名残の桜は 修学院離宮【下離宮編】へ

今年の1月1日の元旦に、桜狙いで予約した修学院離宮に4月9日(木)に行ってきました。最初に予約した(抽選に当たった日)は別の日だったんですが宮内庁の都合で変更になりました。しかし、最初に予約した日は朝から夜まで雨降りでしたね。 そして当日の空模様は・・・曇り空で、時々陽が差す絶好とは言いませんが、まずまずの天気に恵まれました

叡山電鉄の「修学院駅」を降りて歩くこと15分で2011年6月11日2011年10月14日以来、久し振りの修学院離宮の参観で通算5回目です。

修学院離宮には、2007年4月9日に訪れてました。くしくも8年度後に同じ日に再訪したことになります。その時桜が満開で。最高の眺望だったんです。今日は、それだけを期待して、ここまで歩いてきました

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撮影日(2007.4.9) 上離宮の隣雲亭から望む浴龍池。さて、今日の眺望は・・・それは後程。

先ず表総門にて今日の参観許可番号を出し、日付と時間を確認されます。そして管理事務所にて、身分証明書を提示して本人と確認されます。

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ここで修学院離宮のパンフレットをもらい、参観者休憩初で時間まで休憩します。なお、参考までに・・・受付は20分からです。その時間前に来ても表総門前で待たされるだけです。

時間まで皆さん修学院離宮を紹介するビデオを見られています。私は外のベンチで座って待ってました。そしたら今日のガイドさんが来られ、参観が始まりました。

修学院離宮は、比叡山の麓に展開する後水尾上皇の山荘庭園です。広大な敷地に、下離宮(下御茶屋)・中離宮(中御茶屋)・上離宮(上御茶屋)と呼ばれる3つの山荘が点在し、松並木の苑路で結ばれています。

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最初の案内である、下離宮までガイドさんについて歩いて行きます。

そして下離宮の御幸門の前について案内が始まりました。

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下離宮の正門にあたります。毎回、ここから案内が始まるので覚えました

御幸門を入ると寿月観(じゅげつかん)まで、細い石畳や階段を登って行きます。その途中にはいろんな灯籠を目にします。先ずは朝鮮灯籠から。

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祖型が朝鮮にあるとのことですが、朝鮮灯籠という固定の形はないらしいです。

次が袖形灯籠です。寿月観に向かう苑路に佇んでいます。何度か来てるので覚えました

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胴部の鰐口の天井に蛭釘を打ち、これに金灯籠を釣るユニークな形式です。少し上がると小さい池があって、夏場ではモリアオガエルの産卵も見られるそうです。

寿月観までの苑路は、苔と白砂のコントラストが綺麗な前庭を眺めながら歩いて行きます。

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前庭の真ん中に鑓水が東から西へ流れています。

写真下の富士山の石組を滝口に見立てて、白糸の滝が流れてて、その流れが鑓水となり前庭の中を流れています。

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美しい苔の上にも散った桜の花びらが落ちていました。

寿月観に着くと、ガイドさんから案内が始まりました。この寿月観は、1824年(文政7年)に江戸幕府によって、忠実に再建されたものです。

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寿月観には上がることはできません。外からの見学だけです。室内は6部屋あって、数寄屋入母屋造りとなっています。

寿月観に架かる扁額は、後水尾上皇宸筆です。また、一の間の内部ですが、15畳敷で、中央奥の一番高い場所が上皇の御座所となっています。

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この襖絵は、江戸後期の御所絵師・原在中の筆と伝わっています。

下離宮には東門から出ます。そしたら目の前に比叡山が聳えています。我が家から見える比叡山と違い驚くほど近い

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ここでは、前後の組とすれ違います。計算されてるでしょう、何度来てもそうです。

もう、ここで種明かししますが、東門にあるです。

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ご覧のように桜の花が散って、葉が出始めてました。要するに終わってました。残念

次ぎに中離宮に移動します。修学院離宮は移動距離が長くて、参観時間も1時間は超えます。廻りを田園に囲まれた松並木を進みます。

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宮内庁が買い上げた田園で、いまも耕作されています。江戸時代までは、田の畦道だったようで、明治になって松並木となりました。

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この松並木の突き当たりが中離宮です。

初めて、修学院離宮を訪れたのが、2005年7月19日でした。猛烈な暑さでしたが、こんなに歩くとは知らなくて・・・最後の上離宮に着く頃には、熱中症で倒れそうになりました。夏場は、水の持参が必須です(参観の途中には、自動販売機はありません)。次回は中離宮の模様をお送りします。つづく。

【修学院離宮 下御茶屋 寿月観】



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