侘びを極めた空間が広がる 慈光院へ

法隆寺の駐車場を出発したバスは、大和郡山市に入りました。大和郡山市は全国有数の金魚の生産地で、あちらこちらに池が点在してました。そしてバスガイドさんは筒井順慶の話に移ります。そうです大和郡山城の側をバスは通りました。私も2009年に登城したことを思い出しましたりしてたら、13時30分に慈光院の駐車場に着きました。「12分程度着いたので思ったより早かったなぁ」と思いましたが、渋滞もなかったのでこんなもんでしょうね。

慈光院の駐車場から県道9号線を渡りますが、信号が無いので恐いです。バスの運転手とバスガイドさんが左右を見てくれてますが・・・。そして歩いて2分・・・慈光院の入口に着きました。

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ここから少し登ります。ツアー客が固まって歩いて行きます。庭園好きの私は、期待してた寺院です。

臨済宗大徳寺派 慈光院は、大和三名庭園(慈光院・竹林院群芳園・當麻寺中之坊) の一つで知られています。戦国時代に活躍した小泉氏の本拠地で、小泉藩主片桐貞昌(石州)が、父貞隆の菩提を弔うために1663年(寛文3年)に建立したのが始まり。作庭は、大茶人でもあった石州自身によるもので国の史跡・名勝に指定されています。

ここから「霰こぼし」の苑路を歩きます。「霰こぼし」桂離宮で聞いたことがありました。最初に一の門に出会います。

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ここの石碑は2つあって「名勝及び史蹟慈光院庭園」「茶道石州流発祥之地」と書いてありました。

一の門からの苑路は、霰こぼしの敷石を歩んで行きます。

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鬱蒼とした木々の中を右や左に折れ曲がった苑路を進みます。

そしたら立派な楼門が見えてきました。旧茨木城楼門でした。

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片桐石州の伯父、片桐且元が居城した摂津国の茨木城の楼門を移築したもの。片桐石州はここに来るまで知りませんでしたが、片桐且元は知ってました。

楼門を入ると右手に書院が見えました。

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茅葺き入母屋造りで、茅葺きの庇屋根をつけてます。内部は床と付書院のある13畳の「上之間」を主室に、「中之間」「下之間」、北側3畳の間茶室などで構成されています。

写真を撮ってたら後続に置いて行かれて・・・それで拝観受付がある玄関から中に入りました。

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ここで靴を脱いで上がります。今回のツアーで靴を脱ぐのは、中宮寺とここ慈光院の2箇所と、最初に聞いてました。

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入ると奥の部屋か準備できるまで右側の部屋で休憩されてます。私らは出遅れたため入りませんでした。

上の写真の左側の受付で朱印帳を預けました。これで3箇所目です。拝観料は1000円だそうで、抹茶のお菓子が付きます。私ら団体は、住職さんの法話もあります。

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廊下で土産物なんか見ていると、直ぐに準備ができたみたいで呼ばれました。部屋に入るほどでもなかったです。

広い書院に入って先頭から順に座って行きます。開け放たれた部屋からは、南庭東庭を眺めることができます。

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庭園好きにはたまらないです。期待どおりの名園を目にして、早く散策したと思ってしまいます。

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住職さんが直ぐに入って来られましたが、お菓子と抹茶も運ばれます。住職さんは「固くならないで」と話され、先にお菓子からいただきました。お菓子からいただく・・・最近何度か体験してるので・・・覚えました

住職さんの話は、この寺の歴史やお庭について話されました。それよりお庭に降りられるのか心配が先でした。最後に住職さんが「スリッパがあるので降りて散策してください」と言われ、安心。話が終われば、早速降りました。

庭は、南庭から見て行きます。

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ここの庭園は石灯籠や石組みがありません。綺麗に刈り込まれてるのが特徴でしょか。サツキやツツジが植わってるみたいで、咲いた頃も見てみたいですね。

庭園の一番南まで行きました。そこには稲荷社がありました。

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また、その横には辨財天がありました。

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そして小高い丘があったので登ってみると、そこには観音堂がありました。

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向に書院の茅葺き屋根が見えています。

こちらが東庭です。綺麗な苅込が綺麗です。

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こちらの苅込は低く、遠くの奈良盆地や山並みを借景として取り込んでいます。

南庭から見た書院(重要文化財)です。

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綺麗な苅込と茅葺き屋根で、農家風の雰囲気を出しています。

再び書院に戻って、気になる手水鉢を撮りました。「独坐」と呼ばれてます。

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帰ってから調べると重要文化財なんですね。

先ほどの住職さんのお話で、茶室の話もされました。先ずは「高林庵」から。

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茶室を見るなら先に、外から見学します。東庭の奥が入口ですが、枝折戸が閉まってて通行止めでした。

高林庵の茶室の入口に変わった手水鉢を見つけました。「角ばらず」の手水鉢と言います。


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こちらも調べたら重要文化財でした。

それで先ほどお茶をいただいた書院の奥に高林庵の入口があります。

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今まで多くの茶室を見て来たので、興味津々です。

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1671年(寛文11年)建築。本席の二畳台目と二畳敷きの次の間を主とした、石州好みの独創的な茶室です。下の写真では、躙口も確認できました。

次ぎに本堂へ参ります。先に行かれた方が盛んに堂内で手を叩かれています。

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1984年(昭和59年)建築。以前は仮本堂であったようですね。

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左から片桐石州像、真ん中が本尊の釈迦如来像、右が開山玉舟和尚像です。中は入れません。

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天井の絵は、入江正巳画伯による「龍図」です。鳴龍のため、特別に入れて貰って手を叩かれててたのでしょう。

見所が多いので、拝観時間が40分では足りません。最後に「(かん)茶室」を見学します。

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道安好みと言われ、逆勝手の向板・向切で、躙り口は無く廊下の貴人口から入る形式となっています。内部は綺麗な写真が撮れなかったのでありません

この閑茶室の前にも手水鉢がありました。:「女の字(めのじ)」と言います。

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これも重要文化財です。ここまで来たら驚きません

この本堂(方丈)前の庭園は「中の庭」と言います。

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ここには、水戸から贈られた紅梅があって、白梅が「光圀」。紅梅が「家康」と呼ぶそうです。咲いてるのを見たくなりますね。

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バスに戻るため再び書院に戻ってきたら誰もいません。もう何名か出られてました。

実は本堂前で、前住職さんか現住職さんか知りませんが、少し話し込んでて・・・またまた出遅れてしまいました。ここでトイレ休憩をして、再び霰こぼしの敷石を一気に下って、バスに戻りました。私らが最後だったみたいで、バスは慈光院の駐車場を予定どおり14時10分に次の目的地に向け出発しました。

【慈光院 本堂】



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