真宗佛光寺派 本山 佛光寺へ

西念寺を出て、そのまま高倉通りを北上します。そしたら高辻通りで佛光寺に突き当たります。「そう言えば佛光寺の写真撮ったこと無かったなぁ・・・」と言うことで佛光寺にお邪魔しました。

私は佛光寺通りに縁があって、私が生まれた家の前の通りが佛光寺通りでしたし、そのあとに引っ越し育った家の住所には佛光寺が付いてました。私と縁の深い佛光寺通りと名前が付いた佛光寺は・・・どんなお寺なのか・・・興味津々で入って見ました。

佛光寺へは高倉通りから入ります。最初に目にするのは阿弥陀堂門(本堂門)です。

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1879年(明治12年)四脚門で、屋根は切妻造ながら前後に唐破風をつけた銅版葺。

この門から北に上がると目にするのが御影堂門です。

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妻四脚門。 扉や脇、腰の各所を彫刻で装飾が。門前には大きな石標もありました。

門を入ると、境内に2名から3名ほど写真を撮ってました。観光寺院では無いことだけ分かってましたが、観光客が居たのは以外でした。それに帰る時(ここを出る時)には、外人さんが2名入って来たのは驚きました。

佛光寺に入るのは(境内に)初めてです。しかし、寺町通りが電気店街だった頃(今もですけど・・・規模が・・・)何回も前は通っています。何回じゃないですね、何十回もっと多いかも

先ず、広い境内と大きなお堂に驚きです。最初に阿弥陀堂門から入ったので、正面に阿弥陀堂(本堂)がありました。

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本尊の阿弥陀仏が安置されてるそうです。内部は入ってませんが、多分、入れたんでしょうね。

内陣須弥壇上に阿弥陀如来立像、両脇壇に聖徳太子像(重要文化財)と法然上人坐像、両余間に竜樹・天親・以下六高僧の坐像と後醍醐天皇の位牌を安置する。1904年(明治37年)再建。(HPより)

次ぎに大師堂です。親鸞聖人坐像他が安置されてるそうです。

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内部須弥壇上に親鸞聖人の坐像、両脇壇に中興了源上人の坐像と前住上人の絵像とを安置し、両余間に九字と十字の名尊号を掲げる。1884年(明治17年)再建。(HPより)

阿弥陀堂と御影堂前には枝垂れ桜が植わっています。

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今は葉桜ですが、時期に来てみたら面白そうです。

この日は西念寺に行った日です。朱印帳も持ってきてるので、寺務所へ寄ってみました。西本願寺や東本願寺には朱印はありません。ダメ元で受付で聞いてみたら・・・。

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月曜日から金曜日は、朱印帳に直接書いて貰えます。土曜・日曜・祝日は貼るタイプのものでした。

平日に行ける保証もないので、貼るタイプのものをいただきました。やっぱり来て見て良かったです。

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寺務所の前から境内の全景です。連休中でも観光寺院ではないので、空いてます。

そんなに長居できる所では無いので、手水舎鐘楼を撮ってから、ここを出ました。

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1212年(建暦2年)越後に流罪になっていた親鸞聖人が一時帰洛されたとき、山科の地に草庵を結ばれたことを寺の起源とされています。親鸞聖人在世時、真宗の教えは関東を中心に広がりを見せていたが、親鸞聖人が亡くなられ南北朝時代に。7世了源上人が、教化活動の拠点を京都に置き西日本一帯の布教活動に力を入れました。1320年(元応2年)には、寺基を山科から今比叡汁谷(現・京都国立博物館辺り)に移し、1586年(天正14年)には豊臣秀吉の要請により、寺基を五条坊門(現在地)に移りました。京都の中心部に移転して400年余り、その間にも多くの苦難に見舞われましたが、門末の念仏相続により佛光寺の法灯は守られてきました。(駒札より)

【佛光寺】



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