第49回 京の冬の旅 非公開文化財特別公開 本法寺へ

嵐電「北野白梅町」からバスで移動することも考えましたが、今日のメインはあくまで昼の会食です。その時間に遅刻する訳にはいかないので、ここでタクシーで移動しました。ただ流しは中々捕まらなくて・・・結局北野天満宮まで行くことになってしまったのは計算外でした

そしてやって来たのは、堀川寺之内にある第49回 京の冬の旅 非公開文化財特別公開された本法寺ほんぽうじ) です。

『京の冬の旅』21年ぶりの公開と言ってますが、本法寺は通常でも拝観できます。私は、2010年6月に訪問しているので、約5年振りです。寺宝目当て・・・ですが、実際は・・・この機会に久し振りに訪問したと言うことです

タクシーは今出川通りを東に進み、堀川通りを北上します。そして小川通りを東に入って最初の筋を北上したところで止めてくれました。そこには仁王門(京都府指定有形文化財)に指定がありました。

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この辺りは裏千家今日庵や表千家不審菴なんかもあるので、着物を着たご婦人方の多いこと・・・

以前、来てるので境内の散策は後回し。先ずは拝観受付がある庫裏(京都府指定有形文化財)へ。

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通常拝観では、ここを入ってベルを押すんです。そしたら中から出て来られますが、さすがに今日は、拝観者が多いので安心です

入って拝観受付を済ませると巴の庭の方へ行くように案内がありました。通常拝観では・・・ほったらかし・・・そんな感じです。自分で自由に見て回りますが、今日は案内があるようです。

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渡り廊下を通って、巴の庭に行きます・・・歩きながら思い出してました。

そして巴の庭(国指定名勝)に着きました。

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あの10角形・・・覚えてました。前の組が案内中のため、暫く待ちました。そして学生さんのガイドさんが戻って来られたので、案内が始まりました。

本法寺は、山号を叡昌山と言い、1436年(永享8年)に日親上人が創建した日蓮宗本山のお寺です。その後、室町幕府6代将軍・足利義教の怒りをかったため、寺は破却されます。また、1536年(天文5年)の天文法華の乱によって、京都から日蓮宗は追放され、以後6年間日蓮宗は禁教とされてしまいます。その後、後奈良天皇の時代に一条戻橋付近で復興。豊臣秀吉の時代、1587年(天正15年)に聚楽第建設に伴い現在地に移りました。その時、伽藍整備に尽力したのが、本阿弥光二・光悦親子でした。しかし1788年(天明8年)の大火により本法寺の伽藍も経蔵と宝庫とを残すのみとなりました。その後、檀信徒の寄進により現在の姿が完成しました。

本法寺の歴史のあとは、巴の庭についての案内です。

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やっぱり特別拝観良いですね。こうして案内が聞けるので、大変勉強になります。

本阿弥光悦が作庭したと伝わり、国の名勝に指定されています。上記写真右手奥から流れ落ちる水の流れを表現しています。また、巴の庭の由来となったのは、庭の三箇所に分かれた、巴の形をした築山に由来します。巴は勾玉の形をしていますが、長い年月を経たため、大変分かりずらくなっています。

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正直、説明を聞いても分かりません。ただ・・・次の案内に移動するとき、ガイドさんより教えてもらったので、何となく見えそうな気がします。

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「松の木と百日紅の木」辺りと聞いたので・・・何となく分かるような気もします。

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この灯籠の辺りとも聞きましたが・・・風化して本当に分かりずらいです。

最後に特徴ある10角形の蓮池について。

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通常拝観しているので、蓮の咲く頃、見ることもできます。

まず、写真左にある、半円を組み合わせた石を注視します。これを日と読みます。そして10角形の蓮池を蓮と読ませて、合わせて日蓮となります。本阿弥光悦は熱心な日蓮宗信者で、本法寺は光悦の菩提寺でもあります。

次ぎに、特別公開されてる本阿弥光悦ゆかり寺宝を見学するため、ガイドさんの後に付いて行きます。その前に書院横に坪庭があったので撮りました。

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書院内は通常拝観も、今回の特別拝観も非公開でした。

そしてやって来たのは、(つなし)の庭です。

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ここで通常拝観で分からなかった・・・つなし・・・の意味を教えてもらいます。

