飛鳥時代の伽藍を今に伝える 世界文化遺産 元興寺(がんこうじ)へ
奈良ホテルで、奈良定期観光バスのツアーは終わりです。この後は、近鉄かJRの奈良駅に戻るだけですが、まだまだ時間が早いので、これで帰るのはもったいないです。バスはならまちで途中下車できるので、もちろん先輩と二人で降りました。
バスは5分で、元興寺北門前に着きました。30名のツアー客の中で、何名か降りられましたね。
元興寺は、2009年8月以来の訪問となります。
6年前に来てますが、「ここから入るのは初めて」と思ってました。でも違ってた
。6年前の写真を確認すると、ここから入ってました
。人の記憶って・・・
。
ここから突き当たりが北門です。ここからは入れないので、東門に回るように案内されてました。
ここは覚えてたんですよね・・・。でも何処から来たのか、今でも思い出せない
。
それより晴れて来ました。何故今頃
予報では昼から雨降りで、午前中は曇りだったんですけど・・・。
それで拝観受付がある東門(重要文化財)に回ってきました。
元興寺は、1998年(平成10年)「古都奈良の文化財」のひとつとして世界文化遺産に登録されました。
ここには13時30分に着きました。拝観受付で拝観料400円を納めます。そして先輩は、朱印をお願いされました。そして東門をくぐると国宝 極楽堂を目にします。
先ずは靴を脱いで堂内に入ります。そしてお参りしまた。堂内は撮影禁止でしたが、久し振りの内陣をゆっくりお参りさせてもらいました。
内部は撮影できないので、ポストカードから拝借。ここでは国宝 春日厨子 一基、須弥壇 一基 、閼伽棚 一流を目にすることができます。
元興寺は南都七大寺の中で最も古い伝統を持つ古代寺院でした。6世紀末、蘇我馬子により明日香に建立された日本最古の寺といわれる法興寺(飛鳥寺)を前身とされています。後に平城遷都に伴い奈良の猿沢池の南に移され元興寺と名を改めました。平安時代後半に衰退し、徐々に隣接する興福寺の勢力下に組み込まれ、伽藍の解体にとともに寺内に町屋が形成され、各堂毎に独立した小寺院になっていきました。現存する建物は僧坊遺構の極楽堂と禅室のみで、ともに国宝に指定されています。極楽堂と禅室屋根の一部には飛鳥時代・奈良時代の瓦や構造材にも当初のものが今もなお使われており、収蔵庫には様々な国宝や重文が保存されています。
次ぎに収蔵庫に入ります。ここには是非見たい物があって楽しみに本日訪れました。
それは五重小塔(国宝)なんです。
内部は撮影禁止になっていました。前回は明確な撮影禁止ではなかったように記憶してます。でも今は、撮影できなのでポストカードも買いましたが、それよりウィキペディアに良い写真があったので借用しました。
光明皇后の発願により建立された元興寺西小塔堂に安置されていたといわれるもので、現存する奈良時代盛期の五重塔としては唯一のものとして工芸品ではなく、建造物として国宝に指定されています。
いや・・・何度見ても良いものです。暫く動かず見てました。あとは収蔵されている重要文化財の仏像を充分鑑賞して出ました。 かつて元興寺が大寺だった頃の模型がありましたが、現在はほんの一部にしか過ぎないですね。それを物語る礎石が収蔵庫前にありました。
元興寺 講堂跡の礎石のようです。1998年(平成10年)の発掘調査によるものです。
次ぎに境内南西に整然と並べられた石塔石仏群で浮図田(ふとでん)と呼ばれています。
手前が極楽堂(国宝)、奥が禅室(国宝)です。
浮図田とは、石塔・石仏(浮図)類を田圃のごとく並べた中世の供養形態を示しており、1988年(昭和63年)に整備されました。
石塔・石仏群から極楽堂を撮りました。撮ってから気が付きましたが、北門と東門を同時に撮れてました
。
この浮図田廻りは、もキキョウや萩、彼岸花など咲くみたいです。
こちらは、禅室で極楽堂と同じく国宝に指定されています。禅室とは瞑想修行するための部屋を意味しみます。
元興寺の瓦は、飛鳥時代創建の「法興寺」の屋根に載せていた1400年前の瓦と言われて、日本最古の瓦らしい
。
境内南西角にあった、辨財天です。ここまで来てしまったので、少し戻ります。
こちらは小子坊(県指定文化財)(極楽院旧庫裏)です。小子坊とは僧坊に並行して建てられる付属の建物の事です。
禅室の北側にあった、東室南階小子房の一部を改築して、北厨房あるいは台所と称されました。 1663年(寛永3年)極楽院庫裏として改築されたものを1960年(昭和35年)現位置に移動して復旧されものです。
ここの中庭で面白いものをみつけました。
顔は鬼のようで・・・何なんでしょうね
。調べると、元興寺の境内には水島石根作の5躯の鬼が存在するらしい。
そこで6年前の写真を何度も見直すと写してました
。
ズームしたので、写りはもう一つですが・・・残り2個です・・・いずれまた
。
小子坊を出てたら再び辨財天まで行くと、歴代住持石塔がありました。
手前に歌碑もありましたが、さて

