蘇る白鳳の世界 薬師寺へ
慈光院を出発したバスは、約15分で世界文化遺産 薬師寺の駐車場に14時25分に着きました。
1998年(平成10年)に「古都奈良の文化財」として世界文化遺産に登録された法相宗大本山薬師寺の歴史は、天武天皇が皇后の病気平癒のため薬師寺の建立を680年(天武9年)に発願。皇后の病はすぐに癒えて、飛鳥の地で造営か始まりました。その後、即位した持統天皇が698年(文武2年)にほぼ完成させます。710年(和銅3年)都が平城京に遷都されると、薬師寺も新都に移されました。
薬師寺は、このツアーの中で唯一再訪で、2009年8月17日以来となります。以前は近鉄「西の京」駅から来たので、この駐車場は初めて見ました。
駐車場からこのような参道を進みます。
そして南門(重要文化財)に着きました。事前に聞いて知ってましたが(ここで聞かなくても知ってたことです)国宝の東塔が現在、解体修理中で工事用の囲いに覆われています。
薬師寺で唯一のスター選手みたいな東塔が工事中で見られません。ですから現在の薬師寺は飛車角のどちらかが無いようなものです・・・しかし、仏像は見応えがあります。
そして世界遺産でお馴染みの石碑・・・やっはりありました
。
ちなみに、同じ物が北門にもありますよ
。
薬師寺は再建された建物が多いので、現存の南門は貴重な存在です。ですから・・・じっくり見ました
。
かつての西院西門を1650年(慶安3年)に南大門跡の現在地に移したもの。室町時代の建築と言われています。
次ぎに拝観入口に向かいますが、この前の道は、交通量多いから注意です。
ここの門をくぐると拝観受付があります。もちろんバスガイドさんが手続きしてくれて、由緒書きを受取ます。
この時期は、玄奘三蔵院伽藍は閉鎖中です。ですから拝観料500円です。今日は白鳳伽藍のみ見学となりました。
バスガイドさんから中門の前で案内がありました。この中門は1984年(昭和59年)の再建で、昭和天皇によって初通りが行われました。
1991年(平成3年)には両脇の柱間に二天王像が安置されました。配色がカラフルで・・・どの寺院の二天王像も創建当時は、このような配色だったんでしょう。
それで・・・今日は、足元の写真を撮る時間がありませんでした。2009年8月の訪問時です。
すごく表情が豊かでしょぅ
。やっぱりじっくり見るものですね
。
ここでの案内が終わって、白鳳伽藍内に入ります。
先ず、国宝・東塔からです。現在は解体されて見られません。2019年には完成し見られるみたいです。(下の写真は2009年の解体工事前に撮った写真です)
前途しましたが、薬師寺で唯一創建時の伽藍です。しかし修復工事を繰り返してるため異なってる部分もあると言いいます。
薬師寺東塔は、一見すれば六重塔に見えますが、構造は三重塔です。730年(天平2年)の建立。飛鳥時代は塔は伽藍の中心に1基だけでした。奈良時代になると左右対象に2基建てられるようになります。その一方で、境内の端にへと移されて行きます。薬師寺の2基の塔は回廊の内側に建てられており、白鳳時代への過渡期と言えます。塔の初層には江戸時代の四仏と平安時代の四天王が祀られています。
次ぎに西塔です。1981年(昭和56年)に再建されました。
東塔を参考に建てられましたが、創建時の姿を再現するため、東塔には無い裳階に連子窓が付けられています。
そして中央に行って、金堂の案内です。1976年(昭和51年)の再建され創建当時の姿が蘇りました。
上が今回の写真で、下が2009年の写真です。今回は、銅灯籠が無くなってました。東塔の工事に支障があったのかなぁ・・・。
金堂の内部は撮影禁止ですが、外からの撮影はOKだそうです。
上、薬師如来坐像。下、日光菩薩です。外からでは綺麗に撮れないと思い、これだけしか撮ってません。結構写ってました
。
金堂は創建時から度々焼失し、その度に再建されてました。しかし、1582年(享禄1年)に兵火で焼け落ちてしまってから庇護者だった豊臣家が滅んだこともあって仮堂が建てられてただけでした。歴代住所は再興を願いましたが、学問寺であったため檀家を持たず再興は叶いませんでした。その悲願を達成したのが、高田好胤管主でした。好胤は百万巻写経の浄財の喜捨による発願し金堂の再建に至りました。堂内の中央に、国宝の薬師如来坐像を安置。右手に日光菩薩、左手に月光菩薩が安置されています。
金堂の次は、2003年(平成15年)に再興された大講堂です。
古代伽藍では僧侶の学舎である講堂の方が金堂よりも大きく、この大講堂も白鳳時代の規模で再現されました。薬師寺では、ここ大講堂で朱印がいただけます。
本尊は薬師三尊像とし祀られてましたが、旧西院弥勒堂に安置されたことから本来の弥勒三尊像の名に復された。
ここの朱印は前回訪問時にいただいてますが、窓口で3種類あることが分かり、前回のと違うのをいただくことができました。
大講堂の北側に出て見ました。そこは食堂があったところです。
看板が出てて復元されるようです。今年4月着工で平成29年5月竣工予定と書いてありました。
その横に鐘楼がありました。
元の梵鐘は「西の京割れ鐘」として有名であったようです。金堂の落慶を機に新鋳され、鐘楼も現在の位置に移されました。
今日は、薬師寺大唐西域壁画非公開日のため、拝観時間が70分から50分に短縮されてます。もう少し散策したかったんですが、残り時間も少なくなったきたので戻ります。
平城京寺院の特徴である回廊を進みます。目的は、国宝のお堂です。
それが東院堂(国宝)です。
かつて薬師寺にあった東院の本堂であったのが東院堂です。
養老年間(717~724)に吉備内親王が元明天皇の冥福を祈って建立。973年(天禄4年)に焼失するも、1285年(弘安8年)に再建。鎌倉時代のすぐれた建築様式今に伝えています。本尊は、聖観世音菩薩立像(国宝)を厨子内に安置。四方を四天王が守護してます。
靴を脱いでお参りさせてもらいました。家を出るとき小銭を多く持参して正解でした
・・・が、底をつき始めてました。
ここからは東塔と西塔をセットで写せるんですけど・・・現在は工事中のため2009年の写真を下に付けました。
またまたまた気が付けば私と先輩の2人だけでした。時計の針は集合時間には充分間に合う時間ですが、仕方ないので駐車場に戻りました。それでも集合時間ちょっと前てしたけど・・・でも遅刻はしてません
。
集合時間は15時15分でしたが、バスは15時13分に最終目的地に向けて出発しました。次の場所は歩いてでも行ける距離です。つづく。
【薬師寺 国宝・東塔】

