大山崎町散策 離宮八幡宮へ

2月27日に訪れた離宮八幡宮ですが、再び訪れることにしました。目的はただ一つ、御朱印をもらうことです。

離宮八幡宮は、平安時代末頃より燈明用の荏胡麻油の生産が始まり鎌倉時代には油の製造販売を山崎の油商人が独占していましたが、以後、江戸時代になって菜種油にその座を譲るまで山崎の油は全国に知られていました。

家から神社用の朱印帳を持参してきたので、社務所が閉まってると貰えないので大ショックを受けたかと思いますが、境内に入るとお宮参りに来られた家族連れがいたので、当然、社務所も開いてました。

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ここで御朱印を貰い、また、この神社の由緒を知りたかったので、由緒書きもいただきました。

本殿前はお宮参りの人達がいるので、今日は遠慮しました。そこで道真の腰掛石を見に行きました。

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前回も紹介しましたが、種明かしをすると・・・あれは借り物だったんです。2月27日以降に放送されたテレビ番組で知ったんです。

今日初めて、自分の目で確かめました。無実の罪で太宰府へ送られる途中に腰掛けられたんですね。ここで詠まれた和歌が書いてありました。「君が住む宿の梢をゆく 雲 かくるるまでも かへり見しかな」 今日の再訪は、朱印とここだったんです。

また、ここには多くの摂社がありました。右から武内社・天照皇太神社・蛭子神社・鹿島神社・気比宮と言います。

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昼間でも薄暗い境内で、ここには誰も来られません

また、案内板を撮ったつもりが、これが手水鉢だったようで。

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花崗岩で作られてるそうで、1634年(寛永11年)当社御造替の際に勝竜寺城主 永井日向守大江直清が幕府の命令で造栄奉行として奉仕し、その記念として奉献されたようです。

そして、その横にあるのが石清水(井戸)です。これの説明書きに撮ったのが手水鉢だったんです

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元々嵯峨天皇の離宮である「河陽宮」跡地に創建されたなので当初は「石清水八幡宮」と称してました。ここから清らかな「石清水」が湧き出したことに由来します。

ここの最後は、宝塔礎石です。ちなみにこの奥に道真の腰掛石がある訳です。

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16個の礎石が4列に並んでて、1634年(寛永11年)造替された時宝塔かあったことが記されてるそうです。

そんなに広くない境内のため長居はできません。今回は拝殿の写真はありませんが、中門は撮れました。

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その中門の下には、シャガが綺麗に咲いてました。

「本邦製油発祥地碑」の石標には綺麗な八重桜も咲いてました。正に今が満開です

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冬の風景と比べて、やっぱり華やかさがありますね。来て良かったです。

最後に、油祖像と中門を捉えて、ここを出ました。

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この日は境内で、何か子供達のイベントがあったみたいです。多くの子供達が来てました。

ここを出たのが11時45分頃です。ここから妙喜庵は直ぐのため、11時50分には着きました。本当に、ほぼ計画どおり行けました。我ながら几帳面な性格です。つづく。

【離宮八幡宮 道真の腰掛石】



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