平成27年度 春季京都非公開文化財特別公開 上賀茂神社へ
今年も、平成27年度 春季京都非公開文化財特別公開が4月29日(水・祝)~5月10日(日)までの期間で、始まりました。
事前に京都市文化観光資源保護財団より拝観券を2枚もらってて、連休初日の5月2日(土)に早速、世界文化遺産の上賀茂神社に行ってきました。
上賀茂神社には2007年5月、2009年10月以来3度目で、特別拝観には初めて来ました。我が家から何度か乗り替える必要があるので、足が遠のいてた理由です。今日も何度か乗り替えてやって来ました。
バス停を降りると目の前に一の鳥居があります。珍しくこの鳥居には扁額がありません。それにしても連休初日は晴天に恵まれました。
3度目ですが、バスで来たのは初めてです。前の2回は地下鉄「北山駅」から歩いて約30分程度・・・で来てました。
一の鳥居をくぐると二の鳥居まで一直線に進みます。玉砂利の参道の両側には綺麗な芝生が植わっていますが、いつもと違って様子が・・・。
進行方向左には、椅子席が設けられています。何か行事が・・・。
毎年、5月5日に行われる賀茂競馬(かもくらべうま)。私はニュース映像では見た事がありますが、昨年、イベントで見られた下鴨神社の流鏑馬のように、生で見たことがありません。
1073年(寛治7年)堀河天皇が宮中武徳殿の式を移し、上賀茂神社に奉納した古い行事。この日は午前中の菖蒲根合わせの儀に始まり午後乗尻(騎手)が安全と必勝を祈る乗尻奉幣の儀等が行われたのち10頭程の馬が左・右番(つがい)になって、速さ、作法などを競います。上賀茂神社は、日本の競馬(くらべうま)発祥の地とされています。
玉砂利の参道を進むと、右手に御所舎(ごしょのや)が見えてきます。
案内板には、外幤殿とも書いてありました。重要文化財指定。1628年(寛永5年)造替。
次ぎに左手には神馬舎(しんめしゃ)がありました。
近づくと・・・馬は居ませんでした。ただ・・・この時は・・・です。
で、ようやく二の鳥居につきました。
今年の秋に行われる式年遷宮の大きな看板は、2007年の初訪問時からありました。
二の鳥居前で一礼して境内に入りました。連休初日でも空いてます。この時時計の針は8時50分頃でした。
9時から特別拝観が始まるまで、取り急ぎ境内を散策です。
先ずは細殿(ほそどの)(重要文化財)から、かつては天皇や斎王のみが昇殿を許された建物。
この建物の全面に立砂(たてすな)があります。後程行く特別参拝で、本殿をお参りしたあと、学生さんの案内で境内を見て回りました。この立砂の由来も案内されましたが、今日の学生さんは、早口で・・・何言ってるのか分からなかったです。
上賀茂神社の裏にある神山(こうやま)に同社の祭神、賀茂別雷神(かもわけいかづちかみ)が降臨しました。その神山から引いてきた松の木を立てて神迎えをされました。そして社殿が建てられた頃、松の木は松の葉に代えられ立てられた場所に砂を大きく盛るようになったと言います。立砂は、陰陽道の教えに基づいて右側が陰を表し松の葉が2枚、左側が陽を表し松の葉が3枚あります。
立砂に先に松の葉が・・・説明されないと分からないです。近寄れませんが、充分見えました。多分・・・説明がないと素通りでしょうね。この形が鬼門・裏鬼門に『清めの砂』を撒く起源とも言われてました。
次ぎに朝日を浴びて逆光ですが、左が橋殿(はしどの)右が土屋(つちのや)で、ともに重要文化財に指定されていす。
橋殿は舞殿とも呼ばれてて、1863年(文久3年)の造替。また土屋は、到着殿とも呼ばれてて1628年(寛永5年)の造替です。
境内の奥に進むと、楼門(重要文化財)があります。上賀茂神社で一番有名な所じゃないでしょうか。
鮮やかな朱塗りが目立ちます。御物忌川(おものいがわ)に架かる玉橋(重要文化財)は渡れません。
この楼門を入って右手に拝観受付のテントがありました。8時50分を少し過ぎてましたが、時々拝観受付前に受付が始まるので、一応聞いてみました。「9時から受付ですよね」「そうです。少しお待ち下さい」と。
そこで御朱印を先にいただこうと思いましたが、何処で貰えるのかお札授与所で聞いてみました。
「西の鳥居の向にある社務所です」と言われました。少し距離が離れています。
