明智光秀 首塚へ

地下鉄烏丸線「今出川駅」から「御池駅」で東西線に乗り換え、やって来たのは「東山駅」です。着いたのは12時40分を過ぎてましたしが、まだ時間があります。この近くで有名なのは平安神宮でしょう。しかし方向が違います。そこで、以前会社の同僚が行ってきた話を思い出しました。

この近くに明智光秀 首塚があるんです。今日の行程で、ここだけが計画外・・・まったくの思いつきです

地下鉄「東山駅」を降りて地上に上がります。そしてそのまま東に進むと風情ある白川に出会います。その白川を下がると餅寅さんがあります。

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会社の同僚から聞いてた話では「この和菓子のお店を目指したら分かる」と言うことでした。ですから三条から歩いて来て、見えた時は思わす「ビンゴ」と叫んで(心の中で)しまいました

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このまま狭い路地を進みます。ちなみに、この路地は突き当たりで通り抜けできません。

その路地を少し進めば、ありましたここが明智光秀の首が埋められたと伝わる塚です。

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この厨子の中に、光秀の木像が納められていますが、扉が閉まってて見ることはできませんでした。

同僚は、光秀ゆかりの地を尋ねるツアーで行かれたので、この首塚を管理されている餅寅さんによって、扉を開けてもらって拝観されたようです。ですから事前に「声を掛ければ良いよ」とは言われてましたか、ちょっとね・・・俵屋吉富さんの紙袋も持ってるので・・・今度にします

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この餅寅さんには「光秀饅頭」も売ってました。同僚曰く「美味しかった」と

1582年(天正10年)、本能寺に宿泊していた織田信長を急襲した自刀に追い込んだ明智光秀は、すぐ後の山崎(天王山)の戦いで羽柴秀吉に敗れ、近江の坂本城へ逃れる途中、小栗栖の竹薮で農民に襲われて亡くなりました。家来が、光秀の首を落とし、知恩院の近くまで来ましたが、夜が明けたため、この地に首を埋めたと伝えられています。

そんなに長居できるほど広くないので早々と、ここを出ました。次が今日のメインです。つづく。

【明智光秀 首塚】



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