1998年(平成10年)に「古都奈良の文化財」として世界文化遺産に登録された法相宗大本山薬師寺の歴史は、天武天皇が皇后の病気平癒のため薬師寺の建立を680年(天武9年)に発願。皇后の病はすぐに癒えて、飛鳥の地で造営か始まりました。その後、即位した持統天皇が698年(文武2年)にほぼ完成させます。710年(和銅3年)都が平城京に遷都されると、薬師寺も新都に移されました。
薬師寺は、このツアーの中で唯一再訪で、2009年8月17日以来となります。以前は近鉄「西の京」駅から来たので、この駐車場は初めて見ました。
駐車場からこのような参道を進みます。
そして南門(重要文化財)に着きました。事前に聞いて知ってましたが(ここで聞かなくても知ってたことです)国宝の東塔が現在、解体修理中で工事用の囲いに覆われています。
薬師寺で唯一のスター選手みたいな東塔が工事中で見られません。ですから現在の薬師寺は飛車角のどちらかが無いようなものです・・・しかし、仏像は見応えがあります。
そして世界遺産でお馴染みの石碑・・・やっはりありました

ちなみに、同じ物が北門にもありますよ

薬師寺は再建された建物が多いので、現存の南門は貴重な存在です。ですから・・・じっくり見ました

かつての西院西門を1650年(慶安3年)に南大門跡の現在地に移したもの。室町時代の建築と言われています。
次ぎに拝観入口に向かいますが、この前の道は、交通量多いから注意です。
ここの門をくぐると拝観受付があります。もちろんバスガイドさんが手続きしてくれて、由緒書きを受取ます。
この時期は、玄奘三蔵院伽藍は閉鎖中です。ですから拝観料500円です。今日は白鳳伽藍のみ見学となりました。
バスガイドさんから中門の前で案内がありました。この中門は1984年(昭和59年)の再建で、昭和天皇によって初通りが行われました。
1991年(平成3年)には両脇の柱間に二天王像が安置されました。配色がカラフルで・・・どの寺院の二天王像も創建当時は、このような配色だったんでしょう。
それで・・・今日は、足元の写真を撮る時間がありませんでした。2009年8月の訪問時です。
すごく表情が豊かでしょぅ