今度は大急ぎで社務所に向かいました。
楼門からは少し離れているので・・・少々急いで行きました。
今日の目的は、朱印帳に御朱印を貰うことと、「京都五社めぐり~四神相応の京~」で、色紙に朱印をいただくことでした。過去に平安神宮、松尾大社、八坂神社には行きました。そして今日が、上賀茂神社です。残りは城南宮となりました。
せっかく上賀茂神社まで行くのに、「五社めぐり」と「特別拝観」をセットに考えた訳です。そして5月5日の賀茂競馬の日だけは、混雑するので避けよう・・・と。練りに練った日が、この日だったわけです。
社務所を出たら8時58分です。9時は回ってしまいますが、大体予定通りに来ました。そして再び西の鳥居をくぐって、楼門の方に急ぎました。
大急ぎで受付まで戻り、招待券を渡すと、由緒書きと「浄掛」をいただきました。由緒書きは、先ほど朱印でもいただいたので、ダブりました。受付後は、案内人にしたがって中門から入りました。
中門の向かって左側に靴を脱いで、入りました。10名ぐらいでしょうか、先に座られていました。
通され所は直会殿(西局)でした。中門と西局も東局も重要文化財に指定されています。
中は、驚くほど狭いです。9時5分ぐらいしたら、神職さんより上賀茂神社の歴史から話されました。10分も話されたので要約すると・・・。
上賀茂神社は通称で、正式には賀茂別雷神社と言います。山城の北部一帯に定住する賀茂一族の娘・賀茂玉依比売命(かもたもよりひめのみこと)がある日、賀茂川で身を清めている時、川上から丹塗矢が流れて来て家に持ち帰ったところ、御子を授かりました。その御子が成人したところ、祖父である賀茂茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)多くの神々を招いて、七日七夜の宴を催しました。祖父は、御子の父が誰なのか探す目的もあって御子に「汝の父と思う神に盃を捧げよ」と申され、盃を渡された御子は「我が父は天津神なり」と言って雷鳴徒共に天上に昇られました。再び逢いたいと願ってた母の賀茂玉依比売命の枕元に御子が顕れ「吾に逢はんとには、馬に鈴を掛け走らせ葵楓の蘰を造り、厳しく飾りて吾を待てば来む」と。その言葉どおりに祭をしたところ神山に賀茂別雷大神が降臨されたと伝わっています。
神職さんは西局に架かっている絵を元に案内されたので、分かりやすかったです。大変勉強になりました。また、上賀茂神社と下鴨神社の関係ですが・・・。
下鴨神社の正式名称は、賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)と言います。御祭神が、上賀茂神社の祭神である賀茂別雷命大神の母の賀茂玉依比売命(かもたもよりひめのみこと)と、その父の賀茂茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)の二柱(ふたはしら)です。と言うことで、上賀茂神社と下鴨神社は、血縁関係の神様を祀った神社どうしと言うことです。
神職さんの話が終わると、今度は本殿に参拝するので、全員お祓いを受けます。初めて来て要領が分かりませんでしたが、神職さんの話の途中でも数名入って来られます。殆ど話しが終わる頃にも入って来られましたが、皆さん全員でお祓いを受け、本殿前に移動です。要するに後から来た人は、説明を聞けない・・・と言うことです。最後に神職さんが「本殿前は撮影禁止ですので、ご注意して下さい」と言われました。神様に向かってカメラを向けられないですね。
入ると正面に、権殿(国宝)その右隣に本殿(国宝)が並んでいます。そして前列が座り、後列も座ります。神様の前に座るので「浄掛」を首から掛けて話しを聞きました。ちなみに本殿と権殿とも1863年(文久3)年の造替です。