境内は、そんなに広くありません。かつて大寺の面影はまったくありまんが、今度は北側に出てました。極楽堂と禅室の北面です。
禅室は非公開のため入れません。日曜日のお昼過ぎてましたが、空いてました。
北門を過ぎると一角に、風彦句碑とかえる石がありました。
大坂城の蛙石だそうで、豊臣秀吉が気に入って大坂城に運び入れたと伝わり、大坂城の乾櫓の対面に置かれてました。縁あって元興寺に運び込まれ、極楽堂の対面に安置されています。
ゆっくり境内を散策して、再び東門から出ました。先輩は拝観受付で朱印帳を受取られ、ここを後にしました。
6年振りの元興寺を堪能しました。また、いつか再訪したいですね。もちろん忘れた頃に
。
ここを出たら14時10分。疲れは出ていますが、帰るには早いので、もう一箇所寄って帰ることにしました。帰りは二人とも近鉄奈良駅のため、その途中にある世界文化遺産の有名なお寺です。つづく。
【元興寺 東門】

バスは5分で、元興寺北門前に着きました。30名のツアー客の中で、何名か降りられましたね。
元興寺は、2009年8月以来の訪問となります。
6年前に来てますが、「ここから入るのは初めて」と思ってました。でも違ってた



ここから突き当たりが北門です。ここからは入れないので、東門に回るように案内されてました。
ここは覚えてたんですよね・・・。でも何処から来たのか、今でも思い出せない

