と中宮寺、そして広隆寺(京都・蜂丘寺)は行きました。そして法起寺(池後寺、尼寺)は、帰りの車窓から見学。四天王寺は、大阪で勤務の時尋ねてます。橘寺(聖徳太子生誕地)と葛木寺(尼寺)は未訪問です。
本堂を出たら少ない時間で散策です。本堂の東側は通行止めになってました。
日曜日のお昼時ですが、今日は参拝客は少ないです。
先ほどの案内テープで聞いた會津八一の歌碑です。
帰ったら忘れたので、調べました。「みほとけ の あご と ひぢ とに あまでら の あさ の ひかり の ともしきろ かも」内容は・・・
境内の南西角にあたります。案内が無かったので由緒は分かりませんが・・・。
こうして写真を撮ってると、どうしても遅れてしまいます。しかし遅刻はしませんよ。
最後に、もう一つ歌碑を見つけました。
皇后宮御歌と書いてありました。
中宮寺も今日のツアーで期待してた寺院の一つでした。期待どおり良かったです。境内は狭いので、これで充分かも。帰りに受付で朱印を受け取って、ここを出ました。バスガイドさんは振り向きもせず先に行かれてます。それより中宮寺の拝観時間は20分で、当初の予定どおりでした。流石に時間配分は申し分なしですね。次は法隆寺の門前まで戻り昼食です。つづく。
【中宮寺 本堂】