上賀茂神社の御祭神は賀茂別雷大神(かもわけいかづちのおおかみ)で、一柱(ひとはしら)に対して、本殿と権殿の2つの社を持っておられます。何故2つの社があるのかそれは、平安時代より式年遷宮の制度により、21年毎に社を造り替えて来ました。最後に造り替えられたのは、孝明天皇の命令により1863年(文久3年)のことでした。それ以降は国宝に指定されたので、文化財保護のため壊すことが出来なくなりましたが、式年遷宮の制度は現在も残っています。では何を持って式年遷宮と言うのか・・・それは、屋根の檜皮葺を一から葺き替えることで、式年遷宮としています。神様は、昨年の6月に本殿から権殿に移っていただいて、現在は権殿におられます。その神様が留守の間に、本殿の屋根を葺き替えられたようです。そして今年の10月に権殿から本殿に移られ第42回式年遷宮が終わります。
本殿の特別参拝が終わると神職さんの案内は、ここまでです。ここから学生さんのガイドさんにバトンタッチです。その学生さんの案内で高倉殿に移動し、上賀茂神社の宝物を見学です。
写真は、前途した、拝観時間を確認した時に事前に撮っておきました。ですから扉は閉まってますけど。内部は撮影禁止でした。
写真は「孝明天皇賀茂行幸絵馬」の一部。ポスターからの抜粋です。
高倉殿の内部は狭いで、直ぐに出ました。「次から好きな所を好き勝手に見てまわるんだろう」と思ってたら、「ガイドが案内するので暫く待って下さい」と言われたので、日陰で長らく待っていました。これは予想外でしたね。約20名程度が、固まって移動する訳です。
結構待ってたので、その間に神山湧水の手水舎を撮りました。
御祭神が降臨さりれた神山から汲み上げられてるとか。案内板には飲み水にも使用できると書いてありました。
学生さんについて行くと、最初に案内されたのは・・・片山御子神社で、通称片岡社です。
上賀茂神社の摂社で、御祭神は上賀茂神社の祭神・賀茂別雷大神の母である賀茂玉依比売命(かもたもよりひめのみこと)で、御利益は、縁結び、恋愛成就、子授かりです。本殿より先にお参りするのが約束になっているとか。
次ぎに前途した細殿と立砂を案内される訳です。その前に楢の小川を紹介されました。
境内を流れる御手洗川で、百人一首にも詠まれた清流で、楢の林の間を流れることから、奈良神社の横を流れてることから楢の小川と名付けられたそうです。この御手洗川は、下鴨神社の境内へと流れています。
このあと、平成27年度 春季京都非公開文化財特別公開で、特別公開されてる渉渓園に向かいました。つづく。
【上賀茂神社 本殿(国宝)】
事前に京都市文化観光資源保護財団より拝観券を2枚もらってて、連休初日の5月2日(土)に早速、世界文化遺産の上賀茂神社に行ってきました。
上賀茂神社には2007年5月、2009年10月以来3度目で、特別拝観には初めて来ました。我が家から何度か乗り替える必要があるので、足が遠のいてた理由です。今日も何度か乗り替えてやって来ました。
バス停を降りると目の前に一の鳥居があります。珍しくこの鳥居には扁額がありません。それにしても連休初日は晴天に恵まれました。
3度目ですが、バスで来たのは初めてです。前の2回は地下鉄「北山駅」から歩いて約30分程度・・・で来てました。
一の鳥居をくぐると二の鳥居まで一直線に進みます。玉砂利の参道の両側には綺麗な芝生が植わっていますが、いつもと違って様子が・・・。
進行方向左には、椅子席が設けられています。何か行事が・・・。
毎年、5月5日に行われる賀茂競馬(かもくらべうま)。私はニュース映像では見た事がありますが、昨年、イベントで見られた下鴨神社の流鏑馬のように、生で見たことがありません。
1073年(寛治7年)堀河天皇が宮中武徳殿の式を移し、上賀茂神社に奉納した古い行事。この日は午前中の菖蒲根合わせの儀に始まり午後乗尻(騎手)が安全と必勝を祈る乗尻奉幣の儀等が行われたのち10頭程の馬が左・右番(つがい)になって、速さ、作法などを競います。上賀茂神社は、日本の競馬(くらべうま)発祥の地とされています。
玉砂利の参道を進むと、右手に御所舎(ごしょのや)が見えてきます。
案内板には、外幤殿とも書いてありました。重要文化財指定。1628年(寛永5年)造替。
次ぎに左手には神馬舎(しんめしゃ)がありました。
近づくと・・・馬は居ませんでした。ただ・・・この時は・・・です。
で、ようやく二の鳥居につきました。
今年の秋に行われる式年遷宮の大きな看板は、2007年の初訪問時からありました。
二の鳥居前で一礼して境内に入りました。連休初日でも空いてます。この時時計の針は8時50分頃でした。