それより晴れて来ました。何故今頃

それで拝観受付がある東門(重要文化財)に回ってきました。
元興寺は、1998年(平成10年)「古都奈良の文化財」のひとつとして世界文化遺産に登録されました。
ここには13時30分に着きました。拝観受付で拝観料400円を納めます。そして先輩は、朱印をお願いされました。そして東門をくぐると国宝 極楽堂を目にします。
先ずは靴を脱いで堂内に入ります。そしてお参りしまた。堂内は撮影禁止でしたが、久し振りの内陣をゆっくりお参りさせてもらいました。
内部は撮影できないので、ポストカードから拝借。ここでは国宝 春日厨子 一基、須弥壇 一基 、閼伽棚 一流を目にすることができます。
元興寺は南都七大寺の中で最も古い伝統を持つ古代寺院でした。6世紀末、蘇我馬子により明日香に建立された日本最古の寺といわれる法興寺(飛鳥寺)を前身とされています。後に平城遷都に伴い奈良の猿沢池の南に移され元興寺と名を改めました。平安時代後半に衰退し、徐々に隣接する興福寺の勢力下に組み込まれ、伽藍の解体にとともに寺内に町屋が形成され、各堂毎に独立した小寺院になっていきました。現存する建物は僧坊遺構の極楽堂と禅室のみで、ともに国宝に指定されています。極楽堂と禅室屋根の一部には飛鳥時代・奈良時代の瓦や構造材にも当初のものが今もなお使われており、収蔵庫には様々な国宝や重文が保存されています。
次ぎに収蔵庫に入ります。ここには是非見たい物があって楽しみに本日訪れました。
それは五重小塔(国宝)なんです。
内部は撮影禁止になっていました。前回は明確な撮影禁止ではなかったように記憶してます。でも今は、撮影できなのでポストカードも買いましたが、それよりウィキペディアに良い写真があったので借用しました。
光明皇后の発願により建立された元興寺西小塔堂に安置されていたといわれるもので、現存する奈良時代盛期の五重塔としては唯一のものとして工芸品ではなく、建造物として国宝に指定されています。
いや・・・何度見ても良いものです。暫く動かず見てました。あとは収蔵されている重要文化財の仏像を充分鑑賞して出ました。 かつて元興寺が大寺だった頃の模型がありましたが、現在はほんの一部にしか過ぎないですね。それを物語る礎石が収蔵庫前にありました。
元興寺 講堂跡の礎石のようです。1998年(平成10年)の発掘調査によるものです。
次ぎに境内南西に整然と並べられた石塔石仏群で浮図田(ふとでん)と呼ばれています。
手前が極楽堂(国宝)、奥が禅室(国宝)です。
浮図田とは、石塔・石仏(浮図)類を田圃のごとく並べた中世の供養形態を示しており、1988年(昭和63年)に整備されました。
石塔・石仏群から極楽堂を撮りました。撮ってから気が付きましたが、北門と東門を同時に撮れてました

この浮図田廻りは、もキキョウや萩、彼岸花など咲くみたいです。
こちらは、禅室で極楽堂と同じく国宝に指定されています。禅室とは瞑想修行するための部屋を意味しみます。
元興寺の瓦は、飛鳥時代創建の「法興寺」の屋根に載せていた1400年前の瓦と言われて、日本最古の瓦らしい


境内南西角にあった、辨財天です。ここまで来てしまったので、少し戻ります。
こちらは小子坊(県指定文化財)(極楽院旧庫裏)です。小子坊とは僧坊に並行して建てられる付属の建物の事です。
禅室の北側にあった、東室南階小子房の一部を改築して、北厨房あるいは台所と称されました。 1663年(寛永3年)極楽院庫裏として改築されたものを1960年(昭和35年)現位置に移動して復旧されものです。
ここの中庭で面白いものをみつけました。
顔は鬼のようで・・・何なんでしょうね

そこで6年前の写真を何度も見直すと写してました

ズームしたので、写りはもう一つですが・・・残り2個です・・・いずれまた

小子坊を出てたら再び辨財天まで行くと、歴代住持石塔がありました。
手前に歌碑もありましたが、さて


境内は、そんなに広くありません。かつて大寺の面影はまったくありまんが、今度は北側に出てました。極楽堂と禅室の北面です。
禅室は非公開のため入れません。日曜日のお昼過ぎてましたが、空いてました。
北門を過ぎると一角に、風彦句碑とかえる石がありました。
大坂城の蛙石だそうで、豊臣秀吉が気に入って大坂城に運び入れたと伝わり、大坂城の乾櫓の対面に置かれてました。縁あって元興寺に運び込まれ、極楽堂の対面に安置されています。
ゆっくり境内を散策して、再び東門から出ました。先輩は拝観受付で朱印帳を受取られ、ここを後にしました。
6年振りの元興寺を堪能しました。また、いつか再訪したいですね。もちろん忘れた頃に

ここを出たら14時10分。疲れは出ていますが、帰るには早いので、もう一箇所寄って帰ることにしました。帰りは二人とも近鉄奈良駅のため、その途中にある世界文化遺産の有名なお寺です。つづく。
【元興寺 東門】