鎌倉時代の庭園が残る南禅院へ

水路橋から降りると、亀山法皇の離宮跡である南禅院があります。ここは亀山法皇みずから作庭したと伝わる鎌倉時代の庭園が今も残っており、是非見て欲しかったので行きました。

ここは高所が無いので、4人で入りました。ここが南禅院の拝観受付です。

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ここで拝観料300円を納めます。ここは紅葉の時期以外は比較的空いてます。

と思ったら多かった。殆どが中国からの旅行者でしょう。受付を済ませると先ず、方丈の西側に出ます。そして苑路にそって進むと下池が見えてきます。

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下池には心字島がありました。派手さはありませんが、落ち着いた雰囲気が私は好きな庭園です。

そのまま方丈の南側に出ます。そこには曹源池と呼ばれる庭園が広がっています。

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方丈の西から南にかけて、瓢箪のような形をした池を中心に庭園が広がっています。

夢想国師作庭と伝わり、亀山法皇が愛した庭園です。同じ夢想国師作庭の天龍寺と同じ曹源池と名が付きます。「曹源」とは「曹源一滴水」(正しい源から流れ出る真実の禅)の禅語に由来します。鎌倉時代末の代表的池泉回遊式で、周囲を深い樹林で包まれた幽玄閑寂の趣は格別で、京都の三名勝史跡庭園(天龍寺・西芳寺・南禅院)の一つに指定されています。

池の周りの苑路を進むと、庭園東側に亀山天皇分骨所がありました。

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亀山法皇の遺言により分骨を埋葬した御廟だそうです。

また、その隣には一山国師塔がありました。

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鎌倉末期、中国から渡来した臨済宗の渡来僧。円覚寺、浄智寺の住持を歴任後、南禅寺3世の住持となった人物だそうで、私は知りませんでした。

そのまま苑路を進み南側に出ると滝石組(曹源泉)があります。

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庭園東南部の最も高い位置に組まれた滝です。石組は、奇岩を縦横に組み、深山の滝を思わせます。

瓢箪形の池は一周できます。自然林に包まれた庭園は鎌倉時代末の趣を今に伝えています。

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少し高台になってるので、前方の方丈を見下ろすような感じで見えてます。

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そう広くない苑路を進むと、前方に方丈が見えてきます。その手前の石橋、上池と下池を繋ないでいます。

徳川幕府5大将軍・綱吉の母、桂昌院の寄進によって再建された方丈です。

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最初に庭園を見て、戻ってきて方丈を見る。計画どおりです

1703年(元禄16年)徳川綱吉の母、桂昌院の寄進によって再建され、総檜の入母屋造、柿葺きです。内陣中央には亀山法皇御木造(重要文化財)が安置され、襖絵は狩野養朴(狩野常信)とその子如川隋川の筆になる水墨画です。

残念ながら方丈へは上がれないので、こうして外から覗き込むしかありません。

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少し遠すぎるので襖絵も見づらいです。「一度で良いから上がってみたい」が本音です

いつもなら、何周かするところ一周だけで南禅院を出ました。朝の妙心寺から拝観をスタートして、少々疲れてきました。しかし、あと一箇所は行きますが、最後、南禅院の庫裏の前を通りました。

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この頁の最初で紹介した、拝観受付の東隣にありました。

この庫裏の前に、下に降りる階段があって、ゆっくり降りていきます。そしたら目の前に・・・つづく。

【南禅院 方丈】



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