ここでの案内が終わって、白鳳伽藍内に入ります。
先ず、国宝・東塔からです。現在は解体されて見られません。2019年には完成し見られるみたいです。(下の写真は2009年の解体工事前に撮った写真です)
前途しましたが、薬師寺で唯一創建時の伽藍です。しかし修復工事を繰り返してるため異なってる部分もあると言いいます。
薬師寺東塔は、一見すれば六重塔に見えますが、構造は三重塔です。730年(天平2年)の建立。飛鳥時代は塔は伽藍の中心に1基だけでした。奈良時代になると左右対象に2基建てられるようになります。その一方で、境内の端にへと移されて行きます。薬師寺の2基の塔は回廊の内側に建てられており、白鳳時代への過渡期と言えます。塔の初層には江戸時代の四仏と平安時代の四天王が祀られています。
次ぎに西塔です。1981年(昭和56年)に再建されました。
東塔を参考に建てられましたが、創建時の姿を再現するため、東塔には無い裳階に連子窓が付けられています。
そして中央に行って、金堂の案内です。1976年(昭和51年)の再建され創建当時の姿が蘇りました。
上が今回の写真で、下が2009年の写真です。今回は、銅灯籠が無くなってました。東塔の工事に支障があったのかなぁ・・・。
金堂の内部は撮影禁止ですが、外からの撮影はOKだそうです。
上、薬師如来坐像。下、日光菩薩です。外からでは綺麗に撮れないと思い、これだけしか撮ってません。結構写ってました

金堂は創建時から度々焼失し、その度に再建されてました。しかし、1582年(享禄1年)に兵火で焼け落ちてしまってから庇護者だった豊臣家が滅んだこともあって仮堂が建てられてただけでした。歴代住所は再興を願いましたが、学問寺であったため檀家を持たず再興は叶いませんでした。その悲願を達成したのが、高田好胤管主でした。好胤は百万巻写経の浄財の喜捨による発願し金堂の再建に至りました。堂内の中央に、国宝の薬師如来坐像を安置。右手に日光菩薩、左手に月光菩薩が安置されています。
金堂の次は、2003年(平成15年)に再興された大講堂です。
古代伽藍では僧侶の学舎である講堂の方が金堂よりも大きく、この大講堂も白鳳時代の規模で再現されました。薬師寺では、ここ大講堂で朱印がいただけます。
本尊は薬師三尊像とし祀られてましたが、旧西院弥勒堂に安置されたことから本来の弥勒三尊像の名に復された。
ここの朱印は前回訪問時にいただいてますが、窓口で3種類あることが分かり、前回のと違うのをいただくことができました。
大講堂の北側に出て見ました。そこは食堂があったところです。
看板が出てて復元されるようです。今年4月着工で平成29年5月竣工予定と書いてありました。
その横に鐘楼がありました。
元の梵鐘は「西の京割れ鐘」として有名であったようです。金堂の落慶を機に新鋳され、鐘楼も現在の位置に移されました。
今日は、薬師寺大唐西域壁画非公開日のため、拝観時間が70分から50分に短縮されてます。もう少し散策したかったんですが、残り時間も少なくなったきたので戻ります。
平城京寺院の特徴である回廊を進みます。目的は、国宝のお堂です。
それが東院堂(国宝)です。
かつて薬師寺にあった東院の本堂であったのが東院堂です。
養老年間(717~724)に吉備内親王が元明天皇の冥福を祈って建立。973年(天禄4年)に焼失するも、1285年(弘安8年)に再建。鎌倉時代のすぐれた建築様式今に伝えています。本尊は、聖観世音菩薩立像(国宝)を厨子内に安置。四方を四天王が守護してます。
靴を脱いでお参りさせてもらいました。家を出るとき小銭を多く持参して正解でした

ここからは東塔と西塔をセットで写せるんですけど・・・現在は工事中のため2009年の写真を下に付けました。
またまたまた気が付けば私と先輩の2人だけでした。時計の針は集合時間には充分間に合う時間ですが、仕方ないので駐車場に戻りました。それでも集合時間ちょっと前てしたけど・・・でも遅刻はしてません

集合時間は15時15分でしたが、バスは15時13分に最終目的地に向けて出発しました。次の場所は歩いてでも行ける距離です。つづく。
【薬師寺 国宝・東塔】