本堂が建立された天龍寺塔頭 寿寧院へ

天龍寺境内には多くの塔頭寺院が並んでいます。その中の一つ天龍寺塔頭 寿寧院へ行きました。観光寺院ではないので、普通は檀家さん以外は入れません。毎年2月3日の天龍寺~七福神めぐり~で門前には入れます。

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天龍寺境内の南側に塔頭寺院が並んでる内の一つです。左側に新しいく建立された本堂が見えています。

門を入ると右側に不動堂があります。2月3日の節分会でお参りします。

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下の写真は、節分会に開放された堂内の模様です。

今日、寿寧院に訪問した理由は、昨年の11月3日に落慶法要された真新しい本堂を見ることです。普段、母親が寿寧院さんと懇意させてもらってる縁で今日来られました。

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本堂への入口です。先月母親と女房が来てますが、その時は紅葉が綺麗だったようです。今日もお寺の方が不在だったら諦めるところでした。

玄関を入ると、平田精耕前天龍寺派管長の『龍吟虎嘯』の書が目に飛び込んできました。

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普段はカーテンで隠されています。日に当たって変色を防ぐためとか。意味は帰って辞書で調べました。

同じ考えや心をもった者は、相手の言動に気持ちが通じ合い、互いに相応じ合うということ。また、人の歌声や笛・琴の音などが、あたかも龍や虎の叫び声が天空に轟き渡るように響くことをいう。

それでは案内にしたがって、堂内に入りました。

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先月竣工したばかりで、真新しい畳の臭いなど綺麗です。

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襖絵は、寿寧院さんの檀家さんの知り合いの大野俊明画伯筆によるものだそうです。

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ご本尊は、薬師如来坐像で江戸時代の作だそうです。

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天井は、龍図や花天井かなぁと思いきや何もなかった・・・。でも木目を考えて構成されたらしいです。

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本堂前庭園何も無かったですね。観光寺院でもいなので、必要ない

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寿寧院さんも忙しい中、案内していただき有り難かったです。短い時間でしたが、納得してここを出ました。

そして門外に出て、もう一つ今度は寿寧院さんの墓地に向かいました。門を出て南側の露地を入ったところに入口がありました(お寺の方に場所は事前に聞きました)。

ここには坂本龍馬の妻、坂本龍子・・・お龍(おりょう)と呼ばれていた・・・顕彰碑があるんです。

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楢崎将作 坂本龍子(西村ツル) 『又あふと思ふ心をしるべにて道なき世にも出づる旅かな』と刻まれています。

坂本龍子は、坂本龍馬の妻で、寺田屋でのエピソードなどは特に知られています。1866年(慶応2年)薩長同盟の成立を悟った新撰組によって寺田屋が包囲されたとき、お龍さんは風呂に入ってましたが、裸のままで風呂から出て龍馬に危機を知らせて救ったと言われています。その直後、坂本龍馬と結婚し、坂本龍馬の怪我の養生も兼ねて薩摩藩へ新婚旅行を楽しんでいます。これが日本最初の新婚旅行だったと有名なエピソードです。坂本龍馬の死から8年後の1875年(明治8年) 横須賀で造船所を営む西村松兵衛と再婚し西村ツルと改名。そして横須賀で1906年(明治39年)66歳の生涯を閉じられました。

しかし何故・・・寿寧院墓地にあるのか・・・そこまで聞きませんでした。それにしても、京都の寺院では探すと何かが出て来ますね。面白いものです。

【天龍寺塔頭 寿寧院 本堂】



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