9時から特別拝観が始まるまで、取り急ぎ境内を散策です。
先ずは細殿(ほそどの)(重要文化財)から、かつては天皇や斎王のみが昇殿を許された建物。
この建物の全面に立砂(たてすな)があります。後程行く特別参拝で、本殿をお参りしたあと、学生さんの案内で境内を見て回りました。この立砂の由来も案内されましたが、今日の学生さんは、早口で・・・何言ってるのか分からなかったです。
上賀茂神社の裏にある神山(こうやま)に同社の祭神、賀茂別雷神(かもわけいかづちかみ)が降臨しました。その神山から引いてきた松の木を立てて神迎えをされました。そして社殿が建てられた頃、松の木は松の葉に代えられ立てられた場所に砂を大きく盛るようになったと言います。立砂は、陰陽道の教えに基づいて右側が陰を表し松の葉が2枚、左側が陽を表し松の葉が3枚あります。
立砂に先に松の葉が・・・説明されないと分からないです。近寄れませんが、充分見えました。多分・・・説明がないと素通りでしょうね。この形が鬼門・裏鬼門に『清めの砂』を撒く起源とも言われてました。
次ぎに朝日を浴びて逆光ですが、左が橋殿(はしどの)右が土屋(つちのや)で、ともに重要文化財に指定されていす。
橋殿は舞殿とも呼ばれてて、1863年(文久3年)の造替。また土屋は、到着殿とも呼ばれてて1628年(寛永5年)の造替です。
境内の奥に進むと、楼門(重要文化財)があります。上賀茂神社で一番有名な所じゃないでしょうか。
鮮やかな朱塗りが目立ちます。御物忌川(おものいがわ)に架かる玉橋(重要文化財)は渡れません。
この楼門を入って右手に拝観受付のテントがありました。8時50分を少し過ぎてましたが、時々拝観受付前に受付が始まるので、一応聞いてみました。「9時から受付ですよね」「そうです。少しお待ち下さい」と。
そこで御朱印を先にいただこうと思いましたが、何処で貰えるのかお札授与所で聞いてみました。
「西の鳥居の向にある社務所です」と言われました。少し距離が離れています。
今度は大急ぎで社務所に向かいました。
楼門からは少し離れているので・・・少々急いで行きました。
今日の目的は、朱印帳に御朱印を貰うことと、「京都五社めぐり~四神相応の京~」で、色紙に朱印をいただくことでした。過去に平安神宮、松尾大社、八坂神社には行きました。そして今日が、上賀茂神社です。残りは城南宮となりました。
せっかく上賀茂神社まで行くのに、「五社めぐり」と「特別拝観」をセットに考えた訳です。そして5月5日の賀茂競馬の日だけは、混雑するので避けよう・・・と。練りに練った日が、この日だったわけです。
社務所を出たら8時58分です。9時は回ってしまいますが、大体予定通りに来ました。そして再び西の鳥居をくぐって、楼門の方に急ぎました。
大急ぎで受付まで戻り、招待券を渡すと、由緒書きと「浄掛」をいただきました。由緒書きは、先ほど朱印でもいただいたので、ダブりました。受付後は、案内人にしたがって中門から入りました。
中門の向かって左側に靴を脱いで、入りました。10名ぐらいでしょうか、先に座られていました。
通され所は直会殿(西局)でした。中門と西局も東局も重要文化財に指定されています。
中は、驚くほど狭いです。9時5分ぐらいしたら、神職さんより上賀茂神社の歴史から話されました。10分も話されたので要約すると・・・。
上賀茂神社は通称で、正式には賀茂別雷神社と言います。山城の北部一帯に定住する賀茂一族の娘・賀茂玉依比売命(かもたもよりひめのみこと)がある日、賀茂川で身を清めている時、川上から丹塗矢が流れて来て家に持ち帰ったところ、御子を授かりました。その御子が成人したところ、祖父である賀茂茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)多くの神々を招いて、七日七夜の宴を催しました。祖父は、御子の父が誰なのか探す目的もあって御子に「汝の父と思う神に盃を捧げよ」と申され、盃を渡された御子は「我が父は天津神なり」と言って雷鳴徒共に天上に昇られました。再び逢いたいと願ってた母の賀茂玉依比売命の枕元に御子が顕れ「吾に逢はんとには、馬に鈴を掛け走らせ葵楓の蘰を造り、厳しく飾りて吾を待てば来む」と。その言葉どおりに祭をしたところ神山に賀茂別雷大神が降臨されたと伝わっています。