数字を数える時に、一つ二つ・・・九つと・・・つが付きます。10は"つ"が付きません。そのことから10をつなしと読ませています。ここには石が右手に5つ、左手に4つあります。そして10個目の石は何処かそれは庭を見ている自分自身なのです。庭を見ている人が居て完成すると言われています。また、9歳まで大人が責任を持って育てますが10歳となると大人として責任を持つことになると言う意味も込められています。

やっぱり説明を聞けるのは良いです。そして最後涅槃会館に入ります。

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ここより先は、撮影禁止のため写真はありません。

通常拝観では、鍵を開けられて「はい、どうぞ」と・・・後は自由に見て回るだけでした。今日は、長谷川等伯筆「大涅槃図(重要文化財)の案内だけされました。

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縦10㍍横6㍍もある巨大な涅槃図を長谷川等伯61歳の時、描き上げたものです。コリー犬や涅槃図では珍しい猫も描かれてます。それと・・・等伯自身も描いてあるのには驚きました。重要文化財に指定されてるので、普段は複製が架かっていますが、本物は京都国立博物館の「長谷川等伯展」で見たことがあります。ここで宣伝をされたので・・・本物が見られます

3月14日(土)~4月15日(水) 前10時~午後4時 拝観料 1000円

夜光貝の細工が美しい本阿弥光悦作「花唐草螺鈿経箱(はなからくさらでんきょうばこ)」(重要文化財)や赤楽の馬上杯、翁面など。また、長谷川等伯が本法寺塔頭に寄宿していた際に手がけた「日堯上人画像」(重要文化財)の絵画など特別展示されてました。

寺宝を見たから、ここを出ることにしました。二度目だし・・・もう充分です。ここから境内を散策しながら帰ります。先ずは開山堂(京都府指定有形文化財)から。

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この開山堂や本堂は、公開してほしかったです。堂内に日親上人像が安置されてるそうです。前途した天明の大火の後、1796年(寛政8年)に再建されました。

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開山堂と同じく、天明の大火の後、1797年(寛政9年)に再建された本堂(京都府指定有形文化財)です。

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本堂左手には、本阿弥光悦の手植えと伝わる松がありました。本堂は通常非公開ですが、今回の特別公開でも入れませんでした・・・

その本堂前には、本法寺を支えた有力な檀家であった長谷川等伯像がありました。

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旅姿で空を見上げ、手には一本の筆が握られています。

こちらが境内の全景です。ごらんのようにそんなに広くありません。前途した光悦お手植えの松が手前に見えています。

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奥に涅槃会館があって、手前唐門があります。

こちらが多宝塔(京都府指定有形文化財)で本堂と対面に建っています。

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開山堂や本堂と同じく、天明の大火で焼失後、同時期に再建されました。塔内には、釈迦如来と多宝如来の二仏が安置されています。

多宝塔のある境内の南西には、天明の大火で焼失を免れた経蔵(京都府指定有形文化財)です。

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その隣には、同じく焼失を免れた鐘楼(京都府指定有形文化財)がありました。

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境内の最後は、仁王門近くにある摩利支天堂の鳥居です。

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そのまま鳥居をくぐると、両側にどことなく可愛い猪像があります。

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二体の猪が守る摩利支天堂です。戦勝と護身の神として日蓮が修行者の守護神にしたとも伝わっています。

せっかくの特別公開なので本堂や開山堂を公開して欲しかったですね。それでも久し振りの本法寺は堪能できました。再び仁王門から境内の外に出ましたが、時時計の針を見ると12時を回ってました。会食は13時30分に予約してあるので、まだ時間があります。そのため烏丸今出川から地下鉄に乗ることにしました。つづく。

【本法寺 巴の庭】



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    Excerpt: 妙顕寺の山門を出て寺之内通りを西に進みます。そして小川通りを北に上がると西側に、本法寺の仁王門が見えてきます。 Weblog: 古寺とお城の旅日記Ⅱ racked: 2017-11-22 03:00