神職さんは西局に架かっている絵を元に案内されたので、分かりやすかったです。大変勉強になりました。また、上賀茂神社と下鴨神社の関係ですが・・・。
下鴨神社の正式名称は、賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)と言います。御祭神が、上賀茂神社の祭神である賀茂別雷命大神の母の賀茂玉依比売命(かもたもよりひめのみこと)と、その父の賀茂茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)の二柱(ふたはしら)です。と言うことで、上賀茂神社と下鴨神社は、血縁関係の神様を祀った神社どうしと言うことです。
神職さんの話が終わると、今度は本殿に参拝するので、全員お祓いを受けます。初めて来て要領が分かりませんでしたが、神職さんの話の途中でも数名入って来られます。殆ど話しが終わる頃にも入って来られましたが、皆さん全員でお祓いを受け、本殿前に移動です。要するに後から来た人は、説明を聞けない・・・と言うことです。最後に神職さんが「本殿前は撮影禁止ですので、ご注意して下さい」と言われました。神様に向かってカメラを向けられないですね。
入ると正面に、権殿(国宝)その右隣に本殿(国宝)が並んでいます。そして前列が座り、後列も座ります。神様の前に座るので「浄掛」を首から掛けて話しを聞きました。ちなみに本殿と権殿とも1863年(文久3)年の造替です。
上賀茂神社の御祭神は賀茂別雷大神(かもわけいかづちのおおかみ)で、一柱(ひとはしら)に対して、本殿と権殿の2つの社を持っておられます。何故2つの社があるのかそれは、平安時代より式年遷宮の制度により、21年毎に社を造り替えて来ました。最後に造り替えられたのは、孝明天皇の命令により1863年(文久3年)のことでした。それ以降は国宝に指定されたので、文化財保護のため壊すことが出来なくなりましたが、式年遷宮の制度は現在も残っています。では何を持って式年遷宮と言うのか・・・それは、屋根の檜皮葺を一から葺き替えることで、式年遷宮としています。神様は、昨年の6月に本殿から権殿に移っていただいて、現在は権殿におられます。その神様が留守の間に、本殿の屋根を葺き替えられたようです。そして今年の10月に権殿から本殿に移られ第42回式年遷宮が終わります。
本殿の特別参拝が終わると神職さんの案内は、ここまでです。ここから学生さんのガイドさんにバトンタッチです。その学生さんの案内で高倉殿に移動し、上賀茂神社の宝物を見学です。
写真は、前途した、拝観時間を確認した時に事前に撮っておきました。ですから扉は閉まってますけど。内部は撮影禁止でした。
写真は「孝明天皇賀茂行幸絵馬」の一部。ポスターからの抜粋です。
高倉殿の内部は狭いで、直ぐに出ました。「次から好きな所を好き勝手に見てまわるんだろう」と思ってたら、「ガイドが案内するので暫く待って下さい」と言われたので、日陰で長らく待っていました。これは予想外でしたね。約20名程度が、固まって移動する訳です。
結構待ってたので、その間に神山湧水の手水舎を撮りました。
御祭神が降臨さりれた神山から汲み上げられてるとか。案内板には飲み水にも使用できると書いてありました。
学生さんについて行くと、最初に案内されたのは・・・片山御子神社で、通称片岡社です。
上賀茂神社の摂社で、御祭神は上賀茂神社の祭神・賀茂別雷大神の母である賀茂玉依比売命(かもたもよりひめのみこと)で、御利益は、縁結び、恋愛成就、子授かりです。本殿より先にお参りするのが約束になっているとか。
次ぎに前途した細殿と立砂を案内される訳です。その前に楢の小川を紹介されました。
境内を流れる御手洗川で、百人一首にも詠まれた清流で、楢の林の間を流れることから、奈良神社の横を流れてることから楢の小川と名付けられたそうです。この御手洗川は、下鴨神社の境内へと流れています。
このあと、平成27年度 春季京都非公開文化財特別公開で、特別公開されてる渉渓園に向かいました。つづく。
【上賀茂神社 本殿(国宝)】